街角のすずらん屋

第1話 大好きな彼女と親友の彼女

 すずらん屋はにぎやかな商人街の街角にある。華やかに着飾った様々なねずみたちがにぎやかに行き交うこの街は、この都市で最も栄えている場所だ。すずらん屋がある通りに立ち並んでいるのは、帽子屋、時計屋、服屋、宝石屋、香水屋など華やかな店ばかり。しかしすずらん屋も負けてはいない。隣の香水屋「ミモザ」よりも多くの女性たちでごった返している。

「これ、ください!」

 香水をつけた女性の甘い匂いでいっぱいのすずらん屋の中で、ただ一人の男性である樫の木ユウリはにこにことカウンターに座って、若い女性から小さなかごを受け取る。ピンク色のひげの化粧品やかわいいレターセットや白いストールを手に取って、会計をする。店オリジナルのクリーム色をした紙袋にそれらを入れて渡すと、女性はにっこりと笑って店を出て行った。

 クリーム色で統一された店内は、女性たちのかしましい話し声で満たされている。ひげの化粧品がすらりと並んだ棚を指差し、あれがいい、これがいい、と騒ぐ少女たち。職人たちが一つ一つ作り上げたてんとう虫のぬいぐるみや蝶をモチーフにしたしゃれた置物を手に取る大人の女性たち。すずらん屋は雑貨屋だ。それも、人気の。

 一番の注目を集めている商品棚がある。その商品は、ガラス窓の中にあり、女性たちがきらきらした目で見つめているもの、白い毛に黒い大きなぶち模様のあるユウリがカウンターの中でレジスターを操りながら、暇を見て作っているもの。アクセサリーだ。トンボ玉のネックレスに、銀でできたほおずきのイヤリング、色とりどりの電気石がはめ込まれた指輪。女性たちは心底ほしそうにそれらを見ている。

「ねーえ、店長さん。あの星のピアス、もっと安くならない?」

 こげ茶色の毛をした少女が、ユウリに話しかけてきた。星のピアスはシンプルだけれど、白金でできていて、結構な高級品だ。ユウリは少し考えて、

「じゃあ、五パーセントオフね」

 と笑った。少女が不満げに口を尖らせる。

「もう少し」

「じゃあ、六パーセント」

「十パーセント!」

「無理だよ。七パーセントは?」

「十パーセント!」

「八パーセント。もうこれ以上は値下げできないよ」

「じゃあ、買う」

 少女はにこにこと満足げな顔をした。ユウリは参ったな、という顔でアクセサリーの棚の鍵を開け、小さなクリーム色の宝石箱にピアスをしまって少女に渡す。少女は大切そうにそれを鞄にしまい、数枚のお札をユウリに渡した。

