5. 逃亡者たち

清水しみずの冠者かんじゃ義高よしたかは、16歳の春を迎えました。人質となって鎌倉に来てから3年です。顔はずいぶんと垢抜けてハンサムになり、性格は温厚、田舎育ちとは思えないような風雅さを帯びるようにもなってきました。


まわりの人間は、彼が立派に大姫おおひめの婿となることを疑いません。大姫の母・政子まさこは、去年の冬あたりから具体的な挙式を意識しはじめ、時々、夫である頼朝よりともに「結婚はいつがいいかしら」と聞いてみるのですが、いつも「まだ早いな」という答えばかりでした。


政子「もう彼も娘も16を越したのに…」


大姫おおひめ自身も、直接このことに触れることはありませんが、明らかに結婚を楽しみにしているようでした。


そこに、思いもよらない異変が起こったのです。すなわち、義高の父である義仲よしなかの京での反乱です。父はなんと朝敵となってしまい、他ならぬ頼朝よりともの差し向けた鎮圧軍によって滅亡してしまったのでした。もともとが「人質」ではあったのですが、義高につけられる警備はいちだんと厳しくなり、付き人である小太郎こたろう行氏ゆきうじ以外には彼と直接接触する人間もなくなってしまいました。


義高よしたか「父が死んだ… 優秀な家臣たちも、そしてきっと唐糸からいとたちも…」


義高よしたかは悲しみに暮れ、毎日、父達の供養のために経を読み続けるようになりました。こんな状況ですから、自分の命もそれほど長くはないでしょう。心はすでに来世にありました。


小太郎こたろうはそんな義高を必死でなぐさめようとします。「あなた様が反乱を働いたわけではありません。3年もここに馴染んだ義高よしたかさまが、しかも、大姫さまの許嫁いいなずけであるあなた様が殺されることはきっとありませんよ」


実は、小太郎こたろう自身にも、故郷に残した許嫁いいなずけがいます。唐糸からいとめいで、桟橋かけはしという娘です。小太郎の言葉は、半分は自分自身に言い聞かせるためのものでもありました。きっと無事でいられるはずだと。


心細さに弱っているのは義高よしたかたちだけではなく、実は大姫おおひめもです。義高さまの苦しみはいかほどだろうか、と考えるだけでも、自分自身のことのようにつらくなるのです。姫の顔色は、日々やつれていきました。


母・政子まさこは、そんな大姫を元気づけたくて、ある日、大姫にあるカラクリ細工を見せました。


政子「これをご覧、すごろく遊びをする人形ですよ。実際に動くのよ、面白いでしょう。あなたたち(大姫と義高)も、こうして夫婦として仲良くすごろくができる日が早く来るといいわね。これを、あなたからのプレゼントと言って、あの方に差し上げなさい。きっと少しは慰めになるでしょうから」

大姫「これはステキだわ、母上、ありがとう」


さっそく、召使いの娘に命じて、これを義高よしたかの居室に運ばせました。義高よしたかはヘンテコなものが届いたな、程度に思って興味も感じなかったのですが、その数日後の夕方、ある老いたつぼねが、小太郎にこっそり接触し、重大な情報を伝えました。


老女「頼朝よりともさまは、婿どのを亡きものにしようと考えておいでです」

小太郎「なんだと!」

老女「朝敵たる義仲よしなかどのがああなった以上、義高さまが何を考えるか分かったものではない、と…」

小太郎「…それで、それを我らに伝えてどうする」

老女「私は、大姫おおひめから遣わされて参りました。この企みを、姫自身が漏れ聞いたのです。あなたがた、お逃げなさい。今夜中にです。我々ができる限り手引きします」


小太郎はすぐに義高にこの件を伝えました。


義高「とっくに覚悟はしていたことだ。しかし、大姫がせっかく言ってくれることだ、やれる限りやってみようか。どうせ失うものはない」


やがて夜が更け、義高よしたか主従は脱出にとりかかりました。女中たちが団体で動くときに、義高たちも混じって屋敷を出るという作戦です。これはうまくいきそうでした。


小太郎「しかし、我々がいなくなったことに気づけば、すぐに追跡が始まるだろう。できるだけ発覚を遅らせる方法があるといいが… そうだ」


小太郎は、先日大姫に贈られたカラクリ人形を部屋に設置し、灯りを調整して、表の障子に影を落とすようにしました。カラクリのスイッチを入れると、部屋の中でふたりの人物がすごろくを打っているように見えます。これはうまくいき、見張りの兵たちは、翌日の昼近くになるまで、義高たちがすごろくで遊んでいると思い込みました。


(原作では、すごろく人形の「音」のほうで見張りをだますのですが… まあこっちでも面白いし、いいよね)



