作業が進まないときの落書き帳

蛭子芳文

第1話続きはない。設定もない。終わりもない

 自分がどれほど救いようのない存在かということについてはよくわかっている。屑というには飽きたらず、下種を騙るにはあまりに卑屈で矮小なこの男。この男がいかにどうしようもない男であるかは、望まずともそれをつぶさに観察せざるを得なかったこのおれ自身が知っている。

 他人に臨むだけの勇気を持てず、自分を直視するだけの真剣さを捨ててしまったこのおれは、だからもう何にもならないことを自分でわかってしまっている。からっぽだ。信念でも、財産でも、友人でもよいが、まっとうな人は、ちゃんと自分に詰め込めるものを持っている。それがこのおれにはない。

 人生はいつからでもやり直せる。遅すぎるなんてことはない、と聞いているこちらがげんなりするような戯言を吐く人間もいるが、馬鹿を言え。三十や四十まで何もしてこなかったやつに何ができるというのだ。万に一つ、そうした人間が何人も叶わぬほどの決意を固めて、自分の人生を生きなおすべく非人間的な量の努力を重ねたとして、それでもどうにもならないことはある。幼いころから努力を重ねてきた人間と、どん詰まりになってから努力を重ねた人間。たとえ努力の総量が同じでも、才能の違いがないなら有利なのは後者だ。特別の事情がなくてもずっと努力してきた人間のほうが、そうでない人間よりも信用されやすいの当たり前だろう。ならば、このおれがいまさら努力なぞしてみたところでたかがしれている。

 ああ、いっそ奈辺にありて閻魔も仰臥するほどの悪党であれたなら。他人を騙し、法を犯し、悪徳のかぎりを尽くして、それでいて頬のひとつも赤らめてみせぬ輩であれたなら。悪党とてそこまで極まればたいしたものだ。なまなかの善人よりよほど人物である。

 されども現実、おれは夢想にふけるがせいぜいの小人である。そのうえ明日の糧の見込みもつかないとくれば、これはもうダニだとか虱の類いであろう。首を吊るが早いか、お迎えが早いか。どちらにせよ、おれの残りの人生など、ろくなものではあるまい。となれば、心静かにその時を待って、じたばたしないのが潔い。まして糧のためにじたばたするなどとみっともないことには絶対になるまい。

 かような妄言うずたかく積み上げ、狭く汚い下宿にてごろりと横になっている男の名を藤原という。源氏の末裔を自称し、生家に帰れば遠くは鎮西八郎為朝に連なる家系図があるとうそぶいて憚らないが、大方嘘に違いない。こういう手合いはおのれの働かぬのを責められぬためには、あれこれと理由をつけて右へ左へ言を弄し、そのうち相手が疲弊しきって閉口するのを待つが上策と心得ている。それゆえ、ちょっと調べればたちまち明るみへと引き出されしまう些少な嘘を常からいくつもいくつも並べては周りを呆れさせているのである。否、もとより騙す気もないとくれば、嘘でさえないというべきか。

 さて、かくのごとく、日がな愚にもつかぬ戯れ言に耽るのをおのが使命と信じてやまぬ藤原ではあるが、霞を食んで生きる仙人でもなし、時過ぎれば腹も減ろうし少しばかり飽いてもくる。とはいえ財布の中身は開店休業の素寒貧であるから、どこぞの飯屋に足を運ぶこともままならない。

 藤原はしばらくそのまま空きっ腹を抱えて寝転がっていたが、ついに深く嘆息すると、すくっと立ち上がり下駄を履いて通りへと出ていった。金のあてはなくとも、飯のあてはないでもないのである。


 ああ、無情なるは人の自然。畳が上の万年床と成るが我が天命と悟ったおれをして、なお愚直勤労へと駆り立てずにはいられないのか。いったい労働がいかほどのものだと云うのか。近ごろはやれマルクスがどうだの、露西亜がどうだのと言って、むやみやたらに泥にまみれて額に汗して生きるのを美徳とするような輩もいるが、こういうことを声高に言い立てて恥じないのはみんな馬鹿者である。労働なんぞは昔から出来ればやりたくはないが、やらないではいられないから、しかたなしにやるものだったのだ。それを国のために一心身を粉にして働かぬは男にあらずなどと噴飯ものの冗句をしたり顔で口にするのが当世風ときては、臍で茶を沸かせよう。

