4. 猫間光実の誓い

猫間ねこま中納言ちゅうなごん光隆みつたかは、みずから死を選んでしまいました。さんざん木曾きその義仲よしなかに屈辱を受けるばかりで院からの使いをまともに果たせなかったこと、そしてみすみす家の宝を失ってしまったことに落とし前をつけるためだったのでしょう。


彼の家来だった因幡介いなばのすけ正忠まさただは、やっと義仲よしなかの館から解放されて、たいへん憔悴した様子で猫間ねこまの館に帰ってきました。そこで、彼の死体を囲んで嘆く親族・家来たちを目撃します。猫間の妻である八重垣やえがきは、この春生まれたばかりの鈴稚すずわかを抱きながら「これからどうすればいいというの」と泣き沈んでいます。


正忠まさただ「みな私のせいだ、私の短慮のせいで… かくなる上は、義仲よしなかの館にカチコんで、命の限り斬りまくってやる。これ以上おめおめと生きているわけにはいきませぬ!」


立ち上がってすぐにも部屋を駆けて出て行こうとする正忠まさただを、「待て」と呼び止める者があります。猫間ねこま光隆みつたかの弟、光実みつざねです。泣き腫らした様子ではありますが、すでに涙は止まっています。


光実みつさね「おぬしの無念、よく分かる。しかし、敵は数万騎を抱える猛将、何の考えもなしに突入しても犬死にだ」


正忠まさただ「しかしこのままでは」


光実みつさね「俺に任せてくれんか。考えがあるのだ。正忠まさただは、残された八重垣やえがきさんたちを支えてやってくれ。こちらのほうがずっと難しく、重要な役目だぞ。俺がやろうとしていることは、それに比べればやすき道だ。勝手ですまないが…」


こう言われてはこれ以上の言い合いもできず、正忠はわかりました、と答えて、男泣きに泣きました。



さて、猫間ねこまの死について朝廷のほうからは何のフォローもなく、むしろ荘園をすべて召し上げられ、家はあっけなく離散してしまいました。院の義仲よしなかを怖れる心もあったでしょうし、また、数々の不始末をしでかした猫間ねこまに不興を感じたのかもしれません。家来たちをすっかり失い、猫間の妻の八重垣やえがきとその子は、嵐山のふもとの小さな家に住居を移しました。そこには正忠まさただと彼の妻である葎戸むぐらと(と、その子の千江松ちえまつ)も住み、ささやかながら八重垣やえがきたちに仕えることになりました。


光実みつさね「仮にも、落ち着きましたね。じゃあみんな、達者で暮らしてください」

八重垣やえがき「どうしても行くのですか。あなたはまだ若く、力も十分でないわ」

光実みつさね「決めたことなのです。必ずカタキを討ち、そして家の宝である黄金の猫も取り返します。それでは」


猫間ねこま光実みつさねは、こうして敵討ちの旅に発ったのです。



木曾きその義仲よしなかの暴虐は、すでに許されざるレベルに達していました。後白河法皇をはじめとして、京にはすでに彼の味方と言える者はありません。義仲よしなかは朝廷・僧侶の要人をおびただしく殺し、ついに法皇さえも捕らえて監禁してしまいました。


このニュースを聞いて、ついに鎌倉の頼朝よりともが動きました。平家追討はいったん脇において、より重大な問題、朝敵となった義仲よしなかの討伐にとりかかったのです。かばの冠者かんじゃ範賴のりより九郎くろう義経よしつねが両大将となり、東国の他の武士たちも引き連れ、大軍となって都に向かいました。


これを迎え撃つ義仲は、戦力不足に悩まされました。たまたま別の戦で兵の大部分をそちらに割いていたため、東からくる精鋭部隊にとても対応しきれません。彼は都をいったん捨て、根拠地の信濃までもどって体勢を立て直すことにしました。側近たちとともに近江路をめざして逃げていくのですが、その途中にもたくさんの兵を、そして重要な家臣たちをみるみる失いました。もう兼平かねひらと500騎ほどしか残っていません。


義仲よしなか兼平かねひら、もう兵はこれだけなのか。石田が見えんな、あいつはどこにいる。まさか死んだのか」

兼平かねひら「死んだどころではありません。あいつは敵の間者だったのですよ。私はこの目で、あいつが敵側の範賴のりよりの隊に加わるところを見ましたぞ。あいつは怪しいと、たびたび私は進言申し上げていたのに」