「また来るわ。ありがとう、店長さん」

 少女が去って行くのを、アクセサリー棚の周りの女性たちは羨ましそうに眺めた。ユウリが作るアクセサリーは高い。だから滅多なことでは買えないのだ。

「ユウリ、繁盛してるわね」

 少女と入れ替わりに、背の高い、薄茶色のはつかねずみの女性がやって来た。ユウリはそれを見て、子供のように嬉しそうにする。

「イリア!」

「あなたのお店が繁盛するから、隣のわたしの店にも多少はお客が流れてくるわ。ありがたいわね」

「そんなことないさ」

 美人と評判の彼女は、隣の香水屋「ミモザ」の店主だ。彼女はユウリと仲が良くて、店員に店を任せてはちょくちょく店に来る。彼女はユウリの親友なのだ。

「いい香り。何の香り?」

「白檀の香りよ。素敵でしょ? 新しく入荷した香水の香りなの」

 イリアはどこか謎めいた笑みを浮かべて、ユウリの前に立つ。ユウリは急にはしゃぎだす。

「彼女、昨日も来たよ」

「でしょうね。あなたのその顔でわかるわ」

「昨日彼女が買ったものは、薔薇づくしだったんだ。薔薇のイヤリングに薔薇の指輪。どれも金製なんだ。彼女にすごく似合うよね」

「そのあと彼女がわたしの店で薔薇の香水を買ってくれたのは、そのお陰なのね」

 イリアがまたにっこり笑う。ユウリは照れたように頭をがりがりと掻く。

「彼女、ぼくのアクセサリーのファンだってさ。すごく嬉しいな」

「よかったわね」

 イリアがそう微笑んだ時だ。店のドアが開いて、鈴がちりちりと鳴った。ユウリは急に落ち着いた態度に戻って、その客に笑いかける。

「いらっしゃいませ」

「こんにちは!」

 オレンジ色のワンピースを着て、同じ色のつばの広い帽子をかぶった小柄な女性が、カウンターに真っ直ぐやって来た。跳ねるような足取りだ。

「あら、イリアさん。こんにちは」

「こんにちは」

 イリアが彼女に笑いかける。彼女はそれに明るく笑顔を返して、ユウリに話しかけてきた。

「ユウリさん、見て、これ。わたし、ここで買った薔薇のアクセサリー、全部つけてきちゃった」

 見ると、耳や指に小さく金色に光るものがある。ユウリは何度もうなずき、

「本当にありがとうございます、マリイさん」

 と言った。マリイがふふふ、と笑う。

「あなたのアクセサリーは本当に素敵なんだもの。素材にもこだわっているのでしょう? 本当に気に入ってるのよ」

「作った甲斐があります。嬉しいな」

「今日は新しいアクセサリーを買いに来たんじゃないの。お礼を言いたいだけなの。本当にありがとう」

「そんな」

 ユウリが少し下を向いて答える。マリイはそれを覗き込んで、

「今日は習い事で忙しいの。ピアノとバイオリンのお稽古なの。だからもう帰るわね。ありがとう、ユウリさん。さようなら」

「さようなら」

 マリイは華やかに店を出て行った。ユウリの笑顔はその途端子供っぽいものとなり、

「やったあ!」

 とイリアを見た。イリアはドアのほうを見ている。

「聞いた? ぼくの作ったアクセサリー、あんなに気に入ってくれてるんだよ」

「よかったわね」

 イリアがユウリに向き直った。優しく微笑んでいる。

「お礼を言いに来ただけだって。それだけのためにわざわざ?」

「そうね」

「でも、彼女ってお嬢様なんだなあ。ピアノにバイオリンだって。でもさ、彼女はパンダねずみだよな、どう見たって。ぼくもパンダねずみ。これって」

「そうね。釣り合ってるんじゃないかしら」

 ユウリがにやにや笑いを止められずにイリアに話しかけていると、女性客がカウンターにやって来たので、それをやめた。レジスターを打つ。すると、イリアが店を出て行こうとしている。

「イリア。もっと話そうよ」

「あなた、どう見たって忙しいじゃない。それに仕事中は仕事に集中するものよ」

 イリアはこうつぶやくと、微笑んだまま店を出て行った。


 ある日の夕方。店にお客がいなくなり、店じまいの準備をしているときのことだ。店のドアの鈴が鳴った。マリイだったのでユウリは慌てた。

「こんにちは。ユウリさん、新作はできた?」

「ああ、ごめんなさい。できていたのですが、皆売れてしまって」

 アクセサリーの棚は、ほとんど空だった。するとマリイはいかにも残念そうにうつむいてため息をつく。

「わたし、今日もお稽古が忙しかったの。そろそろ新作ができてくるころだとはわかっていたのだけど。残念だわ」

 マリイのあまりの落ち込みように、ユウリはくすりと笑う。

「マリイさん」

「なあに?」

 マリイが明るく笑ってユウリを見る。ユウリはどぎまぎしながら、

「何なら、ぼくがあなたに」

 アクセサリーを作って差し上げます、と言おうとしたときだ。ドアの鈴がまた鳴り、今度は黒いはつかねずみの若い男性が入ってきた。男性客が珍しくてユウリがそちらを見ているうちに、マリイは店の奥のほうに隠れるように滑り込んでいた。マリイに声をかけようとすると、男性客はアクセサリーの棚のほうをちらりと見てからユウリに話しかけてきた。

「樫の木ユウリさんですよね」

 彼はにこにこと笑っていた。見覚えのある顔だ、と思っていると、男性客は自ら名乗った。

「家具職人グイルの弟子、シムリです」

 ああ、とユウリは声を出す。見覚えがあるのは当然だ。あの職人街で一番有名な職人たちの一人、グイルの弟子だったのだ。

「立派な店ですね」

「ありがとうございます」

「ユウリさんは元々職人街のアクセサリー職人だったのに、もっとお客と触れ合いたいと言って街を出て行きましたよね。ぼくらの間ではいまだに話に上りますよ。すごいなあ。こんなにきれいなお店で、お客と毎日会話して。楽しいでしょうね」

「そうですね。とても」

 ユウリは笑った。すでに人気のアクセサリー職人だったユウリは、多くの宝石店との契約を打ち切って、自分の店を持った。それがこのすずらん屋だ。アクセサリーはコストぎりぎりで売っているし、そのほうがお客も来るからと、すずらん屋は様々なものを売る雑貨屋になった。ユウリのものを見るセンスのお陰で、すずらん屋はにぎわっている。

「でも、シムリさん、何故ここに?」

 ユウリは先程から思っていたことを口に出した。シムリのような男性が、どうしてここに来たのだろう?

