第31話 【マリー=テレーズ人生劇場】・続

【マリー=テレーズ人生劇場】・続



「少し出かけてくる」と、男が屋敷を留守にすることが多くなりました。それとともに、男からの贈り物も減っていきます。あなたは思うように生活できなくなったことに怒りを抱きます。

 頭を抱える男の姿を見ることも多くなりました。あなたの名を呼び、泣きながら足に縋りついてくる男。あなたは冷たくあしらいます。

「ねえ、早く次のドレスを作ってくれないの?」

 思えば、あなたの心無い言葉が彼を追い詰めていったのでしょう。あなたは男のことを好きなふりをしていただけです。男がどこで野垂れ死のうが何だっていいのでした。自分の生活が守られるのであれば。


「愛していると言ってくれ」

「愛しているわ、あなたのお金を」

「金はもうなくなってしまった。作ろうとしたら、人に足元を見られてだまし取られた」

「人を殺してでも奪い取ってきたら?」


 あなたのためならできるはずだと言えば、男は絶望した顔になります。


「もしも『あの人』とわたくし、どちらも死の危機に瀕してあなたに助けを求めたら、どっちを選ぶ?」


 眉間の皺を深くする男にあなたは落胆しました。落胆した自分にも落胆したのです。


「いい。もう聞きたくない。おまえは出ていけ、二度と来るな、この役立たず!」


 あなたは手元にあった楽器を男の背中に叩きつけました。男は恨めしげな顔をしながらも、一切文句を言うことなく出て行ったのです。

 一人になったあなたは、自分の発言に顔を青くしました。感情に任せて、男が見限ったら? どうやって生きて行くのだろう? 

 あなたは情緒不安定になっていきます。ちょっとしたことにも苛々し、小さなミスにも使用人を怒鳴りつけました。あなたの抱える不安を吐き出すにはそれしかなかったのです。

 しかしそれは、あなたの首をも絞めました。元々あなたに懐疑的だった使用人たちがあなたの世話をなまけ始めたのです。それは湯あみや着替え、ベッドメイキングといったものから、宝飾類の管理や食事に至るあらゆることでした。

 男が屋敷にいる時はましですが、男が外出した時などはひどいものでした。使用人たちは口々にあなたを言葉の暴力で貶め、罵っていきます。圧倒的な暴力は見えないところに傷を残していきました。ですが、あなたは男には自分の誇りにかけても絶対に言えることではなかったのです。

 そして、男が外出して三日目の夜。使用人の男が鬱憤晴らしに忍んできました。あなたは色々な物を投げて抵抗し、どうにか撃退しましたが、ランプの灯で姿見に浮かび上がった自分の姿に落胆を覚えます。

 あなたの姿は貧しかったあの頃と瓜二つなのでした。

 お腹がすいた、とあなたは床に座り込んだままお腹を押さえます。

 そういえばしばらく月の物も来ていないことにも気づきます。たまらなく怖くなりました。

 部屋の扉が開くのは、すべて男の意志次第でした。開かないままならばあなたは飢え死にするほかないのです。

 その事実が、あなたにあまりにも重くのしかかっていました。

 あなたは自分がどうして生きているのかわからなくなりました。死んだ方が楽なんじゃないかと思いました。

 十五歳のあなたは思いつめました。

 だからあの日、あなたは「男の秘密」を壊し、自分の命を絶つことを決断したのでした。

 ガラス片を首に押し当てた時、あなたの胸にはどのような思いが去来したのでしょう? そこには清々しさだけがあったようにはとても思えません。あなたの胸にだけ問うてみてください。


 あなたが死んだ後のことを語りましょう。

 まずはあなたの養父だった男は発狂して死にました。凶行に走ったことを知った親戚たちにより精神病院に押し込められたとも言われています。しかし、あなたを亡くしたことで空っぽになった男はそんなことさえどうでもよかったのでしょう。

 そして、その親戚たちには男があなたに執着した理由がわかっていたのです。しかし、身内の恥を晒すことは彼らに許せることではありませんでした。彼らが取った方法は、あなたがいた証を消し去ることでした。あなたのいた小部屋を封印したこともその一つです。また、男が隠し持ち、あなたが破り捨てた『本物の若き日のマリー=テレーズ女王』の肖像画も、そのまま燃やしてしまいました。

