第2話 プレゼントをしよう

 さて、どうしよう。

 ルウは自分の部屋によく似たホテルの最上階のスイートルームで、革靴をこつこつ鳴らしながら歩き回っていた。

 ピイに婚約者がいる。恋人どころではない、婚約者だ!

 自分が焦っていることに少しずつ気づき始めた。ルウは醜くなくむしろ整った容貌をしているし、都会の紳士だ。今まで落ちない女性はいなかった。それなのにピイは自分に友情以上の感情を持っているように見えない。このままでは彼女は結婚してしまう。何か手はないか、ルウは考え始めた。

 こうこうと明るく輝くシャンデリアの下で立ちどまって考えて、ルウは指を鳴らした。

「プレゼントだ」

 そうだ、それしかない。自分の容姿やふるまいがピイの目にとまらないのなら、プレゼントで気を引いて、あとは得意の話術でどうにかするしかない。そのうちにピイも自分の魅力に気づいてくれるだろう。

 ルウはそんな目算をして、黒いパジャマを着たままベッドに入った。ここには揺り椅子がない。そればかりは不満だ。彼は灯りを消し、じっと暗闇に目を凝らした。

 母が死んでもう何年経つだろう。

 自分が成功者になってからは何年だ?

 母が生きていたら、今の自分を喜んでくれるだろうか。

 こんなことをぐるぐる考えながら、ルウはいつの間にか丸くなって眠っていた。

「ここが職人街か」

 ルウは、職人の木をシンボルのようにして広がる、雑然とした街を見た。広い湖、走り回るねずみたち、様々な工芸品、機械。なかなか面白い街のように思えた。

 目の前を白地に黒いぶちねずみが走り去ろうとしていた。何やら工具を抱えている。ルウは彼に声をかけた。

「ちょっと訊きたいんだが」

 ぶちねずみはいらいらしながら少しのんびりと話すルウのほうを見た。

「何だよ」

「宝石職人はどこかな。探しているんだけれど見つからなくて」

「あっち。湖の真ん中の島では装飾品や洋服の製造をしてるよ。渡し舟で行ってみな」

 ルウはお礼を言おうとしたが、間に合わなかった。ぶちねずみはそんなものどうでもいい、と言わんばかりに走って行ってしまった。

 騒々しい街だ。

 ルウはレストラン街の優雅さと比較して呆れた。そしててくてくときっちりとした石畳の上を歩き始めた。ここは本当に騒々しい。楽しい街だけれど、騒々しい。

 大きな桟橋に着くと、貨物用の蒸気船があったので、船長と交渉して乗ることにした。船長はルウののんびりした態度が気に食わないのか、それ以降話しかけてこない。だからルウは運転室の隅で湖を眺めていた。広い広い湖。その真ん中にある島。白い建物が立ち並ぶ。そこではたくさんのねずみたちが湖の外でのようにせかせか歩き回っている。手には大きな宝石の塊が見えた。凝った絨毯のようなものもある。装飾品だけの職人島。なかなか面白そうだ。

 たどり着くと、石畳の道に、寒いのに道側の壁がない建物がたくさん、整然と並んでいる。その中で絨毯やら陶磁器やらの製造がされている。ルウは山高帽をちょっと上げながら、一つ一つ見る。宝石職人はいた。ルウは大粒のモルガナイトを買った。淡い、何ともいえない紫色の宝石。ピイにはこういう淡い色の宝石が似合う。だから彼女の婚約者もピンクサファイアを指輪の飾りに選んだのだろう。値段では負けていない。それに指輪にもペンダントにもしないでただカットされた宝石を渡すことは、粋だと思った。売った職人には変な顔をされたけれど。

