第5話 グラーシュを食べながら

 注文した料理が二人分まとめて届いた。


 イーズ名物のグラーシュ。グラーシュとは、牛肉の煮込みシチューだ。トマトベースのシチューには玉ねぎやニンジン、スパイスが入り、しっかり煮込んだ肉はスプーンを入れただけでほぐれてしまうほど柔らかい。


 ふう、ふう、とスプーンの上で冷ましながら口に運ぶ。どろりとしたスープに浸かっていた肉は口の中でほろほろと崩れていく。トマトの酸味が効いたシチューに舌鼓を打つ。

 向かい側の青年はうかない顔で料理を食べていた。

 ちょうど話の核心に行こうとしていた時に、間が悪いことに料理が来てしまったのだ。

 途端に彼は自分の発言がいかにも失礼な物言いだったことに気付いたのか、そのまま黙り込んでしまった。

 これでは埒が明かない。私の方から口火を切る。


「青いヒヤシンスはそれこそ偶然ですよ。ヘンドリック・マーシャルは今でも偉大な学者ですし、私自身も尊敬しています。今日、イーズまで来る機会があったので、ついでに献花しようと思って」


 青年は食べる手を止める。


「そ、そうっすか。そうっすよね。いやあ、何でこんなことを言ってるんだろ! すんません、なんか気になっちゃって!」

「大丈夫ですよ。それよりも少し気になったのですが、あなたの家はヘンドリック・マーシャルと何か関係が?」

「ああ。俺、子孫っす」

「へ?」

「母方がマーシャル家っす。もう直系もいなくなっちゃったんで、俺とうちの母親が血が濃いってことで、遺言を引き継いでいるんすよ。墓参りも俺の役目で」


 私はまじまじとレオ・サーチマンを眺める。青い短髪に薄い顔。耳に光る銀色のピアスが目立つ。服装こそ、白いシャツに濃緑のジャケット、黒のスラックスで畏まっていたが。

 ヘンドリック先生の面影は微塵もない。あえて言うならよく動きそうな黒い瞳ぐらいのもの。

 しかし、意外だ。私の知る限り、先生は独身だった。女王の死後に結婚したのか。


「だからか知らないけど、俺の家系は学者や教師がやたら多いっすよ。俺の母も教授ですし、母方の祖父も大学で学部長をやってました。で、俺自身も大学院生っす」

「立派な家系ですね」

「そんなこともないっすよ。俺、先生にはいつもダメなぽんこつ野郎だって思われてる落ちこぼれっす。今日もうまくいきませんでした。見てたでしょ?」

「ええ。でも学生のうちは色々言われても仕方がないでしょう?」

「そうっすけど」


 ちぇー、とふてくされながら料理を大口いっぱいに詰め込んでいる。


「そういえば、その発表のことだけど。少しお聞きしてもいいですか?」

「何っすか」

「今日の発表で変わった資料を出してきていたでしょ? マリー=テレーズ女王の日記だとか……。あれってどこから出てきたもの?」

「ああ、あれっすか。うーん」


 こちらをちらっと一瞥し、右耳のピアスをいじる。無意識の癖らしい。


「どうしてそんなことを? 興味があるんすか?」

「もちろん興味があるから」

「うちの先生も最初はそんな感じで……いやもっとテンションがバリ高だったんすけどね。読んでいくうちに段々と険しい顔になっていったんすよ。で、今日の発表には態度が百八十度回転っすよ。あなたは……あ、名前聞いてもいいっすか?」

「リディ・フロベール」

「その、リディさんは今日の発表を聞いて、どう思ったっすか。あれが偽物だって思います……?」

「まあ、先生がおっしゃっていたのももっともじゃない? 偽物の可能性は十分あると思う」


 当事者の私にも覚えがないのだから。

 レオ青年はあからさまに落胆の表情を作る。


「やっぱり……」

「ただ、あれは《レポジトリ》で投影されたものに過ぎないでしょ。少なくとも私は実物を見ていないから断言できないところはある。気になることはとことん調べないと気が済まないの。だから、見せてもらえないかなと思って」

「そういうコトっすね」


 相手は考える素振りを見せる。


「いいっすよ。見せても。俺もあの日記の真偽がわからなくなってきました。リディさんも研究者でしょ? 見てもらったら何かわかるかも。ちなみに、どこの大学っすか?」

「いえ、大学ではないの」

「ああ、研究機関っすね?」

「国立国民議会図書館(ポンパドーラ)なの」

「へ……はいっ?」


 青年は目を見張った。


「採用倍率一千倍の超エリート集団っすよね……? え、本当に? あそこって年のいってる人が多いって聞いてるっすけど。リディさんっていくつ……?」

「たぶんサーチマンさんより年下だと思う。いくつ?」

「二十四……っす」

「やっぱり。私、二十歳なの」


 ぽかんと間抜けに青年の口が開く。


「嘘でしょ! てっきりもっと年上かと思った! え、思っていたより若っ! 二十歳で国立国民議会図書館(ポンパドーラ)って、え、天才っすか!」


 二十四歳から見た私は、年上に分類されるらしい。精神年齢はともかく、肉体年齢と外見は若々しいはずなのに。


 ひとしきり騒いだレオ青年は気分が落ち着いたタイミングで、またピアスをいじっていた。今度は左耳だ。


「さっきも言ったように見せてもいいっすよ、日記。ただ、個人が所蔵しているもんなんで、見せてもらうにも少し手間がかかるっす。なんで、わかり次第連絡するんで、連絡先を教えてもらっていいっすか」


 了承した私は、その場で連絡先を交換した。

 話はとんとん拍子に進み、次の休みに日記を見に行くことが決まった。

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