 あなたの書いた日記だけ、残りました。燃やすにはあまりにも恐ろしい代物だったからです。日記を手にした者は、口々に不気味なささやきを聞いたとのことです。後に教会から来た偉い神父様が偶然、この屋敷を訪れた時に日記のことをそれとなく匂わすと、触らぬようにするのが最善だという話でしたので、日記は後世にも引き継がれていきました。


 ああそうでした。あなたの運命が暗転した運命の夜、すなわち忌まわしい出来事が起きた嵐の夜について少しだけ語ることがあります。

 男があなたの花園を荒らすことにしたのは、ある男の偶然の訪問にありました。その旅人は、移動中に荒野で馬車が立ち往生し、やむなく男の屋敷に助けを求めたのです。

 旅人の訪れは誰も予期しないものでした。黒い外套を引きずるようにやってきた旅人は、階段を上っていくあなたをたまたま目撃し、平静を失いました。


「あの方がどうしてここにいるのだ!」


 白髪交じりの旅人は主人に食ってかかります。


「亡霊でも見たのでは? ここに若い女性はおりません」


 と、主人である男。表情が抜け落ちていました。


「それでも『いる』とおっしゃるのならば、私はここであなたを殺しましょう。あなたがもっとも大事にしている場所も人も潰しましょう。何でも、また寄付金が必要なのだとか聞いていますよ」


 男は使用人に手近なナイフを持ってこさせました。そのまま旅人に突きつけます。男と旅人は睨み合いました。


「年長者から忠告する」


 旅人は言いました。


「死者は決して戻らない。たとえ外見が同じでも、同じ環境、同じような人物に囲まれて育つことができようか。人が大量生産できる代物か? サン=モナークの御当主。あなたが後に苦しまなければいいのだが」

「問題ないです。私のマリー=テレーズは完璧だ」


 旅人は、男に憐れみの視線を投げかけ、立ち上がります。サン=モナーク家の馬車に乗り込み、今度こそ目的地を目指します。

 旅人、ヘンドリック=マーシャルは揺れる車窓から遠ざかる堅固な館を目にします。彼はイーズ大学の総長となっていたのでした。

 懐かしい顔を見た旅人は目を閉じました。


「死者は決して戻らない」


 自分に言い聞かせるように呟くのです。


「言い訳はたくさんできるな。『別人だった』。『脅された』。『助ける義理もない』。いくらでもある。だが……昔と比べると随分としがらみが増えたものだ。陛下がいなくなってもう何年経ったものか。もう、あまりにも長い月日が経ってしまっていたのだな。あの方ならどうしたろう。私が見捨てたあの少女のことを……」


 旅人は皺の多くなった目元を拭います。馬車はそのまま荒野の向こう、イーズへ急ぎます。

 彼がその館を訪れることは二度とありませんでした。


 ――さて。【マリー=テレーズ人生劇場】はこれにて閉演。ご来場ありがとうございました。お客様、ふたたびお目にかかる日を楽しみにしております。拍手喝采!


 ……客席のあなたもくらくらする頭を押さえながら立ち上がります。通路を歩くあなたを先導するのはタキシードのフクロウ。二つの足で器用に歩行しています。

 フクロウの開けた扉の隙間から、眩い光が細い筋となってあなたに注がれます。

 フクロウが礼儀正しく一礼し、翼で先を指し示します。行きなさい。そう言いたげに。

 あなたはここから一人で行くのです。この先にどれほどの苦難と困難、希望が待ち受けているのでしょうか。

 しかし、あなたはすぐに決断しました。

 光に向かい、踏み出せば。

 あなたはこの劇場のことを忘れてしまうのでしょう。

 ここは生と死の狭間の人生劇場。あなたにとっての白昼夢。あなたの目蓋の裏にある世界。儚く脆いものですが、二度と行けないわけではありません。あなたの後ろに伸びる長い影のように、切り離せないものでもあるのですから。

 いずれまた訪れることにもなるでしょうから、チケットのお買い上げは早めにどうぞ。

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