9. 頼豪、義高を呼ぶ

場面は、入間いるまの河原かわらから多数の犠牲を払って逃亡した清水しみずの冠者かじゃ義高よしたかに移ります。


季節はもう秋です。国中を遍歴し、義高は気づけば江州ごうしゅう粟津野あわずのにいました。父・義仲よしなかが頼朝軍に討たれたのはここです。奇しくも、季節もちょうど今頃だったはずです。義高はこの地を歩き回り、父が葬られていると思しい塚をついに発見すると、涙を流してこれを拝みました。


義高「父の魂をしのんで、今晩はここらに野宿しよう」


行者の扮装をしていますから、それなりに道具ももっています。かねを打ち鳴らしながら夜が更けるまで念仏をとなえ、父の冥福を祈り、また、復讐を誓う言葉をかけ続けました。ときおりチラチラと見える蛍の光は、死んだ誰かの霊のように思えました。


急に強い雨が降ってきました。月は出たままですからすぐに止むのでしょうが、義高よしたかはどこか屋根のある場所が欲しくなり、あたりを見回しました。すると、明かりの灯っていないあばら屋があります。「あそこで少し雨宿りをさせてもらおう。留守のようだが、主人にはあとであいさつでもしよう」


そこの縁側に腰をかけて、目の前の雨音を聞きながら物思いにふけるうちに、義高は眠気をおぼえ、すこしだけうたた寝をしました。



ガサガサという音で目が覚めてみると、義高の近くに一匹の大きなネズミがいます。それが口にくわえているものは、義仲よしなかをあらわすあさひの旗です。父の復讐に燃える義高のアイデンティティでもあります。


義高「あっ、オレの荷物から盗みやがったな。大事なものだ、返せ」


ネズミは西の方向に走り去り、義高もまた、それを走って追いました。不思議なことに、義高よしたかは今までいた琵琶湖のほとりをはるかに過ぎ、気づけばけわしい山中に到達していました。そして一番高い山の頂上までネズミを追い詰めると、それはある岩の下に飛び込んで隠れてしまいました。


義高「ネズミごときにナメられて、黙って帰れん。武士の魂である旗印、この岩をぶっ壊してでも取り返す」


義高よしたかが助走をつけてこの岩に杖を突き立てようとした瞬間…


バンとすさまじい爆音がし、岩がふたつに裂けました。そこから白い気がもうもうと立ちのぼり、それが消えると、中には一人の、痩せさらばえた老僧が立っていました。着ている衣服もボロボロで、海に流れ着いた海藻を身にまとっているのと変わりがありません。ただし、目の光だけは人を射るように爛々らんらんとしています。


義高よしたかは一向にひるみません。「バケモノめ、お前がオレの旗を盗もうとしたのか。布きれで、ネズミの巣でも作るつもりかよ」


これに答える老僧の声は、凄味がありながらも落ち着いています。「勇士よ、よく来た。ながらく、お前が来るのを待っていたのだぞ。わたしは三井みい頼豪らいごう阿闍梨あじゃり。お前の父の無念を知るものだ」


義高「頼豪らいごう? そして父だと、どういうことだ」


頼豪「わたしの話からしよう。かつて、命をかけたるわがいさおしは白河院に報いてもらえず、私は怒りに燃えて世を去った。この恨みをすすがんと、わたしの霊は数万のネズミとなって山門の経典を食い破った。その後、人々はわたしの霊をなだめるために神としてほこらにまつったので、わたしはしばらくこの怒りを忘れてまどろんでおった」


頼豪「おぬしの父・義仲よしなかは、平家の兵どもを無数にやぶりながら京に近づき、私の祠を見つけると、武運を祈って願をささげた。念願成就のあかつきは、土地を寄進し、社殿をりっぱに直してくれるとの誓いとともにな。私は彼の武運を強めてやった。そのため、平家は戦わずして彼のものから逃げていった」


頼豪「義仲よしなかは、ついに京に入った。しかし、後白河院は彼の決死の奉公に報いなかった。宿願であった征夷大将軍には任じられず、かえって頼朝よりともにその官位を奪われることとなった。このときの義仲よしなかの怒りが、私とシンクロしたのだ」


頼豪「彼は怒りを大きく増幅させ、パワーを増した。しかし彼は怒りの力を制御しきれなかった。ついに、彼はが過ぎて朝敵とみなされ、頼朝の向けた軍によって、この粟津野あわずので散ったのだ。おぬし、父の無念を晴らしたいか。復讐を果たしたいか」


