8. オバサン無双

鎌倉から逃亡した義高よしたか入間いるま河原かわらで追っ手に討たれたというウワサは、すぐに政子まさこ大姫おおひめの耳に入りました。


これを一番ショックに思ったのは大姫おおひめで、その日から食事も睡眠もできなくなってしまい、周りが姫の命を深刻に心配するほどになってしまいました。(本当の義高よしたかは実は生きているんですけどね。もちろん誰もそんなことは知りません)


政子まさこも、泣きながら激烈な怒りを吐きちらします。「夫(頼朝よりとも)は確かに『追って殺せ』と言ったかも知れないけど! そんなの、言葉の勢いみたいなもんじゃない。仮にもウチの婿むこなのよ。取り調べとかそういうのも抜きに、ホントに殺す者がありますか! 殺したのは、石田いしだ為久ためひさの手下だって? 責任を取らせますよ。断固、石田のクビをはねて、婿どのの霊をなぐさめるのよ」


(このとき頼朝よりともは、政子の剣幕が怖くてあんまりコメントを出していません)


鎌倉にちょうど戻ってきた石田は、政子がこういってカンカンになっていることを知らされ、真っ青になりました。「やべえよ、どういう言い訳すればいいんだろ」


ここに、石田の隊に合流した光澄みつずみが、義高よしたかの首級を掲げて意気揚々と報告に来ました。間が悪いですね。


石田「…とんでもねえことをしたな。これこれ、こんなことになってるんだぞ」

光澄みつずみ「えっ!」

石田「まあ、お前が悪いんじゃねえ。そもそも俺が、義高よしたかを始末したかったんだからな。義仲よしなかのクビをとったのがオレだとあいつが知ったら、どんな逆恨みされるか分からねえ。今回みたいなチャンスに有無を言わさず殺しちまえば、安心もできるし、褒美までもらえるっていう、一石二鳥のつもりだった… が、政子さまのほうがあんなに激オコになるとはな」


事情が分かってきて、光澄みつずみは、石田と同じくらい顔を青くして黙り込んでしまいました。



石田「…いやまてよ、あるぞ! 助かる方法が」

光澄みつずみ「本当ですか」

石田「さっきの話だと、投降人として連れてきた唐糸からいとという女がいたな」

光澄みつずみ「はい。あいつの乳母だった女です。息子の命が大事になって、こちらの脅しに屈して協力したんです」

石田「そいつが、こちらが頼まないのに進んで義高よしたかを殺した、ってことにしよう。お前が発見する前に義高よしたかは死んでいた。その理由は、久しぶりに義高に会った唐糸からいとが、恩賞をもらってまんまと貧乏から抜け出すために、あいつを油断させて毒を盛ったからだ」

光澄みつずみ「な、なるほど。それで!」


石田「唐糸はそのときはお前が近くにいることを知っており、義高よしたかのクビを手土産に投降してきた… お前はそんな女の性根に腹が立って、その場で唐糸からいとも手討ちにしてくれた」


光澄みつずみ「…完璧なストーリーです! 全く矛盾がありません」

石田「フッ、我ながら怖いほどの才能だ。よし、さっそく唐糸からいとをここに連れてきて殺そう。まずはあいつの首を取らんとはじまらん」


このアイデアに従い、唐糸からいとが呼ばれました。石田為久ためひさが今回の働きを褒めてくれる、という名目でです。


石田「おまえが唐糸からいとだな。義高よしたかを討つためのお主の手引き、大変すぐれたものであった。約束通り、大姫の付き人として大推薦しておくぞ」

唐糸「ありがとうございます。お約束を守ってくださって」

石田「それはもちろんだ。さらに、ちょっとした褒美をこちらからも与えよう。光澄みつずみよ、を」

光澄みつずみ「ははっ…」


光澄みつずみは低い姿勢から突然刀を抜き、唐糸の首めがけて切りつけました。唐糸はこれを予測していたかのように身を反らせてよけ、同時に、手刀で彼の刀をたたき落としました。


光澄みつずみ「うっ、おのれ!」


光澄みつずみはさらに自分の脇差わきざしに手を掛けようとしますが、それはできませんでした。唐糸からいとは落ちた刀をすばやく拾うと、ビュンと一閃、光澄みつずみの首を逆に斬り離してしまったのです。


石田「き… キサマ!」


石田は慌てて腰の刀を抜き放ちましたが、唐糸はひとつ避け、ふたつ避け、すばやく駆け寄るとその手を押さえて封じてしまいました。「鎌倉にお仕えするのが約束じゃないの? 閻魔さまのお仕えなんて聞いてないわね(にやり)」


