第26話 テディベア
古くからの大学都市、イーズのレストラン。夕方の鐘が鳴り響いてから、客の数が増えてきた。
温かな料理を前にしながら彼と話をしているうちに、ふっと気が遠くなる。
思わず胸元を押さえ、自分に向かって言い聞かせる。
だめよ、リディ・フロベール。出てくることは許さない。この身体はわたしのものよ。
あなたの家も、家族も友人も、恋人も……居場所も、ぜんぶ奪ってやるんだから。
「ねえ、人は死んだらどうなると思う?」
「え?」
青年の戸惑った声。わたしはなぜだか笑えて来てしまった。きっとわたしの問いは、まだ彼が想像すらしていない境地に踏み込むものだろうから。
「凍えて冷たいどこかへ連れていかれるの。今までいたところとは同じ場所であるはずなのに、明らかに違うところ。もう二度と熱のある場所には戻れずに、さまよい続けるしかない。少なくともわたしはそう」
「……救いがない話っすね」
「そう。救いはない。その代わりに誰かの目蓋の裏側に棲みつくわ。そうやってさみしさを紛らわす。わたしはレオの未来の姿かもしれないわよ?」
「じゃあ、魂を救ってくれる神様はいないんすか? 教会ではそう教えられましたけど」
「わたしには神様なんていない。誰も救ってくれようともしなかった」
お行儀悪くグラスを手首で軽く回す。
あの人がわたしに女王の面影を見出してしまったこと。それこそがわたしの運命を決めてしまった。女王に似ていたわたしと、女王に恋い焦がれたあの人の、数奇な巡りあわせが起こってしまった。
「昔、神話で読んだことがあるの。死後の世界は真っ暗な洞窟の中で、とある人が亡くなった妻を連れ戻しに行くの。でも、禁じられていたのにも関わらず、夫は洞窟の中で後ろの妻を振り返ってしまって、もう二度と妻に会えなかった。そんな悲しい話。……誰がわたしのためにそんな危険をおかしてくれるのかしら」
あの人が? いいや、違う。あの人はわたしを通して別の人を見ていたから、わたしが死んだところで痛くもかゆくもない。
「俺には死んだ後のことはわからないっすけど、死ぬ前に後悔しないように生きたいとは思うっす。でもそれは、たぶんリディさんだって同じじゃないかな。人間なら誰だって思うんじゃないですか。あなたが苦しんでいたのは十分わかりました。でもリディさんを返してください。悔しいからと言ってなり替わろうとするのは絶対にやってはいけないことですよ」
「しらないわそんなの。好きなようにやるだけだもの」
「マリーさん」
「……しらないったら!」
わたしは手元にあったテディベアを力任せに投げつけた。
レオの胸元に当たり、落ちた。ぐぎゃ、と悲鳴を上げて。彼ではなく、テディベアが。
レオに買ってもらったテディベア。存在を忘れかけていた。しかし今は。
テーブルで仰向けになったふわふわの毛並みから話し声がする。
『びっくりした……』
それも聞き覚えのある声が。
気づけば笑い出していた。リディ・フロベールがあまりにも間抜けな姿をさらしている、その滑稽さに。また、自分を脅かす者が戻ってきた恐れを隠して。
「別の容れ物に入ったのね!」
「え、え、どういうことっすか? え、なんだろ、コレ」
レオはテディベアの両足を抱えてながめすがめつし、「テディベアがしゃべってる!」と小声で叫んだ。
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