 ルウは宝石の入ったケースをポケットに入れて、にまにまと笑いながら歩いた。他に彼女の気に入りそうなものを買ってみようと思っていたのだ。

 ふと、小さな工房に気がつく。そこは静かで、硬いものを叩いたり切ったりする騒がしい音がしない。薄暗い。職人も一人だ。工房には、無数の帽子が並んでいた。

「あの」

 ルウは思わず声をかける。

「帽子職人の方ですか」

 椅子に座って、太い針で赤いベレー帽の飾りを縫いつけていた茶色いねずみは、顔を上げた。温厚そうな垂れた目をして、陽気に笑いかけてくる。他の職人たちとは様子が違うので、ルウは少し面食らった。

「わたしが作っているものが、ワインやチーズに見えますか」

 帽子職人はにっこりと笑ってルウをじっと見た。ルウは自分のことをあっさり見破った彼に、少し驚く。

「わたしの店においでになったことがあるのですか」

「ありませんよ」

 ねずみは後ろを向いた。背中の毛が硬くなって、とげのようになっている。とげねずみのようだ。とげねずみは部品を手に取ってまた椅子に座り、それをベレー帽の飾りに縫い付けた。見ると、繊細な革の花になっている。とてもセンスがいい。

「どうしてわたしをご存知なのですか」

「新聞で見ました」

「わたしの店に興味がないのに?」

「ないですよ。ただ記憶力がいいだけです」

 にこにこと、笑いながらベレー帽を点検する。ルウは不思議と侮辱された気はしなかった。彼はとにかくこの帽子職人のセンスが気に入った。ピイに帽子を。そう思うと胸が高鳴る。

「梅の木ルウさん」

「はい」

「帽子を作ってほしいのですか?」

「はい」

 ルウは目を輝かせて職人を見た。彼はただ笑っている。

「誰に? どんな帽子を?」

「桜の木ピイさんに、かわいらしい帽子を」

 一瞬、とげねずみの職人は真顔になる。そしてまたにこにこと笑い出す。

「彼女はこの間一つ手に入れたばかりですよ」

「あなたから?」

「わたしが作った帽子を。かわいらしい帽子ですよ。枯れ草色のクロッシェ。都会で流行の鐘形の深くて丸い帽子です。素材はフェルトだったな」

「わたしにも作ってください。彼女と同じ素材で、山高帽を」

 思わず、ルウはそう言ってしまっていた。帽子職人は笑顔を深め、

「どうしてですか?」

 と訊く。

「どうしてもこうしても、彼女と同じ素材の帽子がほしいのです」

「彼女を愛している?」

「はい」

 帽子職人はしばらく思案しているようだった。その間もにこにこと笑い続けている。

「わかりました。作りましょう」

 帽子職人はそう言った。

「明日出来上がりますから、また来てください」

「あの」

 嬉しくてたまらないルウは、にやにや笑いをかみ殺しながら尋ねる。

「あなたのお名前は?」

 帽子職人は微笑んだ。

「わたしはラー。帽子職人のラーです」

 次の日、ラーの作った見事な彼草色の山高帽を被って、浮き立つ気分でルウはピイの家に向かった。枯れ草だらけの街を高級車で駆け抜ける。ピイの家の庭に着くと、中はとても賑やかだった。

