2. 約束破る人キライ

木曾きその義仲よしなかは、頼朝よりともからの疑いを晴らすために、わが子である義高よしたかを養子(という名の人質)として差し出すことに決めました。頼朝からの使者には下のようなメッセージを持たせました。


義仲よしなか謀反の心ありなどとは、根も葉もないウワサと存ずる。昔も今も我らの宿願は変わりない。平家追討のこと、心やすく思し召されよ。それはともかく、義高よしたかを婿にとのご好意、ありがたくお受けする」


このメッセージには、無益な戦乱を避けるための義仲よしなかの犠牲の心がにじみ出ています。彼の家来やその妻たちは、みなを思いやる主人の心をと感じ、涙ながらに、今後も命をかけて彼に仕えようとの心を新たにしました。


そういうわけで義高よしたかは使者とともに鎌倉に旅立つこととなったのですが、彼には付き人をひとりつけてやるべきとの意見が出ました。


義仲よしなか「なるほど。だれに供をさせようか…」

兼平かねひら唐糸からいとの実子である大太郎だいたろうが立場的にはふさわしいですが… 彼はきわめて病弱で、ものの役には立ちがたい。唐糸からいとの甥にあたる、小太郎こたろう行氏ゆきうじがよいでしょう」

義仲「それがいいな」


こうして、清水しみずの冠者かんじゃ義高よしたかは、付き人の小太郎とともに頼朝よりともの陣まで連れて行かれ、彼と対面すると、そこからすぐに鎌倉に一緒に戻りました。すぐに義高よしたかには居室が用意され、いちおう何不自由ない生活ができることになりました。もちろん、人質としての厳重な警備の中で、ですが…


ただ、頼朝の妻である政子まさこと、娘の大姫おおひめは、頼朝よりともをあまり聞かされていません。単に、「わあ、お婿さんが来た」と喜びました。その後、ちっとも頼朝が義高を政子に会わせないので、ちょっと不審な感じはしましたが、「大姫もまだ15歳だし、お互いにちょっと早いものね。まあ、2・3年もすればどっちも結婚しておかしくない年齢になるわよね」くらいに納得して、母娘とも、無邪気にそのときを待ちわびました。



さて、こうして義高よしたかを手放した義仲よしなかではありますが、その武運は衰えず、数々の戦いで平家を破っていきました。倶利伽羅くりから峠で十万騎の敵を全滅させたなんていう有名な合戦は、このころのことですね。その後も破竹の勢いでガンガン進み、ついに都をうかがうあたりまで義仲よしなかは軍を進めました。


この日枝ひえという土地はなかなかまわりの風景がよく、軍議の合間に義仲は少数の部下を引き連れていろいろと歩き回ってみました。そこで義仲は、ちょっと不思議なものを見つけます。


義仲よしなか「この、ねずみほこらってのは何だろう」

同行の僧・覚明かくめい「これは、三井みい寺の頼豪らいごう阿闍梨あじゃりをまつるものですよ」

義仲よしなか「その坊主が、なんでネズミと関係あるんだ」

覚明「説明いたしましょうか…」


- - -


今から100年ほど前の、白河院の時代のことです。院はなかなか男子が生まれないことに悩んで、そのころ霊験あらたかなことで名高かった三井寺の賴豪らいごうに、祈祷の力で男子が生まれるように依頼したのです。もしうまくいけば何でも褒美をやる、と約束して。


賴豪らいごうは、全力を尽くしてこの祈祷にのぞみ、その甲斐あって、間もなく、本当に白河院は男の子をさずかることができたのでした。


大喜びした院はさっそく阿闍梨あじゃりを召し寄せ、なんでも望みを言ってみよ、と仰せられました。そこで彼が出した願いとは… 三井寺に戒壇かいだんを建てることを勅許ちょっきょいただきたい、ということでした。彼と、彼の寺にとっては長年の悲願でしたから。


戒壇かいだんってのは、公式に僧侶になるための儀式を行う場所のことです。お坊さんの世界にも権力争いってのはあって、延暦寺と三井寺はこの権利をめぐってとてももめていました)


この要求に、白河院はビビってしまいました。「いや、それだけはちょっと…」


延暦寺のほうでは、敵対する三井寺が戒壇を持つことに徹底的に反対していて、もしもそんなことになれば、暴れまくって京の都を大混乱に陥れるでしょう。院は、ほかの願いならなんでも聞くけど、戒壇かいだんの件だけはカンベン、と頼豪らいごうにワビを入れました。


頼豪「命をかけて祈祷したんですよ。なんでも聞いてくれるって言ったじゃないですか!」

白河「頼むよ、そういう無茶を言っちゃだめだよ…」


頼豪らいごうは深く失望しました。去り際に彼は、低い声で「じゃあ、こちらが差し上げたものも」と言い残しました。そしてそれ以降、一切の食事を断ち、仏堂に籠り切って、ミイラのようになるまで呪いの呪文を唱えながら死にました。


その後まもなく、せっかく生まれた皇子(淳文あつぶみ親王)は衰弱して本当に死んでしまいました。


白河院はその後、延暦寺のほうに男子誕生の祈祷を依頼しました。すると、これも頼豪らいごうの悪念のなせるわざでしょうか、巨大なネズミの群れがどこからともなく現れて比叡山じゅうに満ち、延暦寺にある経文を片っぱしから食い荒らしはじめました。


- - -


覚明「で、まあ、ネズミの悪霊となったその頼豪らいごう阿闍梨あじゃりを鎮めるために、このほこらがつくられたということです。それ以来、異変は止んだそうですよ」

義仲よしなか「なーるほどね。約束を破られた恨みの力ってことか。無理もない話だよな。それにしても、ネズミってのは俺にとって縁起がいいな」

覚明「なんでです」

義仲よしなかってのは、北の方角のことも表すじゃないか。北から来た男、それが俺ってことさ」

覚明「ははあ、なるほど…」


この話を気に入った義仲よしなかは、ほこらに秘密の祈願を捧げました。「これからもじゃんじゃん勝って、平家を滅ぼせますように。あと、頼朝よりともよりも偉くなれますように。やっぱ、なるなら征夷大将軍がいいな。もしこの願いが叶ったら、ここらの神社には目いっぱいの神田しんでんを寄進します」



さて、それから義仲よしなかはついに都に入りました。平家はこれを受けて西から逃げてしまっており、義仲は、平家の独裁から京を、朝廷を救った英雄として熱狂的に歓迎されました。後白河上皇は彼のこれまでの軍功を最大限にほめたたえました。


後白河「望むままの褒美をつかわすぞ!」


義仲よしなかにとっては、最高権力者である後白河上皇から何より聞きたかった言葉です。彼は喜びいさみ、「もし、義仲よしなかめがささやかでも朝恩にお応えできたのでしたら… それでしたら、私を征夷大将軍に任命いただきとうございます」と奏聞そうもんしました。


後白河「え、それは… ちょっと、そういうのは急にやれることじゃないし… ちょっと考えさせて」


義仲は、たいへん歯切れの悪い返答を聞かされました。その後、使者を通じて、「とりあえず備中のかみに任ずる」との公文書が送られてきました。たかだか一国をもらうために、ここまで命をかけて戦い抜いてきたのではないぞ、と、義仲よしなかは強い不満を感じました。


さらに悪いことに、その数年後、頼朝よりともが征夷大将軍に任命されたというニュースが京に流れました。


義仲よしなか「『望むままの褒美』と口にしたものを軽々しくひるがえし… そして、よりにもよって、征夷大将軍を頼朝よりともにだと… 俺の今までの苦労は何なんだ。許せねえ… 許せねえ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る