第2話 ピイとシムリ
夜、レストラン街にあるチーズ・レストランで、二人は赤ワインを片手にチーズ料理を食べていた。広い店内、上流階級らしいねずみたちが静かに会食している。紫色のドレスにユウリの作ったアクセサリーをつけたイリアが上品にナイフとフォークを使って食べている。黒いスーツを着たユウリはぎこちなくそれを真似している。高級なチーズ料理は大好きだけれど、作法にはなかなか慣れない。ユウリはアクセサリー作り以外では不器用なのだ。
「このトマト、おいしいね」
ユウリがイリアに笑いかける。
「そうね。このチーズによく合うわ」
イリアがにっこり笑う。
「ここの料理は本当においしいよね。ぼく、月に一度は来ることにしてるんだよ」
「『ボン・シェール』だったわね、お店の名前。本店はもっと遠くの都市にあるのよね。わたし、いつか行きたいわ」
イリアがそう言って微笑んで、ワインを飲んだ。ユウリは自分の胸を叩いて、
「いつか連れて行ってあげる。店を繁盛させて、お金を貯めて、一週間くらいお店を休む。そして一緒に旅行に行こう」
「本当に?」
イリアが信用していないような言い方をしたので、ユウリはむっとした。
「本当だよ。ぼくたち親友じゃないか。ぼくは親友に嘘なんかつかないよ」
「そう」
「そうさ」
「でも、マリイさんは?」
イリアが顔を上げる。悪戯っぽく微笑んでいる。
「マリイさんという好きな人がいるのに、わたしという女性と旅行したっていいの?」
「いいよ。君は親友だもの」
ユウリがにこにこ笑う。
「でもさ、マリイさんの話だけどさ」
「何?」
イリアが笑ってユウリの顔を見る。
「よく考えると、シムリさんはピイさんの恋人でも、マリイさんはシムリさんのこと、好きなんだよな」
「大丈夫よ」
イリアがユウリの手を取る。ユウリが無邪気に笑う。
「あなたは魅力的だもの。誰だって好きになるわ」
イリアは首をかしげてユウリの顔を見つめた。
家に帰ってからも、ユウリは意気揚々とアクセサリーを作った。コスモスの形のイヤリング、ケイトウの絵を掘り込んだペンダント。鼻歌交じりに作る、きらきらとしたものたち。
ユウリは自分が作ったもので女性たちが喜んでくれたり、きれいになったりするのを見るのが好きだ。だから店を持ったと言ってもいい。
女性たちがもっと喜んでくれるように。そう思えば、多少の寝不足や疲れは気にならない。
イリアは気に入ってくれただろうか。今夜はユウリの作ったアクセサリーに合わせた格好で来てくれた。ユウリは思い出して嬉しくなる。
「マリイさんにも作ってあげなきゃ」
ユウリは何を作ろうかと色々考えながらベッドに入った。マリイへの贈り物は、あとからでもいい。でも、考えたかった。それだけでわくわくした。
翌日の昼、シムリが店にやって来た。ピイを連れて。ふんわりとした、白地に黄色いコスモスの花がいっぱいに描かれたワンピースを身に付けたピイは、にこにこ笑っていてとてもかわいらしかった。シムリは嬉しそうだ。
「どうされたんですか、二人で」
店中の女性たちの注目を浴びている二人に、ユウリは声をかけた。シムリが化粧品の棚を指差す。
「ひげの化粧品、新しいのが出たんでしょう?」
「ええ、レモン色が」
「それ、ください」
ユウリはカウンターから出て、真新しいレモン色の壜を手に取ってシムリに渡す。シムリはお金を払って、ふと考えてこう言った。
「ここで塗ってもいいですか? ピイに」
ユウリは戸惑いつつも、
「どうぞ」
と笑った。
シムリが壜の蓋を開ける。蓋には小さな筆がついている。それでレモン色の液体をすくって、ピイのひげにすっと塗った。ピイは周囲の目を気にして恥ずかしそうにしていた。現に、周りの女性たちは物珍しそうに二人を見ていたのだ。しかし、シムリが真剣な目で、一本一本のひげを慈しむように筆で塗っているので、ピイはシムリの顔を見ずにはいられない。動揺していたピイだが、しばらくするとシムリの目をぼんやりと見つめて、じっと動かなくなった。
ユウリはこの情景を見て、感動していた。これが恋人というものだ、と思った。自分もこうなりたい。マリイと。しかしマリイが愛しているのは目の前のシムリだと思うと、胸が痛んだ。
「はい、完成。動いていいよ、ピイ」
シムリが壜の蓋を締めながらピイの腕に触れる。ピイがため息をついて、シムリに笑いかける。
「とてもお似合いですよ」
ユウリが言うと、ピイは微笑んで、
「ありがとう」
と言った。
「では、ありがとうございました」
シムリがぺこりと頭を下げて、ピイの背中を押しながら出て行く。
「こちらこそ。ありがとうございました」
ユウリも頭を下げる。ドアの鈴がちりちりと鳴る。外からはシムリとピイの話し声が聞こえてくる。
「次はミモザに寄ろう。香水を買わなきゃね」
「シムリ、お金、大丈夫? この服も、この靴も、全部今日買ってくれたばかりなのに」
「大丈夫。給料が上がったんだ。誕生日に身に付けるものは全部ぼくのプレゼントにしたいんだよ」
ユウリはそれを聞いて、羨ましくて仕方がなかった。シムリの真っ直ぐで正直な愛し方。自分はマリイをこんな風に愛せるだろうか?
と、そこまで考えて、ユウリははっとした。もしかして、今のことがマリイに伝わってしまいはしないだろうか? そうなれば、マリイが傷つくのは必然だ。
ユウリはそうならないことを祈った。
閉店の時間が近づく。最後のお客もいなくなった。ユウリはぼんやりと昼間のことを考えていた。シムリとピイ、そしてマリイのことを。
ドアがちりちりと鳴って、お客が来た。いらっしゃいませ、と言おうとして、ユウリははっとした。マリイだ。今にも泣きそうな顔で、ゆっくりと歩いてくる。カウンターにやって来ると、マリイはその上にうつぶした。
「ユウリさん、わたし、聞かなきゃいいことを聞いちゃった」
くぐもった声で、マリイはつぶやく。ユウリはおろおろとそれを聞いている。
「シムリは本当にピイが好きなのね。わたし、それだけですごく不幸だわ」
「マリイさん」
「シムリのこと、ずっと前から大好きだった。だけどシムリはピイのことを好きになったわ。どうしようもなかった。わたしのことを好きになってもらう努力、たくさんしたのに」
「マリイさん、気にしないで」
「わたしを愛してくれる人なんて、この世にいないのよ。わたしって、気が強いし、うるさいし。ピイとは真逆よ」
「それは違います、マリイさん」
ユウリが強い口調でそう言うと、マリイはそっと顔を上げた。目が潤んでいて、痛々しい。ユウリは彼女を守ってあげたかった。
「ぼくはあなたのことが好きです、マリイさん」
マリイがぼんやりとユウリを見た。
「好きです」
マリイはぱっとカウンターから離れた。うつむいている。
そのままの状態で、数秒が経ち、やっと彼女はこうつぶやいた。
「ごめんなさい」
マリイはばたばたと走って、店を出て行った。ドアの鈴が乱暴に鳴る。
ユウリは、マリイの「ごめんなさい」の声を、頭の中で何度も繰り返した。
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