「それでね、今度ピイをルウさんの店に連れていくんだ。すっごくおいしいんだよ。ぼく自身楽しみなんだ」

「それはよかったね、リン」

 低くて優しげな男の声。ルウはぎょっとしてドアの前に立ち止まる。

「ピイと二人っきりで行ってくるよ。嫉妬しないでよね」

「しないよ。君はまだガキだろ」

「ガキとはひどいね。ぼくはもうすぐ大人なんだから。第一小さなぼくに嫉妬して意地悪したこと、忘れたの?」

「何のことかな?」

「二人とも、お客様がいらしたわよ。静かに」

 笑いを含んだピイの声。とても楽しそうだ。ルウは背筋を伸ばしてドアが開くのを待った。

「あら、ルウさん」

 白く愛らしいピイの顔を見ると、ほっとする。ルウは微笑んで、ちょっと山高帽を引き上げた。

「素敵な帽子ですね」

「そうですか? ありがとうございます」

「お入りになってください」

「どうも」

 中にいたのは一昨日も見たかやねずみの少年リンと、見慣れぬ黒ねずみの若い男だった。にっこりと微笑んでいる。指には飾りのない指輪。この男がそうか。

「はじめまして、シムリさん」

 シムリは驚いたように目を丸くして、笑った。

「はじめまして、梅の木ルウさん。よくぼくの名前をご存知でしたね」

「リン君から聞いていたんです。それに、その指輪」

 シムリは自分の左手を見て、ああ、とうなずく。

「ピイの指輪を作った職人の方に頼んで、簡単に作ってもらったんです。対じゃなきゃ、婚約指輪になりませんからね」

 この自信満々の顔に腹が立つ。背も自分と同じくらい、容貌も自分と劣らない。ただ、田舎ねずみだ。貧乏ねずみだ。テーブルに乗っているハンチング帽、服装で階級がわかるというものだ。自分はこの男には負けない。ルウはそう思った。

「家具職人でいらっしゃるんですか?」

「はい」

「シムリはグイルさんの弟子なんです。とても優秀なんですよ」

 リンが口を挟む。だけどまだ成功者ではない、とルウは思う。自分と違って成功者ではない。

「ピイさんとはどれくらいのお付き合いで?」

 シムリとピイが目を見合わせる。微笑みあいながら。

「そうだなあ、去年の冬頃からだね」

「ええ」

「長い付き合いでいらっしゃるんですね」

 少女期のピイを知っているシムリが妬ましい。

「シムリはわたしの小説のファンだって、いきなり家に押しかけて来たんです」

 ピイがくすくす笑って、シムリがピイの肩に少し触れて照れ笑いをする。

「本当にファンで。今もファンなんです。リンから聞いたんですが、ルウさんもピイの小説のファンですってね。どのシーンがお好きですか?」

 ルウはぎくりとした。実は一巻しか読んでいない。懸命に思い出して、

「どこまで行っても不思議な塔が主人公を追いかけてくるシーンですね」

 と答える。シムリが笑って、

「初期の名シーンですね。あのころのピイの小説は尖っていて、痛々しいくらいでしたね」

「小説が採用されて、一人暮らしを始めたばかりのころだったもの」

 ピイが顔を手で挟む。愛らしい仕草だ。

「ピイの作品は新しい巻もよかったですよね。例えば主人公が夜しかない街にたどり着く。街のひとは皆眠っている。だけど一人だけ起きている少年がいて」

「そうですね。ところで、ピイさんの指輪は素敵ですね。どなたが作られたんですか?」

 無理矢理話を変えると、ピイとシムリは変な顔もせずにうなずいてくれた。ただリンだけが首をかしげている。

「アクセサリー職人のユウリです。ぼくらの友人でもあるんですよ」

「素晴らしいセンスですね」

「本当にユウリはセンスがよくて。恋人だった、今は奥さんのイリアの結婚指輪も彼が作ったのよね」

「そうそう。あれは素晴らしい式だったなあ」

「いつ結婚するの? ふたりは」

 と、リン。シムリが笑って答える。

「来年の」

「わたしはこの辺りで失礼します。また明日参ります」

 ルウは突然大きな声を出して、出て行った。全員が丸い目をしていたが、仕方がない。ルウは結婚の日取りを聞きたくなかったのだ。

 去り際にピイに手紙つきの宝石箱を押し付けた。そこにはこう書かれていた。

『愛しています。梅の木ルウ』

 本当は二人きりのときに渡すつもりだったのに、やけになってそうしてしまった。悔しさで、ルウは地面の石を蹴った。

「あの指輪が忌々しいな」

 ルウはピイの赤い玄関ドアを振り返ってつぶやいた。

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