20. 誘い込まれる男

大姫おおひめは、義高よしたかが死んだという報告を聞いて以来、これを悲しまない日はありませんでした。三周忌を過ぎてもなお、「尼になりたい。あの方の菩提を弔うために出家したい」と事あるごとに訴えては、また泣きます。母である政子も、もはやどうすればよいか分からなくなりかけていました。


ある日、秩父ちちぶの重忠しげただが、政子に報告を持ってきました。あのとき死んだ義高は影武者であり、実は本物は諸越もろこしの原に乞食に身をやつして潜んでいた。それを、、というのです。政子は喜び、これを大姫にも伝えます。姫は、突然知らされた思わぬニュースに、枯れた木の枝に花が咲くように喜び、その後、みるみる体調を戻していきました。体はまだ痩せたままですが、食事もとれますから、すぐに、匂い立つような美しさもよみがえるでしょう。


頼朝よりとももこれを知らされて喜びました。「そうか、大姫が元気になったのか。重忠しげただよ、よくやってくれた。義高よしたかを大いにもてなしてやってくれ」


重忠しげただ「ははっ」


義高よしたか(かどうかは定かでありませんが、いちおうこう呼びます)のほうはというと… 鎌倉に連れ戻されてからも、毎日を非常に不愉快そうに過ごしています。たくさんの女房にょうぼうにかしづかれ、毎日のようにゴチソウを差し出されても、これらにロクに手もつけません。与えられた服も着ずに、乞食だったときのボロ服を着て、体についたシラミをつまんで潰しては、部屋やフトンを汚します。


嫩子ふたばこ義高よしたかさま… どうぞこれにお着替えください」


義高よしたか「オレの勝手だろう。乞食にゃ慣れねえ着物だ。パリパリしすぎて、かえって肌寒いんだよ。あー、ボロのむしろが懐かしいな。それも持ってきてくれよ。なんだ、オレは大姫の夫になる人間だぜ。文句あんのかよ」


嫩子ふたばこは、彼のあまりの非常識さ、傍若無人さにあきれてしまっています。



さて、ある晩、ここに重忠しげただが正装に着替えて訪れました。廊下からフスマを開けて、かしこまって義高よしたかに申し上げます。


重忠しげただ「かつて朝敵となって木曾きその義仲よしなかどのが討たれて以来、あなた様が突然ここからいなくなってしまったのは、頼朝よりともさまには大きな心配ごとでした。もともとあなた様にはなんの罪もなく、しかも当家の婿どのなのですから、当然のことです。今宵、こうしてあなた様を再びお迎えできましたこと、この重忠しげただにとって大きな喜びでございます」


重忠しげただ「今晩は吉日でございますので、大姫おおひめぎみとのご結婚は今日の夜と決まりました。こちらの準備は万端でございます」


義高よしたか「ほう…」


重忠しげただ「ですから、ぜひ、目の前のお食事にも手をつけられ、お着替えも…」


義高よしたか「いやなこった」


重忠しげただ「は…」


義高よしたか義仲よしなかの武功をそねみ… 間者かんじゃをもってその行いを乱さしめ… まんまと朝敵の汚名を着せてから、これをリンチ同然に殺した頼朝よりともだ。その腹黒さ、我慢ならんわ。それに仕える家臣どもは、みんな頼朝同然の汚らしいやつらだ。そんな連中のなんぞ、受けてたまるものか」


義高よしたかはこう言い切って、目の前の膳を蹴散らしました。食べ物が部屋に散乱し、容器のひとつが、重忠しげただの額にヒットしました。そこから血がにじみます。嫩子ふたばこ女房にょうぼうたちがハッと息をのみました。


重忠しげただは、動揺する人たちを手でさっと制し、自分自身は懐からハンカチを出して額を拭いました。「おっしゃることも、一理ございます。しかし、頼朝さまは、いたく反省しておいでなのです。婿殿むこどのに、乞食に身をやつせしめ、おおくの苦労をさせてしまったことを」


義高よしたか「けっ」


重忠しげただ「婚礼の時刻まで、まだ間があります。最近この屋敷でひいきにしている芸人がおりましてな。かわいらしい、子どもの舞いです。多少なりとも、心がなごまれることかと。さっそく呼びましょう」


部屋が片づけられ、ここに夫婦とおぼしい二人組と一人の子どもが、みやびな装束をまとって現れました。正忠まさただ葎戸むぐらと、そして鈴稚すずわかです。特に鈴稚すずわかの装束は凝っていて、頭巾をかぶって、えりには山猫の舞う絵をあしらった箱をかけています。


夫婦は、声をあわせて歌い出しました。鈴稚はこれにあわせて、なかなか興のある舞いを見せました。しかし、これを見た義高よしたかは、さっきよりも更にイラつきはじめました。


義高よしたか「やめろ! こんなものを見せるな、胸くそ悪い!」


重忠しげただは、ニコリと笑ってフォローに入ります。「おやおや、正忠まさただよ、粗忽だったな。そういえば義仲よしなかどのはネコのお嫌いな方だったと聞く。この選曲は、ミスった、ミスった。御曹司おんぞうしはご不興ふきょうだ、すぐに下がりなさい」