「それを仏尊よろしく骨と皮になるまで言い続けられたら、説得力もあろうというものだが、人が働いて得た金子にあやかって飯にありついているときに言われてもちっとも響かない」

 そう呆れ顔で口を継いだのは、鍋を挟んで藤原の向かいに座る吉田であった。

 藤原と吉田は中学の同級で、互いに折に触れては親しく交わるなかである。しかし、歩んだ道は正反対といっていい。藤原は中学を出てから働くでもなく、といってどこかの予科や高校に入って勉学を積むでもなく、ただダラダラとその日その日を消費し続けてきた。高等遊民といえばまだ格好もつくというものだが、余りある財貨とそれに裏打ちされた余暇でもって百学に学び、国に仕えんとて高邁な志を確かとするそれらと比べては失敬千万というものだろう。せいぜいが、ただの遊民というべきである。

 他方の吉田ときたら傑物である。中学こそ藤原と同じ何の変哲もない、といってしまってはやや言葉に過ぎるが、とりたてて図抜けたところのない平凡な学校に所属していたが、そこにおいても既に神童ともっぱらの評判の生徒であった。その評判が正鵠を射ていたのは、その後の吉田が一高に進級し、さらには帝大にて各科の主席と次席の成績を修めたものにのみ与えられる銀時計を与る栄誉を得たという事実を鑑みれば十分だろう。吉田について、同期のものたちの間で語り草になっている挿話がひとつある。

 ある時、武田という教師がおのれの非常に高価な万年筆をいずこかに紛失してしまった。それをどこからか聞きつけた吉田が、武田から失くした日の行動を詳しく聞きだすと筆のありかをぴしゃりと言い当て、もし筆が言った場所にあれば筆の半額を頂き、なければ失くしたのと同じ筆を用意する約束を取り付けた。はたして、筆はまさにその場所にあったのである。こうして、吉田はまんまと筆の半額をせしめた。ついでに言えば、そこで得た金子は仲間内での馬鹿遊びにすぐさま消えることとなった。吉田にはそういう気風のよさもあった。そうでなければ藤原などとはとても付き合えない。

「それで、お前はいまも何もしとらんのか」

「しとらん」

 煮える鍋に浮かぶぼたんを箸でつつきながら、あっけからんと藤原は答えた。

「お前のう、そういうことはもちっと申し訳なさそうに言うものと違うのか」

「世間並みの見方をすればそうかもしれんが、おれはお天道さまに顔向けできんようになることをした覚えはない」

「郷里のほうからは何か言われることはないんか」

「ないのう」

 はあー、と吉田は息を吐いた。吉田にとって藤原は大陸から帰ってきたばかりでまだ身辺の整理もままならぬこの忙しい時分にあっても、無理やり時間を割いてやる程度には親しく思う相手であったが、それにしてもこの様子には苦言のひとつも言ってやりたくなる。そう思って、色々ぶつけてみるのだが

「それだけいとまがあるなら文士のひとつも気取ってみればどうじゃ。俺は連中を好かんが、三年寝太郎を決め込んでるよりは、いくらか好感ももちよるぞ」

「何度も言うとるがの、おれは三年じゃなく死ぬまで寝太郎じゃ」

 などとにべもない。俺はなぜにこんなやつと付き合っているのだ。となかば本気で思いはするものの、空を往く浮雲のようにどこか飄々として憎めないところが藤原にはあり、そのため吉田はやはり付き合うのを止められないのだった。

 それにしても、この男のフーテンぶりときたら尋常ではない。いくら金に困っても誰からも借金しないのは立派だが、その理由が金の申し込みをするのが面倒だからと聞けば、頭を抱えたくもなる。もとより勘の悪い男ではないから、何かきっかけさえあればずいぶんな仕事をこなせるはずなのだが、そのきっかけから自ら全力で遠ざかろうとしているのでは話にもならない。

