11. 復讐者、せまる

西行さいぎょうは、頼朝よりともの屋敷を訪れている最中に、「外に、殿を狙う者がうろついていますぞ」と突然言い出しました。


家臣達は色めき立ちます。「な、なんだと、本当か!」


西行さいぎょう「まあ、必ずしもアテにならん、霊感みたいなものですがね。重忠しげただどの、あなたは非常に鋭い感覚をお持ちだと聞きます。どう思われます?」


西行に話を振られた秩父ちちぶの重忠しげただは、非常に深刻な面持ちになって黙り込みました。まるで彼自身も、視線の向こうにその曲者くせものを捕らえていてにらみつけるかのようです。


頼朝が「なにをじっとしている重忠しげただ、すぐに様子を見てきてくれ」と促しましたので、重忠はその言葉を待ってスックと立ち、部屋を出て行きました。


重忠しげただは急いで建物を出ると、入り口で主人をまっていた部下たち二人に「すぐ外をチェックするぞ」と命令し、ついて来させました。一人の名は榛澤はんざわ六郎ろくろう、そしてもう一人は、猫間ねこま光実みつさね。そう、あの猫間ねこま光実みつさねです。


どうして光実みつさねがこんなところにいるのでしょう。


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彼は、さきに粟津野あわづの義高よしたかを取り逃がしたあと、これからどこに向かえばよいか分からず、途方に暮れました。それでもあてずっぽうに日本中を歩き回っているうちに、3年近くが過ぎてしまいました。そのうち光実みつさねはこんな思いつきに至ります。


光実みつさね「あ… そうか。あいつは義仲よしなかを殺した頼朝よりともを恨んでいるはずだ。つまり、遅かれ早かれ鎌倉に向かうに決まってるってことじゃないか」


光実みつさねは鎌倉に赴き、頼朝よりともの家臣のだれかに近づいて雇い入れてもらおうと決めました。そこで見つけることができたのが、重忠しげただとの縁です。光実は自分が知ることをすべて彼に告げました。


光実みつさね「コレコレこういうわけで、義高はきっと鎌倉かまくら殿どのを狙いに来ます。オレに彼と戦わせてください。役に立ててください」

重忠しげただ「死んだはずの義高が、生きているだと。ならば、我々が知るあの男は、義高の影武者だったというわけだ。しかも、妖術を使うというのか… 本当ならこれはゆゆしき事態だ。しかし、情報が確かだと分かるまで、簡単に殿には知らせられんな。余計な混乱を招くだけだ」


こんなわけで、重忠しげただ光実みつさねを自分の家来のように見せながら自分のもとに置き、彼をときどき見回りに同行させては、もしかすると本当かもしれない義高よしたかの来襲に備えていたというわけなのです。(猫間を同行させるのは、義高の本当の顔を知っているのが彼だけだからです)


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さて、こんなわけで、重忠しげただは、いつか頼朝の命を狙って清水しみずの冠者かんじゃ義高よしたかが現れる「可能性もある」と知っていましたから、西行の情報に非常に敏感に反応したのでした。


門から外に出た重忠しげただは、さっそく不審な人物を発見しました。薬師堂のあたりをうかがい見ている、編み笠を深くかぶった浪人風の男です。男は、重忠しげただたちを発見すると、さりげなく背を向け、歩き去ろうとしました。


重忠しげただ榛澤はんざわ、あいつをここに連れてこい。あいつと


榛澤はんざわが息を切らせて彼に追いつき、重忠しげただ様がお前と話をしたがっている、と命じて、こちらに連れてきました。男はと重忠の前に立ち、そして編み笠をゆっくり脱ぎました。


男「なにかご用で…」

重忠「うむ、お前に興味がある。体格がよく、下げている武器もなかなか立派だ。腕に覚えがある者とみた。ま、少し腰かけて話そうじゃないか」

男「…」

重忠「おぬし、どこのどういう男だ。もしかして武者修行でもしているのか」

男「はあ。…飛騨に生まれてそこで育ちました。家の名などありません。父母とも早くに死にましたし、兄弟もありません。鎌倉まで来たのも、いろいろ見たくて、なんとなくです」


