3. 義仲、猫をいじめる

征夷大将軍になれなかった木曾きその義仲よしなかは、それ以来、非常に乱暴な態度で京の人たちに怖れられるようになっていきました。義仲はのちに「あさひ将軍」というあだ名がつくのですが、これは、「まぶしい朝日のように、直視できない」という含みがあったとかなんとか。


実は、裏で義仲よしなかの怒りをあおり続けていたのは、側近の石田いしだ為久ためひさです。彼は実は頼朝よりともサイドから送り込まれた間者で、義仲よしなかを自滅させる展開を狙っているのでしたね。


石田「義仲よしなかさま、ちまたでは、まんまとライバルにおいしいとこ持ってかれた哀れなやつって評判ですよ。みんなが笑ってる、お日さまも笑ってる」

義仲よしなか「きーっ、ちくしょう」


兼平かねひらのような良識派の部下は、義仲よしなかにあんまりヤケにならないよう時々アドバイスをするのですが、義仲よしなかは京での乱暴狼藉をやめません。相手が町人だろうが貴族だろうがお構いなしで、ケンカ、カツアゲ、なんでもありです。「平家のときよりタチが悪いのでは」というウワサさえ聞こえはじめるようになりました。


後白河上皇は、ついに我慢がならなくなって、山門(延暦寺)に命じて義仲よしなかの誅伐さえ試みましたが… これらと北面の武士たちが束になってかかってみても、なお義仲よしなかの強さにはかなわないのでした。この市街戦によって、たくさんの要人が命を落としてしまいました。


後白河「これはかなわん。誰か、あいつに直接会って、なんとかして怒りをなだめ、言い分を聞いてきてやってくれ」


この難しい役目を命じられたのは、猫間ねこま中納言ちゅうなごん光隆みつたかきょうです。猫間ねこまは家臣の因幡介いなばのすけ正忠まさただを連れて、義仲よしなかの居所をたずね、取次ぎに義仲との対面を申し入れました。


取次ぎ「義仲よしなかさま、朝廷からの使いが来ています。猫間ねこまとかいう名の」

義仲よしなか「猫だと? 犬ならまだ狩りの役にも立ちそうなもんだが、猫には何の用もない」

取次ぎ「いえ、猫間ねこまという名の人物で」

義仲よしなか「フーン。まあ、会ってやるからここに通せよ」


そして、目の前に通された猫間に向かい…


義仲よしなか「やあ猫どの」

猫間「猫間ねこまでござる。院からの勅諚ちょくじょうをお伝えしに参った」

義仲よしなか「難しい話は猫には似合わん、よせよせ。この屋敷には幸いネズミもおらんし、お主の仕事は何もないぞ。ところでお主は山猫の子か、野良猫の子か」

猫間「…」

義仲よしなか「ああそうそう、ウチの花壇を荒らさないでくれよ。トゲトゲで鼻をこすっちゃっても知らんぞ」


猫間は黙ったまま穏やかな顔で話すチャンスを待っていましたが、後ろに控えていた正忠まさただのほうがついに我慢できなくなり、声をはりあげました。


正忠まさただ「わが主君を愚弄するのもいいかげんにせよ。猫間ねこまという土地をおさめられるから猫間ねこまどのなのだ。わが主君のさらに前の時代に、この土地で井戸を掘った際に、黄金の猫の像を得た。この金の猫があらわれて以来、周りの土地にはネズミが一匹も出なくなったという、霊験ある品だ。猫間とは、これを代々の宝とする家の名でもあり、まわりの土地全体の名前でもある。それはともかく、院の勅使ちょくしをケダモノ扱いするその無礼、狂気の沙汰であるぞ」


義仲よしなかはニヤニヤ笑ったままです。「つまり猫であってるんだろ? 猫っていうから、猫扱いしただけじゃん? 何怒ってんの、バッカじゃない。ネズミ一匹とれない、エセ猫のくせに」


フスマごしに石田が現れて、「猫間どのにお食事を持って参りました」と言い、ネコ用のボウルに山盛りにしたメシを猫間の目前に置きました。


義仲よしなか「おー、気が利くのう、石田。ほら猫どの、だ。たんと食え」

猫間「…」


猫間はあいかわらず一言も口を開かず、困ったように横を向いて、静かにかしこまったままです。あくまで、穏便にことを収めよ、との命令だからです。ただ、ここまでの愚弄に大いに腹をたてており、握った拳はかすかにわなないています。