さて、義高たちが逃亡したことを知った頼朝は、「すぐにあれらを追って討て、誰か、我こそはという者はいるか!」と怒鳴りました。


家臣たちはみな、一瞬だけ躊躇ちゅうちょしました。義高を殺すということは、政子まさこ大姫おおひめの恨みを買う仕事に他ならないからです。


しかし一人だけ、全くノータイムで手をあげたものがいます。石田いしだ為久ためひさです。「それがしが、今すぐに!」と叫びながら立ち上がると、頼朝の返事も聞かずに宿舎に走って準備をし、家来たちを呼び集めて手分けを決めました。


石田「俺は伊豆から箱根に向かって探す。光澄みつずみは武蔵方面、陰重かげしげは甲斐方面を行け。一刻も無駄にするな!」

家来たち「アイアイサー!」



義高よしたかたちは、武蔵の方向に逃げていました。ロクに休まずに昼夜を問わず走りまくって、3日もたったころには、川越かわごえ入間川いるまがわのあたりに到達しました。しかし、いいかげんヘトヘトです。


小太郎「今晩くらいは、ちゃんと屋根の下に泊まりましょう。体力をたくわえないと」

義高「そうだな。どこか、宿を貸してくれるところを探してくれるか。しかし我々は逃亡の身、充分に用心してくれよ」


もう日も暮れました。義高と小太郎はその後、河原にぽつんと建っている小さな家を見つけ、ここの住人に宿を借りられればよいが、と思いながら、なお用心のために門のあたりで中の様子をうかがいました。


中では、女がひとり、息子に琴と歌を教えているようです。しかし、この息子はなかなか物覚えが悪いようで、女のほうは何度も同じところを教えながら明らかにイラついていました。


女「お前はこれしきのことも覚えられないのかい! 武士の子に生まれながら体も弱い、目も見えない、それならせめて、食っていくための芸を身につけるしかないんだよ。しっかりなさいよ!(と、壁の胡弓こきゅうをとって息子をぶつ)」


息子「ごめんなさい、ごめんなさい」


家の中にはもう一人、女の娘とおぼしい人物もいます。娘「やめてあげて、お母様」


女は、そうしてすがりつく娘を振り払い、頭をかかえて逃げる息子を追って、家の外まで飛び出してきました。義高たちは、さすがに見るに忍びなく、女の前をさえぎりました。


義高よしたか「我々は旅の者だが… 何をそんなにイラついて、息子どのをぶちなさる。彼が気の毒だ、およしなさいよ」


女「あなたがたの知ったことではありません!(と、二人を押しやろうとする)」


そこに、灯りを持った娘が家から追って出てきました。「お母様、おねがいですから…」


この灯りで、旅人達は、そして家の者たちは、出会った人物がだれなのかをそれぞれ知って驚愕しました。


女「あなたは… まさか、御曹司おんぞうし! 義高よしたかさま!」

義高「お前は、唐糸からいとか!」


なんと、この小屋に住んでいたのは、義高の乳母だった、あの唐糸からいとです。そして一緒に居たのは、息子の大太郎だいたろう、そして姪の桟橋かけはしです。みな、あまりの偶然に言葉をうしなって驚きました。


義高「何があったんだ。聞かせてくれ。大太郎だいたろうは、目が見えんのか」

唐糸「私こそ教えていただきとうございます。御曹司おんぞうしは、鎌倉からどうやってここまで」


唐糸からいとは、「まずは中へ」と二人を家の中に導き、涙ながらに、今までのことを語りだしました。


- - -


われらが主、義仲よしなかさまが討ち死にされたことは、越後にいた私どもにもすぐに伝わりました。兄・兼平かねひらも、夫・光盛みつもりも… (手塚てづかの太郎たろう光盛みつもりはこのまとめでは初出ですが、まあ、いたんです)


私は大太郎だいたろう桟橋かけはしだけを連れて故郷から逃れ、流れ、流れて、ここ入間川いるまがわの河原に隠れ住むことになったのです。せめて家臣の何人かでも残っていれば、あるじのカタキを討つ戦いも始められるのでしょうが、私だけではなんともなりません。


大太郎はもともと病弱で、この春にはついに目まで見えなくなってしまいました。私はたまたま琴が得意なので、彼には琵琶法師になってもらい、食うに困らないようにさせたいと思っているのです。どうも才能には乏しいようで、よほど厳しく叩き込んでいるところですが、これもこの子のためです…


- - -


義高たちは、自分たちの今までのことも話しました。義高にとっては、父の死に立ち会えなかった無念、そして小太郎にとっては、主のために存分に戦えなかった無念がそれぞれ語られました。(小太郎と桟橋かけはしは、お互い許嫁だった同志が無事だったことが秘かに嬉しく、時々目をあわせます。しかしそんなことを口に出せるような雰囲気ではありません)


不意に、唐糸からいとが、風の音に気づいてキッと窓の外を見ます。


唐糸「いけない、あんまり不用心だったわ。もっと家の奥で、小声でしゃべらなくちゃ。私たちは逃亡の身なんですから」



唐糸からいとの用心は、遅きに過ぎました。とっくに、彼らのことに気づいたものがいたのですが… 続きは次回に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る