重忠「なるほどな。オレはお前が気に入った。オレのもとで出世してみんか」

男「…」

重忠「まあ、お前に選り好みがなければ、だがな。所領も少しは与えられるぞ」


男「…ご好意、ありがとうございます。ですが、まだしばらく武者修行を重ねて、広く世間を知ってからにしたいと思います。そのときにもなお縁が残っているなら、ぜひ」

重忠「うむ、それもよいだろう。お主が決めることだ、無理強いはしないぞ」


重忠しげただはさらに世間話を続けます。「飛騨からここまで来たということは、木曽路きそじを通ったということだな。うん、路。あそこには名所がたくさんある。伏屋ふせやの里、更科さらしなの里、たのむの里、清水の里… うん、の里は特にいいところだ。おぬし、旅の途中、どこが一番の見所だと思った」


男はすこしだけ表情を固くしました。「…いや、特にどこも… 私はとくに教養もありませんし」


重忠しげただ「そうかそうか、まあよい。おぬし、私のことを忘れてくれるなよ。修行を終えたら、きっと見参するがよい。今からお前にちょっとした約束の印をやるから、これを持って行け」


重忠は、扇を取り出すと、これに筆でサラサラと一句したためました。


 夏くればふせやが下にやすらひて しみづの里にすみつきぬべし


男はこれを受け取り、何度か句を読み返してつぶやいたあと、「ありがとうございます、それではまた…」と言い残して立ち上がり、そのまま歩いて去っていきました。


重忠たち三人は、彼が見えなくなるまでずっと動きませんでした。猫間ねこま光実みつさねだけは、一刻も早く彼を追いたいという表情でイライラしています。それをずっと重忠しげただが手で制しています。


光実みつさね「あれが、あれが義高ですよ! すぐに追いませんと」

重忠しげただ「だろうな。私もそう思ったよ」

光実みつさね「どうしてあんな風に逃がそうとするんです、私は彼と戦わないと!」

重忠しげただ「落ち着け。彼は妖術を使うのだろう。何の計画もなしに飛びかかって、無事ではすむまい。お前はみすみす世間の笑いものになりたいのか」

光実みつさね「ぐ…」


重忠しげただ「妖術は、究極、正義に勝つことはない。あいつの妖術を破る方法は、きっとそのうち見つかる。それまでは、泳がせるのだ。さっき、それとなく、私はあいつが誰かを知っているとほのめかした。あいつは警戒して、少しの間はここらに近づかんだろう。我々のほうでは、反対にあいつを秘かに追跡し、どこに潜むのかを調べてやろう」


重忠は、今から三人で手分けして義高の行方を探すことにしました。


重忠しげただ「あいつを見つけても、今はまだ、こっそりつけるだけだぞ。滞在場所を見つけることだけが目的だ。光実みつさね、特にお前は絶対にあいつに飛びかかるなよ」


光実「は、はい…」


三人はその後の待ち合わせ場所を決め、それから散りました。重忠は西に、榛澤はんざわは東に、そして光実みつさねは浜の方向へ。


このうち、義高を見つけることができたのは光実みつさねでした。急いで走る彼の前に、由比ゆいヶ浜を歩いている義高よしたかを発見したのです。太陽は今にも西に沈み終わろうとしています。


光実みつさね「見つけた… あいつは完全に一人だ、周りにも誰もいない。いきなり走り寄って問答無用に斬ってしまえば、確実に殺れる…」


光実みつさねは重忠の戒めを忘れてはいませんが、今こそは千載一遇のチャンスに思えました。「殺せるものなら、殺してしまっても差し支えはないはずだ… これを見逃しては、あとで後悔してもしきれん。ええい、やるぞ!」


光実みつさねはできるだけ足音を立てずに彼に後ろから近づき、そして距離が10メートルほどに縮まったかと思うところで、「兄のカタキ」と叫びながら、やにわに砂を蹴立てて義高に襲いかかりました。


しかし、いざ切りつけようとすると、義高の姿はそこにはありません。光実みつさねは驚いて、何があったのかと周りを見渡します。


光実みつさねの後ろに、牛のような大きさのネズミが立っていました。恐ろしく尖った爪を浜の砂に食い込ませ、真っ赤な目で光実をにらんでいます。


光実「バケモノめ」


光実はなおもひるまず、この大ネズミに刀を突き立てようとしました。しかし何の手応えもなく、不思議と空を切る感触しかしません。光実みつさねの頭上から、義高の声だけが聞こえてきました。


義高「お前をここで殺すことは簡単だが… 復讐のために私を狙うその健気けなげさは、あわれむに値する。今回だけは見逃してやろう。今後、二度とオレを追おうと考えるな…」


義高の声は、大きな笑い声に変化しました。突然、浜では白波が高くしぶきをあげ、千鳥の群れがどっと飛び立っていきました。それらが止んだときには、光実のまわりには誰もおらず、静かな海と夕闇ばかりがありました。

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