第30話 リディ・フロベール
数日後。
「同意します。だいぶ、変わりましたね。こうしていると、なんて言いますか、街中の好青年?」
「そうっすか……どうも」
彼は耳に着けたままの銀色のピアスをいじりながら視線を外側にそらしている。今日はずいぶんとそっけない反応をする。
「どうして恥ずかしがっているんだい、君?」
「先生には微妙な男心がわかってないから。真っ裸で外に飛び出したようなものなんすよ、今」
「たかだか髪を元の色に戻しただけだろうに。馬鹿らしい」
「俺には一大事なんすよ、もう!」
へえ、と先生は大した興味を持たないですぐに閲覧室の方へ歩み去った。今日の閲覧の立ち合いは別の職員になっているため、私はそのまま見送った。つい先日に訪問の連絡があったので、挨拶に顔を出しただけなのだ。
「サーチマンさんも行かれますよね?」
「まあ、あとで」
青から染め直したらしい、癖っ毛の茶髪をがしがしと掻き揚げた彼は何かを言いどもるような仕草を見せる。その視線はやがて私の腕に抱えたテディベアに集まった。
「前、しゃべっていたテディベアっすよね。今も持っているんすね。すっかり落ち着いているようでよかった」
「ええ、なんとか。あの時はサーチマンさんにもいろいろと迷惑がかかっていたみたいでごめんなさい」
「いいえ! いいんすよ。過ぎてしまえばなかなか面白い体験でした! 面白いと言っては怒られるかもしれないんすけど。まさかキスでリディさんが元に戻るなんて思わないっすよ。あれは今でも不思議です」
彼は笑みを浮かべた。
「それにしても。俺の髪を見た時、リディさん、とても驚いていたっすよね。目がこんなに真ん丸になっていて」
彼はその目の大きさを示すように指で輪を作ってみせる。
「そんな大げさな」
「冗談じゃないっすよ。少しは真面目に見えるっすかね?」
「見ていて安心する色だとは思いますよ。何か心境の変化でもあったんですか?」
「ちょっと真面目に勉強してみようかな、という気になったので、とりあえず形から入ろうと思いまして。先生はいつも子どものキャンディーにあるようなまずそうな色だって言ってくるし。リディさんもこっちの方がいいっすか?」
私はうん、と頷いた。
「個人的には今の方がいいかな」
「よかった。実はこの髪型にしたのは、リディさんの影響なんすよ」
「私?」
「そう。リディさんは俺より年下なのにもう
彼の決意を聞かされて、彼のその前向きな姿勢は見習うべきだと感じた。彼は自分を変えようとしている。
私はどうだろう。昔より良い方向に変わっているだろうか?
少なくとも、私は前の人生とは別の結末を迎えたいものだ。たとえば、他人と幸福を分け合い、もらった幸福をそのまま返せるような素晴らしい未来があればいい。
「いいですね」
「でしょ? ところで、実は、今日の夜ですが何か予定はありますか?」
「今日の夜? ええ、予定はありますよ」
「あ。そうっすか」
期待に満ちた彼の顔が一瞬で曇る。
「それは残念っすね」
私はほんの一瞬だけ、今夜の予定を言ったらどう反応するのかを想像する。彼は今晩行われる私の見合いを止めるだろうか。
「人に誤解されるような言動は慎むようにしているの。サーチマンさんの恋人に誤解されてしまうのは困るから」
「えっ?」
彼が凍り付く。私は重ねて、でしょう? と問いかけた。
「で、でも、俺は……」
しどろもどろに彼は弁明しようとする。彼の動揺を醒めた目で見つめる私は、きっと薄情だ。
「私にはサーチマンさんにすべてを話せない事情があるし、そこを深く追及しないでいてくれることには感謝している。だから私もサーチマンさんの事情をとやかく言わないでおこうと思って」
彼の口が間抜けに開いては閉じを繰り返す。
「……俺、リディさんには絶対かなわないっすね。俺ってそんなにわかりやすいのかな?」
「ただの勘ですよ」
彼は後頭部をぽりぽりと掻いた。
「たしかに、恋人はいます。もうずいぶんと会っていませんし、向こうは俺のことは忘れているかもしれませんが。……でも、リディさんを好きになればいいな、とは思っていました」
「その人を忘れさせてほしいって?」
気まずそうに頷く彼。
「それは、私がサーチマンさんを好きでたまらず、なりふり構わず好きになってほしいという気持ちがあれば乗ったかもしれませんね」
「やっぱり違うんすよね?」
「ええ。そう思われるような行動をとっていたなら申し訳ないのですが」
「そんなことは。でも俺に都合よく解釈しすぎていたんすね。ちっとも気づかなかった……」
レオ青年は力なく笑う。
腕の中のテディベアがもぞもぞと動き、「どうしてこうなっちゃうの」と小声で呟くのだが、私はその口を軽く塞ぐ。
一方の彼はテディベアの声が耳に入らないのか、切り替わったように明るい声を上げた。
「ああ、もう! 初対面から茶髪に戻しとけばよかった! もっとイケてる男だったらよかったのに!」
茶髪に戻ったところで対応が変わるかわからないが、私は彼がこの場を笑い話として納めようとしているのを感じ、笑みで答える。
「初対面は容姿でも、次には中身が大事になってくるじゃないですか。しばらくは宣言通り勉強に集中しろということかも。……そろそろ閲覧室に行かないと。今頃、先生が気にされているかもしれませんよ」
「そうっすね。ならそろそろ。では、また」
「また」
彼は軽く手を振ってから玄関ホールへ駆け出した。
相手からの好意があると感じるのはどれだけ心地よいことか。それは自尊心を満たしてくれる麻薬のようなもの。
レオ青年と私。どちらもずるい人間だった。
だから、彼がどんなに思わせぶりな態度を取り、私に理解を示そうともこれ以上の誘いには乗らない。
それでいいのだ。
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