「実は、誕生日プレゼントの指輪を作ってほしくて」

「指輪?」

「れんげの花をモチーフにした、かわいい指輪を作ってほしいんです。季節はずれだとはわかっています。でも、きっと彼女は喜ぶから」

「彼女?」

「ぼくの恋人です」

 シムリは嬉しそうな顔をする。ユウリはこの男性が好ましく思えてきた。ハンサムで背が高く、服のセンスもよくて、何もかも完璧に見えるのに、何て正直なひとなんだろう、と。

「彼女はれんげの花がとても似合うんですよ」

「そうですか。わかりました。作りますよ」

 ユウリがそう言うと、シムリはほっとしたように胸に手を当てて、ありがとうを言って出て行った。

 オーダーメイドは久しぶりだな、とユウリは思う。どんな風に作ろう。大体、シムリの恋人とはどんなひとなのだろう。

 そこに、マリイがゆらりと出てきた。ユウリはマリイに、あなたにも素敵なアクセサリーを作って差し上げますよ、と言おうとしたが、その様子を見てできなくなった。マリイはぼんやりと遠くを見ている。

「マリイさん?」

「ユウリさん。わたしもシムリのことが好きなの。すごく、すごく」

 ユウリは頭を強く叩かれたような衝撃を受けた。そうして何も言えないでいるユウリの前を、マリイは滑るように歩いて、店を出て行った。ちりちりと、鈴が鳴る。

 そうか。シムリさんの恋人というのは、マリイさんのことなんだ。

 ユウリは絶望的な気分で立ち尽くしていた。

 その夜、ユウリはひたすら新しいアクセサリーを作っていた。彫金の蜂のピアス、ぐみの実のペンダント、葉っぱをつなげたような形のアンクレット。狭いアパートの部屋にあるシンプルなアトリエで、ユウリはひたすら細かく指先を動かしていく。削りかすが出る。それがユウリの黒いベストに降りかかる。それを振り払うこともせず、ユウリは集中して「花以外の」モチーフを使ったアクセサリーを作る。シムリがマリイに贈るれんげの花の指輪なんて、作りたくも、想像したくもなかった。

 アクセサリーを作り終えると、ユウリは寝室に戻ってそのまま寝た。何も考えたくなかった。何も。

 翌朝、店を開いていると、イリアがやって来た。いつものように微笑んで。ユウリはむっつりと黙り込んで、彼女を店に招きいれた。

「どうしたの? 機嫌が悪いのね」

「別に」

「素敵なアクセサリーね。何だかいつもと違う」

「そうだね」

「ユウリ?」

「ねえ、イリア。シムリっていう家具職人に、マリイさんに贈る指輪を頼まれちゃったよ。二人、恋人なんだね」

 イリアがきょとん、とした顔をする。

「どうしてシムリがマリイさんに?」

「シムリさんを知ってるの?」

 ユウリが顔を上げる。その顔はどう見ても寝不足の顔だ。

「だって、彼はピイの恋人なのよ」

「ピイさんの?」

 目の前が明るくなっていく気がした。桜の木ピイ。彼女はイリアのもう一人の親友で、冒険小説家だ。ユウリも何度か会ったことがある。物静かで、かわいらしい女性。白いはつかねずみである彼女は、ユウリにも優しくしてくれた。

「なあんだ。そうなんだ」

 ユウリに、元の子供っぽい笑顔が戻ってきた。イリアがにこにこと笑っている。

「ピイさんにれんげの指輪か。確かによく似合ってる」

 指輪のイメージが浮かんできたぞ、とつぶやくと、イリアがくすくす笑った。

「シムリの恋人がマリイさんじゃないとわかると、途端に元気になるのね」

「だって」

 ユウリは照れ笑いをする。そして思い出したように、カウンターに置いていた店の紙袋に手を伸ばした。

「これ、一昨日作ったんだ。売れないように取っておいたんだよ。桔梗のアクセサリー。君に似合うと思ってさ」

 イリアはそれを受け取ると、何とも言えない不思議な表情をしていた。ぼんやりとした、たゆたうような表情。ユウリはそれにお構いなしに紙袋を開く。

「布製の桔梗のカチューシャに、桔梗の形のペンダント。君って紫色が似合う、大人の女性だからさ」

「紫色、似合う?」

「うん。似合うよ」

「桔梗の香水、つけなきゃね」

「桔梗の香水なんてあるの?」

「探せば、あるわ」

 イリアはお礼を言うと、店を出て行った。店の仕度があるからと。

「イリア! 今夜チーズ・レストランに寄ろうよ。いいことを教えてくれたお礼におごるからさ」

 窓の外で、イリアは笑った。手を振って、歩いていった。

 それを見届けたあと、ユウリは鼻歌を歌いながら店の準備を始めた。

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