第3話 シンポジウム


 首都の高速鉄道で約二時間。中世から続く街並みが美しい街、イーズに着いた。ここは古くから街全体が大学で成り立つ。

 このイーズ大学はかつてこの都市を治めた領主の保護下で発展した大学だ。現在でも国内有数の有名校であり、数多くの著名人を輩出している。

 特に文学部は神学部に次いだ長い歴史がある。建築物もそれに応じたのか、赤茶けた外壁に緑の蔦が覆っており、幾度も修復を施された痕が見える。この一室がシンポジウムの会場とされていた。


 チラシを頼りに辿り着くと、主催者で発表者であるはずの先生が自ら受付まで行っていた。


「先生、こんにちは」

「やあ、本当に来てくれたね」


 先生は出席者一覧に私の名前を書き加えた。


「はい、たまたま休日だったので。終わったら観光をしてから帰ります」

「君はイーズまで来るのは初めて?」

「そうですね。前々から来たいとは思いつつも、なかなか機会がなかったんですよ」

「ここはいいところだよ。緑も多いし、流れる時間も首都などよりはよほどゆったりしている。研究に集中しやすい環境だよ」

「建物も古いものをそのまま使っていて驚きました」

「ああ。四百年経つ建物なんだよ。僕のような人間にはこういうところは大好物でね」

「歴史に囲まれているわけですね」

「そうさ。君も今日はゆっくりしていくといい。そうだ、終了後に打ち上げパーティーがあるからどうかい?」

「ありがたいですが、やめておきます。気ままに観光する時間がなくなってしまいますから」

「そうかい。せっかく君のことを皆に紹介しようと思ったのだが」

「すみません、今日は日帰りのつもりなので」


 なおも誘おうとする先生に断りを入れると、先生も引き下がった。

 そもそもシンポジウムそのものが今回の旅の主目的でないのだ。


 ここイーズは、マリー=テレーズ女王の記憶の中で大切な場所として刻まれている。三百年前経った今の姿をこの際に見たいと考えていた。



 すり鉢状の会場には、先生が心配したように人がまばらにしか座っていない。それでもサクラと思しき学生が何人か退屈そうなあくびとともに席についている。

 紙の発表資料を受け取り、適当な端の席に座る。始まるまでに資料に目を通していると、二人目の発表者の内容に愕然とした。


――《女王マリー=テレーズの日記に関する考察 ―女王の恋日記の発見について》。



 恋日記とは何? 慌てて資料をめくる。

 出どころはイーズ近郊の邸宅らしい。その恋日記の写真まで掲載されている。


『会えない日々、夜にはあなたのことを思い出す。きっと手を触れ合せることすら許されないのに。あなたが手の甲を取れば、その手から私の気持ちは溢れ出てしまい、この恋は人に知られるものになってしまうのでしょう』

『多くの宝石よりも、あなたの方がきらめいている。あなたの愛の言葉で今日も生きていられるのです』

『秋が深まり、冷えてくると、あなたのぬくもりが欲しくなります。幾重もの壁を乗り越えて、私に会いに来て』


 口元を押さえながら、「まずい、これはまずい」と呻いた。なにこれ、ものすごく恥ずかしい。頭に砂糖菓子が詰まったような文章だ。

 こういう時、ただのリディでは否定する術がない。


 しかし、一体どういうことだろう。

 多くの君主の例に漏れず、マリー=テレーズも日記をつけていた。その一部は現存し、国立国民議会図書館(ポンパドーラ)に収蔵されている。その内容も、自分で書いたものだからわかる。

 問題は、こんなこっぱずかしい「恋日記」を自分で書いた覚えがないことだ。それも前世の私の恋ならば、何らかの記憶はあってしかるべきではないか。

 それほどに昔の恋だというのなら、まだ納得できるが。


 もやもやとする気持ちを抱えたまま、シンポジウムは始まった。件の発表は二番目。登壇する人物を注視する。


 レオ・サーチマン。プロフィールによると、イーズ大学の大学院生。真っ青に染めた髪に銀色のピアス。本当に学生かと思うほどに浮いている彼は肩書に似合わず、路上で音楽活動をしていそうな青年だった。


「レオ・サーチマンです。どうぞよろしく。本日は先日発見された女王マリー=テレーズの日記に関する発表をします」


 彼は手元の端末を操作する。すると、手元の机から問題の資料のホログラムが浮かぶ。最近、教育や調査機関で急速に普及しつつある《レポジトリ》という最新技術だ。

 この《レポジトリ》では、電子資料を三次元的に投影できる。この投影には特殊端末が必要で、これを用いれば、投影された資料は自分の手で操作できる。本のように頁をめくることも可能だ。

 国立国民議会図書館ポンパドーラでも先日導入されたばかりだが、膨大な所蔵数を抱える国立国民議会図書館ポンパドーラでは本格的な実用はまだ先だ。


 《レポジトリ》で投影された日記は茶色に染色した皮に、背表紙と右下の角がワインレッドの皮で装丁されたものだ。大きさは気軽に手に取れるほど。見返しには『マリー=テレーズ』のサイン。めくって手書きの筆跡を確認すると、そこにも蜂蜜のように甘い言葉がこれでもかと盛ってある。書き手は花畑で呼吸しているような恋愛脳だろうが、それが間違いなく自分の筆跡に見えるという不思議。


 発表内容は「この女王の日記に書いた相手は誰か」ということだ。《円卓の騎士たち》が次々と候補として挙げられ、歴史的事実や記述の違和感からそれぞれ却下されていく。


 そして女王の相手は依然不明であるという結論が導き出された。

 前列で発表を見ていた先生を見れば、渋い顔。普段は温厚な人であるので、うわぁと顔が引きつる。


「だって、そもそもその日記自体が胡散臭い。取り上げるにはリスキーだ」


 発表後のディスカッション。先生は開口一番に指摘した。


「でも、女王の筆跡で間違いないと先生もおっしゃっていたっすよね?」


 そうだよ。先生は不機嫌そうに言い捨てた。


「だがね、これまで女王のことを研究してきた私の勘にはあんまり引っかからない。女王はそんなに色恋に情熱を燃やしていただろうかね。彼女はもっと合理的で、打算的、時に冷酷にも見える人物ではなかったかと思われるのだがね。サーチマン君はまず、すでに価値が認められた資料から研究するべきだと思うね。今のままでは難易度が極端に高くなるし、女王の新たな人物像を開拓するには根拠が足りない」

「うえー……」

「大体だ。そのお菓子の人工着色料みたいな髪型で発表したところで君の論の説得力が著しく損なわれるとは思わないかね? あんまり礼儀だなんだとは言いたくないが、学生の身分ではまだまだ好き勝手はできないよ」

「これは俺の主義っすよ」

「ならその主義は僕が引っこ抜いて粉砕してやろうか」

「うえー……」 


 今時の若者が不平を訴えるが、先生は聞く耳を持たない。レオ青年は肩を落とし、自分の席にぐったりともたれかかった。


―—まあ、普通は偽物だよね。


 これまで、私の持つ記憶と史実はすべて一致してきた。昔は自分の持つ別人の記憶に多少なりとも疑問を持ち、あれこれと自分で調査してきた。しかし、どれだけ探っても、結果は変わらない。

 記憶の移殖という現象がない以上は、私は女王の「生まれ変わり」と理解するのが自然だ。

 その私にはあの日記に関する記憶がないということ。

 偽物だと結論づけられていても、女王の筆跡そのもので書かれていることは疑いようもない事実。気にならないと言えば嘘になる。

 《レポジトリ》から投影したものではない、実物を見る機会に恵まれないだろうか。


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