義仲よしなか「どうした、食え、ん? (ボウルを猫間に押しつけて)食わんのか、ほら、ほら…」


猫間の前にさっと出た正忠まさただが、怒り満面、このボウルをひっつかんで、義仲よしなかに向かって投げつけました。義仲はこれを避けましたが、座敷じゅうに白いメシがバラバラと飛び散りました。


義仲よしなか「この無礼者が!」


義仲がこの一言を言い終わらないうちに、すぐに石田が走り寄って正忠まさただを組み伏せました。石田だけの力ではキレまくった正忠まさただが暴れるのを完全に押さえつけることはできず、さらにたくさんの郎党がなだれ込んできて、正忠の髪をひっぱって床に押しつけたりしながら、縄で縛り上げてしまいました。それでもなお、正忠まさただは顔を真っ赤にして、もがくのをやめません。


正忠まさただ「君はずかしめられる時は臣死す。義仲よしなかよ、死ぬ前にきさまのアゴを引き裂いてやれないのだけが残念だ」


わめきまくる正忠を、郎党たちが部屋の外に抱えて運んで行きました。義仲よしなかも、「ふん、バカバカしい」と言い捨てて、部屋を出て行ってしまいました。この場には猫間ねこま光隆みつたか石田いしだ為久ためひさだけが残されました。猫間ねこまは呆然としています。「穏便に済ませよ」どころではありません。大変なことになってしまいました。


猫間「…い、石田どの」

石田「(身づくろいを正しながら)なんでしょう」

猫間「このまま、勅諚ちょくじょうも伝えずにおめおめとは帰れませぬ。私だけではなく、このままではわがきみの恥も同然。しかも、その勅使が家臣まで捕らわれてしまったなどと…」

石田「お気の毒であるが、義仲よしなかさまは、いったん機嫌を損ねると、相手が誰であれ、あんなふうなのだ」

猫間「なんとかして、あの方をなだめてもらえぬか。そして正忠まさただをこちらに返してほしい」


石田「ふむ… まあ、方法はなくはない。こういうときに効くのは、と決まっておる」

猫間「武人に喜ばれるような鎧も、武器も、私どもは持っておらんが」

石田「うん。もとより、ハンパな品ではわがあるじは満足されん。のう、あれを差し上げてみてはどうだ。さっき言った、その黄金の猫というお宝を」

猫間「! そんな…」


猫間はこの提案にショックを受けてしばらく考え込んでしまいました。「まさか、家の宝を… いや、しかし、真に家を守るのは、正忠まさただのような人材であって、宝ではない。宝を守って家が滅べば、どんなに財宝を積み上げたって意味はないのだ…」


猫間は、「よろしゅうございます。あとで家のものに届けさせます」と約束し、いとまを乞うて車に乗りました。使いを家にやって猫の像のことを手配させ、そして自分は参内さんだいすると、さっきあったことを、摂政や上皇に報告しました。


摂政「あいつ、ハンパないです。もはやめちゃくちゃだ」

後白河「もう何でもいい、今のところはあいつの言うことを聞いてやるしかない…」



猫間ねこまは、金の猫が届けられたことを確認してから改めて義仲よしなかの屋敷に向かい、取次ぎの石田に、家臣の身柄を返してくれるよう頼みました。


石田「うん、彼の身柄はもう返すよ。帰って、待っておれ」

猫間「ホッ。あの金の猫のおかげですか」

石田「イヤ実は、あまりあるじはあれに興味がなさそうだった。お主の真心からの贈り物である、と私も兼平かねひらも色々説得しようとしたんだが、どうもな」

猫間「ではどうして正忠まさただを返していただけることになったのでしょう」

石田「聞いておらんか。ついさっき、後白河上皇からの勅諚ちょくじょうがウチに届いたのよ。『征夷大将軍に任命する』とな」

猫間「…」

石田「で、たちまちゴキゲン、ってことだ。もうお前にもお前の部下にも用はないから、そんだけのことさ」

猫間「…」


猫間ねこま光隆みつたかはそれから一言もなく、神妙な顔で自分の館に帰りました。そして、弟の猫間ねこま新太郎しんたろう光実みつざねの部屋に寄ると、彼にだけ、今までにあったことをすべて話しました。光実みつさねは16歳で、体が大きく力の強い男です。


光実みつさね「ひどすぎる! この恨み、なんとしてでも晴らしてやりたい」

光隆みつたか「うん。お前にだけはこの気持ちを伝えておきたかったのだ。ではな…」


光隆みつたかはおだやかな顔で弟と話を終え、自室に入りました。


そして翌朝、主を呼びに来た家のわらわが、光隆みつたかの割腹死体を発見しました。

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