義高の答えに躊躇はありません。「…ああ、果たしたい!」


頼豪「それでこそ勇士だ。お主のその強い心を知ったからこそ、ここに呼んだのだしな。私はこれからお主とともにあり、さまざまな変幻自在の術をあたえ、お前を助けよう」


頼豪は呪文をとなえ、これを復唱するように義高よしたかに促しました。妙な発音ですが、義高は不思議なほどにすんなりとこれを暗記できました。


義高よしたか「ありがとう、阿闍梨あじゃりよ。さきほどの無礼はつつしんでお詫びする。あなたの術をもってすれば、すぐにも鎌倉に飛び、にっくき頼朝よりともの首を人知れずねじ切ることも自由自在だ!」


頼豪「うむ。ただし、ひとつだけ支障があり、今すぐというわけにはいかない。現在、頼朝が座右ざゆうに置いて日夜眺めて楽しむものに、黄金の猫というものがある。アレの力はやっかいだ」


頼豪「かつて円珍えんちん上人しょうにんが、紫磨金しまきんをもって彫り上げた像でな。とうから経典を持って帰る途中、ネズミが大事な経典を食ってしまわないようにとの目的で作られた。長い歴史の中で像は失われ、そして、ある中将が地から掘り出してからは、そこの家宝となっていたのだが…」


頼豪「これを受け継いでおった猫間ねこま光隆みつたかから石田為久ためひさが奪い、これを頼朝よりともに献上した。これが彼のもとにあるうちは、うかつに近づくべからず。3年後の8月には、この像は頼朝の手を離れることになっておる。そのときがお主のチャンスだ、それまで待て」


頼豪「頼朝には優れた部下がおる。秩父ちちぶの重忠しげただに注意せよ。また、猫間の弟である光実みつさねは、光隆みつたかを侮辱し、死に追いやった義仲を恨んでおり、今はその恨みはお前に向いている。これらの人物に注意せよ…」


義高よしたかはなお色々とこの頼豪阿闍梨から聞きたかったのですが、彼の話はここまででした。義高よしたかの目の前で、阿闍梨は再び岩にはさまれて姿を消してしまい、そして足下の岩場もガラガラと崩れ始めました。その轟音の凄まじいこと、まるで山全体が崩れているようです。


義高よしたか「うわあ」



気がつくと、義高はさっきまでと同じように、あばら屋の軒下に座っていました。どうやら、居眠りをして夢を見ていただけのようです。雨は止んでいました。


義高よしたか「あれが夢? しかし…」


しばらく呆然としましたが、義高は手に何かを握りしめていることに気づきました。旭の旗です。荷物に押し込めてあったはずですから、知らない間に手に持っているということはありません。


義高よしたか「違う、夢ではなかった。オレは確かに、頼豪らいごう阿闍梨あじゃりの霊に会ったのだ。そして無敵の妖術を授けられた。やった… なんという幸運だ。これで何者も怖くはない。頼朝よ、待っておれ。誰にも邪魔はできんぞ。さっき聞いた、重忠しげただだろうが、猫ナントカだろうが、蹴散らしてくれる」


義高よしたかは気がたかぶり、思わずハハハと声をあげて笑いました。


この笑い声を聞いて、木の下からむくりと起き上がった者がいます。どうやら今までそこで眠っていたようです。割と若い男です。


男「そこにも人がいるのかい。この家の主人… ではなさそうだな。私もここの主人に宿が借りたくて、留守のあいだずっと待っていたのだが、ちょっと眠ってしまっていたようだ。今から大津まで戻るのは、ちょっと無理だなあ。なああんた、ちょっと話相手になってくれよ。夜が明けるまで、まだ結構ある」


義高よしたか「ああ、構わないが(あわてて旗をフトコロに押し込んで)」


男は義高の隣に腰かけます。「私も旅の行者なんだ。奇遇だな。ここで会ったのも何かの縁だ、いろいろ旅で聞いたウワサでも教えてくれよ」


義高よしたか「ああ、こういう晩に話し相手がいるといいな。お前もいろいろ聞かせてくれ」


男と義高よしたかはなかなか意気投合し、いろいろと雑談をかわしました。浦風に乗って、鐘の音がひとつ聞こえてきました。


男「今はときか。と言えば、オレはネズミが嫌いでなあ。昼は穴に隠れて、夜にコソコソ動き回って食いもんを盗んでいく、いやらしいやつだよ。国に盗っ人、家にはネズミってな」


義高よしたか「ほう、それはネズミを誤解してるのさ。ネズミは200歳の命を持って、一年の吉凶や、遠くの出来事を知るっていうじゃないか。大黒天だいこくてんの使者でもあるぞ。オレはネズミが好きだぜ。むしろ嫌いなのは猫だな。一日中ゴロゴロ寝てるだけで、働きゃしねえ。しかも、それこそ食いもんを盗んで、あたりにフンをたれ散らす」


男は、猫の悪口にカチンときたようです。「…お前こそ、猫のことを分かっちゃいないんじゃないか?」


義高「ほお、そんなにお好きかね、ネコが…」



仲のよかった二人の様子が、にわかに険悪な雰囲気になってきました。続きはまた。

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