義仲よしなか「そ、そうだったのか。私はあいつの思うようにそそのかされて暴れ狂い、ついに今回のような目にあったわけか…」

兼平かねひら「済んだことは仕方がありません。なんとしてでも私が血路を開き、あなた様を信濃までお返しいたす!」


しかし、こうしている間にも兵は減り続け、ついには義仲よしなか兼平かねひらの二騎だけになりました。


義仲よしなか「もうだめだな。最後はせめて、死ぬまで敵を斬りまくろう」

兼平かねひら「それは私がいたします。義仲よしなかさまはあそこの森までなんとか逃げ、心静かに腹をめされよ。私がそれまで守ります」


義仲よしなかは兼平のアドバイスに従い、一騎離れて森に向かいました。その途中、霜ですべり、氷の溶けた田んぼのぬかるみに、馬の足がはまってしまいました。


義仲よしなか「むむ、動け。動かんか。これしきのことで」


彼は焦り、さんざんに馬をムチ打ちますが、どうしようもありません。そして後ろを振り向いた義仲よしなかひたいを、一本の矢が貫きました。これを放ったのは、他ならぬ、石田いしだ為久ためひさです。


石田「とったあッ」


義仲よしなかはこの一撃で絶命しました。石田の家来、堀江ほりえ光澄みつすみ藤五とうご陰重かげしげの兄弟が彼を馬から引きずり落とし、その首を切り取りました。


兼平かねひらは主がこうして討ち死にしたのを見ると、「石田あッ」と叫び、あたりの敵をメチャクチャに斬り散らしながら、傷だらけになってその場に駆けつけました。しかしすでに石田たちは現場を離れており、どうしようもありません。


兼平かねひら「もはやこれまで。お主ら、武運尽きたものの手本として、この今井いまいの四郎しろう兼平かねひらが死に様、とくと見よ」


兼平かねひらはこう大音声で叫ぶと、刀の切っ先を口にくわえ、そのまま馬から飛び降りて、壮絶な最期を遂げました。これをもって、木曾きその義仲よしなかの反乱はすっかり鎮圧されたことになります。(義仲よしなかの他の残党の話は、スジにあんまり関係ないので省略します。)


こうして、頼朝よりともが派遣した鎮圧勢力は鎌倉に戻っていきました。その中には石田もいます。石田は自分が軍功一番であるとあたりの同僚に誇りまくりました。自信満々に頼朝よりともに面会すると、今までの経緯をつぶさに報告し、そして猫間ねこまから奪った黄金の猫も献上しました。義仲よしなかが気に入らなかったのを、自分が預かっていたのです。


頼朝よりとも「なかなか面白い猫の像だな。よくできている。他の件も…、うん、よくやった」


頼朝よりともは言葉少なに石田を褒め、しかし内心は、彼の恥知らずなやりかたに少なからぬ嫌悪感を感じました。石田は、自分が期待したほど莫大な恩賞を受け取ることはできませんでした。(彼自身は、何も道に外れた行いをしたという自覚はありません。その後も鼻高々で威張り続けました)



ところで、猫間ねこま光実みつさねの復讐の件はどうなったでしょうか? 彼は、さきの合戦に紛れ込み、なんとかして義仲よしなかに近づいて、そして討ち取ってやろうと動き回っていたのです。しかし、努力もむなしく、義仲よしなかは石田という男に討ち取られてしまったというニュースが聞こえてきました。


光実みつさね「なんということだ、復讐だけを誓ってここまで来たのに、俺の生きがいはこれでなくなってしまった…」


光実みつさねは自殺することを考えました。しかし、ひとつの考えが彼の脳裏に浮かびました。


光実みつさね「いや、義仲よしなかには子があり、彼は鎌倉にいると聞いたことがある。せめてそれを討ち、義仲への復讐の代わりとするのだ」


光実みつさねはこの思いつきを胸に鎌倉へ向かいました。しかし当然ながら、清水しみずの冠者かんじゃ義高よしたかは人質として(しかも今や朝敵に認定された義仲の息子として)頼朝が預かっているのですから、とてもこの警備をかいくぐって彼に近づくことはできなさそうです。


光実みつさね「今は無理でも、いつかチャンスがあるはずだ。必ず、この俺の手であいつを殺してやる。それまで、他の誰かに殺されるんじゃねえぞ…」

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