石田は怒り狂ってその手を払いのけ、さらに数回攻撃しようとします。しかし唐糸はこれをせせら笑って避け、「お待ちなさい、私はんだよ、気づかないのかい?」


石田「なんだと、何をワケのわからんことを言う!」


唐糸からいと「この光澄みつずみが死んだからあんたが助かる、って言ってるんだよ。本当に分からないのかい。さっきのアンタらの作戦(聞こえてたわよ)、お粗末もいいところだよ。政子まさこがお前らの作り話を本当に信じると思うのかい」


石田は攻撃の手を止め、「何が言いたい。適当なことを言っているだけなら、許さんぞ」


唐糸からいと「(懐紙で刀の血を拭いながら)アタシはね、仮にも義仲よしなか殿の腹心、兼平かねひらの妹にして、光盛みつもりの妻でもあるのよ。私が御曹司を裏切った、なんて話を、証拠もなしに政子まさこが信じると思うかい。お前らがスタンドプレーで義高を殺して、言い訳のためにアタシまでも殺した、ってパターンのほうが、当然ありそうなことだと考えるでしょうね、あの女なら。これでも分かんないんなら救いようがないわよ、アンタ」


石田「た、確かに、政子まさこさまなら、そちらのほうを考えるだろう…」


唐糸からいと「だから、この光澄みつずみがここで死んだのは、アンタのためなのよ。言い訳するんなら、こういうふうにしなさい。『自分は殺すなと厳命していたのに、光澄みつずみ一人が暴走して勝手に義高よしたかを殺した。それを罰するためにこうして光澄みつずみの首を斬りました』って」


石田「な、なるほど!」


唐糸からいと「安心しないで、まだ足りないわ。そのあとで、『当然、自分も責任をとって腹を切ります』まで言うのよ。政子の取り巻きには、あらかじめワイロをたんまり渡しておきなさい。そしたらみんな、このタイミングで政子をなだめにかかってくれるから。その後、義高よしたかの首をちゃんと大仰に埋葬して、仏事も仕切んなさい。ここまでやるのよ。誠実なのが褒められて、アンタはこれを機会にもっと出世できるってわけ」


石田「…おれは、光澄みつずみを失って、右腕を失ったほどに痛手を感じていた。とんでもない。お前の方があいつよりはるかに賢く、役に立つ」


唐糸からいと「やっとわかったわね。アタシもせめて余生をエンジョイしたいのよ。まあ、持ちつ持たれつやっていこうじゃないの。当分、アンタんところで楽させなさいよね」


石田「ああわかった。万事、お前の言うとおりにする」


こうして、唐糸からいとは、石田に信用されるようになりました。石田は唐糸からいとが提案したとおりのことを行い、政子になんとか許されて、よくできた家臣という評判を受けることができたのでした。



とはいえ、義高よしたかが死んだことには変わりありません。彼との結婚を待ち望んでいた大姫おおひめにとっては誰が腹を切ろうが切るまいが何の救いにもならず、いよいよ涙を体から絞りだして痩せ細っていくばかりです。「尼になって義高よしたかさまの菩提を祈りつづけたい」とばかり言っては泣くので、政子まさこはこのままではどうなってしまうのかと心配でなりません。


政子まさこ「せめて、気晴らしになるような何かがあればいいのだけど…」


女房たちは、政子に、琴の名人を探して雇い、姫に聞かせるとよいのでは、と提案しました。「人の心を癒やすものといえば、琴のに限ります」


政子まさこ「なるほど、そうね」


政子が琴の名人を探しているという話を知った唐糸は、石田に自分を紹介しなさいと薦めました。「琴なら得意よ。私を殿に紹介してくれるときは、変に疑われないように、アンタのイトコってことにしといて」


石田は唐糸からいとを政子に紹介し、唐糸はさっそく琴の腕前を御前で披露しました。その音色のたえなること、降りくらす霖雨ながあめ日光ひのめを見るがごとし。政子と大姫はおおいに喜んでその技をで、いつも彼女の琴を聞きたがるようになりました。唐糸からいとは言葉遣いや立ち振る舞いにも細心の注意を払いましたから、みな彼女が大好きになり、心から信頼を寄せるようになりました。


彼女が、光澄みつずみを討って息子の敵討ちを果たし、それに続いて主君、夫、兄のカタキである頼朝よりともをも狙う、恐るべき刺客であるとは夢にも思わずに…

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