 自分の縁故で何かあてがってやろうにも、その手の話は断固拒否の姿勢を崩さないのだから性質が悪い。一体この男にどうやったら人並みを飲み込ませてやることができるのやら。

 と、そこまで考えたとき、吉田はハタとひらめいた。

 アテがあるではないか。

「おい藤原、熱海に行く気はないか」

 


 吉田と鍋を囲んでから数日後のことである。もくもくと黒煙を吹き上げ線路をひた走る汽車。そのなかに藤原の姿はあった。

 頬杖をついて窓の外を眺めながら時折あくびなどする様には、見知らぬ地へ向かう者特有の不安や期待、あるいは今まさに過ぎつつある旅景への興趣の欠片も見出だせない。旅行とくれば口では色々言いながらも、いざその最中に身を置いてみれば存外愉快げな様子を見せる人間は少なくないが、この様子を見れば誰でもこの男のものぐさぶりが伊達ではないのを悟るだろう。外に出たければ家の近所を散歩すればいい。まして汽車に乗って云々は、親の死に目に会うか会わざるかの時くらいだと本気で考えているのが藤原という男である。

 このものぐさの極みのごとき男がなぜ熱海に向かう車中にあるのか。その原因は吉田にあった。

 吉田のアテとはこういうことであった。吉田には熱海で旅館を営んでいる親戚がいて、何度も顔を見せに来るよう催促されている。ところが吉田は忙しい身でとても熱海になど出向く時間はなく、心ならずも長く不義理をしている。そこでこのたび自身の代わりに藤原を向こうにやって挨拶の代わりとする。書簡を持たせてやって、ついでに藤原が向こうで思い出話の一つや二つを開陳してやれば十分義理は立つ。その代わりに藤原は望むだけ向こうに滞在していいし、その費用は吉田が全面的に請け負う。

 挨拶とはいっても実際上は子どもの遣いのようなものであるし、それでいていくらでも食住が手に入るというのだから破格の条件以外の何物でもなかったが、それでも吉田は藤原がこの話を受けるか確信を持てなかった。なにせ籤に当たっても引き換えに行くのが手間だと言ってドブに捨てかねない男である。世間のものさしなどでは到底計りきれない。

 その行方はどうなったのか。それは先にみた通りである。

「まったく、人生はままならん……」

 藤原はぼそりとつぶやいた。いかに高邁な決意であろうとも、物質世界の欠乏の前には打ち倒される。パスカルは全宇宙に比してなお尊き人間精神の果てしなさを解いたが、見よ。いまやそれが単なる幻想でしかないことは明らかだ。我が崇高なる使命は茶碗一杯の飯粒の前に揺らぎ、へし折られた。真実、人間精神が全宇宙を陵駕するのだとしても、一握の糧のために魂の深奥さえ容易く売り渡されてしまうのが現実だ。これが人の悲惨であり、おれの憂鬱なのだ。

 おお、げに恐ろしきは人の業。それを振り払うことかなわぬ人が理性。世が地獄はここにあり……

 と、藤原は過ぎ行く田園風景を見ながらそのようなことを考えていた。酔っているわけではない。これがこの男の平常なのである。たかだか汽車に乗って熱海に行くだけのことを、これだけ誇大にできる藤原には、ひょっとすると劇作家の才能があるのかもしれなかったが、本人の気性のためにその才が発揮されることは永遠にないであろうと容易に察せられてしまうのは悲しいところである。

 さて、旅には道連れがつきものである。たまたま同じ列車の隣向かいに乗り合わせたもの同士、つまらぬことを語り合いながら、ややもすると退屈になりがちな道中に華を添えるのが相場というものであるが、藤原もまたご多分に漏れず道連れがいた。

「おい、そのいかにも辛気臭いツラを表に出すのはやめてくれないか。いくら風景がよくたって、そんなものが正面にあったのでは気が削がれる」

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作業が進まないときの落書き帳 蛭子芳文 @holizon222

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