正忠まさただはガッカリします。「せっかく、重忠しげたださまの仰せで、御曹司に楽しんでもらおうとしましたのに… この子も、ようやく最近は体調が戻って、舞えるほど元気になりましたのに」


義高よしたかは、これを聞かされて、ひとつ思いつきました。「ほーう、そりゃあ、残念だったな。その子には、せっかくなので、オレからひとつ褒美をやろう。ほら、こっちにおいで」


鈴稚すずわかは、臆する様子もなく、トコトコと義高のほうに歩み寄りました。じゅうぶん近づけさせてから… 義高よしたかは、彼の胸先を蹴り飛ばしました。鈴稚すずわかは、ワアッと叫んで正忠まさただたちのもとまで転がりました。


正忠まさただ「な… なんてことをする。許せない!」


重忠しげただは、いきり立つ正忠まさただに「無礼だぞ、控えよ」と叱りましたので、正忠は歯を食いしばって屈辱に耐え、鈴稚すずわかを抱きしめて後ろに下がりました。しかし、義高よしたかの様子もなにか変です。岩のカタマリでも蹴ってしまったかのように、足をしびれさせてうずくまり、苦しんでいます。


床には、鈴稚すずわかのかけていた箱からこぼれ出た金属片が転がっています。かぶとの、鍬型くわがたのようです。


重忠しげただはこれを拾って、義高よしたかの目の前にかざして見せました。「義高さま、あなたが今蹴ってしまったものは、コレです。最近、粟津あわづのある百姓が、田んぼから見つけたものでしてな。木曾きその義仲よしなかどのが、石田いしだ為義ためよしに討たれるその瞬間まで身につけていた兜の、鍬型くわがたなのです。親を足蹴にするその不孝は、テキメンに罰となってその身に響くもののようですな。これで、あなた様が正真正銘の清水しみずの冠者かんじゃ義高よしたかさまであることが、誰の目にも明らかとなったわけです…」


義高よしたか「…父上の、兜だと!」


義高よしたかは思わず素に戻ってしまい、重忠しげただからそれを手に受け取りたい、といったそぶりを示しました。しかし、重忠しげただはこれを懐にしまってしまい、「これは、頼朝よりともさまが、婚礼後のプレゼントとして取ってあったものです。ほら、これを受け取るには、そのボロ着ではいけないでしょう。ちゃんと着替えてからでなければ、親不孝ですよ。ねえ」


義高よしたかはしかたなく、「わかった、着替える」と約束しました。重忠しげただは聞き分けてくれた義高よしたかに礼をいい、そして正忠まさただたちのことも慰めました。「ネコの芸をしてしまったのは失敗だったかもしれんが、結果として、義高よしたかさまが衣装を改めてくれるきっかけとなった。褒めてつかわそう。では、下がるがよい」


正忠「はい…」


正忠まさただ夫婦が去ると、重忠しげただは、またひとつ、余興の提案をしました。「婚礼の時間まではまだ少しあるのですが… なにかとご機嫌のすぐれない義高よしたかさまには、いっそ、大姫おおひめみずから琴を演奏されるのを聞いていただきたいと存じます。もちろん直接の対面は許されませんが、スダレ越しなら構わぬはずです。ともかく私は今晩のを仰せつかっていますからな。最後まで努力しませんと」


やがて、大姫らしき気配が向こうにあらわれ、ポツン、ポツン、カラカラ、と琴の演奏が始まりました。なかなかのワザです。義高よしたかは目を閉じて音色に聞き入りました。


重忠しげただ「そして、これをBGMに、御曹司にはひとつ、見せ物を楽しんでいただきます。…そろそろ来るころなのですが」


重忠が予想したとおり、縁側の向こうに気配がありました。そこから現れたのは榛澤はんざわ六郎ろくろう猫間ねこま光実みつさねです、ふたりは一人の人物をクサリでがんじがらめにし、えんのそばに引き据えていました。


長い間、土牢に押し込められ、骨と皮のように痩せ細ってしまったその人物は、なんと唐糸からいとでした。目は落ちくぼんでおり、それをボサボサの髪が覆っています。


義高よしたか「(…唐糸からいと!)」

唐糸からいと「そこにいるのは… 義高よしたかさまか!」



琴の音が、ほんの少し止まりました。大姫が、唐糸が現れたことを知って動揺したのです。今弾いているのも、唐糸に教えられた曲のひとつでした。


大姫「(唐糸からいと… 彼女にとっては、身から出たサビ、それは分かっているけれど…)」


重忠しげただ義高よしたかさまは、この女のことを当然知っていらっしゃいましょう。木曾きその四天王のひとりと呼ばれた兼平かねひらの妹、唐糸です。かの女は、石田いしだ為久ためひさをだましてこの屋敷に潜入し、頼朝さまを暗殺しようとして失敗し、それ以来、ずっと投獄されていました。このめでたい晩ですから、恩赦おんしゃということで、彼女の命だけは許してもよい。ただし、共謀者をふくめてすべて白状し、そして、お上への反逆でなかったことがハッキリすれば、です」


重忠しげただ義高よしたかさまにとっても、これを確かめておくことはこの上なく重要なはず。したがって、唐糸からいとへの最後の取り調べ、それを、義高よしたかさまにも手伝っていただきます」

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