第3話 奇妙なはつかねずみ

「ぼくが出てくる」

 相変わらず真面目な顔をしたまま、シムリは椅子から降りて玄関に向かった。ドアが開き、小柄な枯れ草色のかやねずみ夫婦がすぐに飛び込んできた。ロンとランだ。ロンが赤ん坊を抱いている。

「リン!」

 ランが駆け寄ってきて、ピイのひざから降りたリンを抱きしめる。ピイはほっとしたのと後ろめたいのとがないまぜになった気分でそれを見ていた。リンはしょんぼりしている。

「ピイちゃん、ありがとうね。リンのこと世話してくれて」

「本当に」

 ロンがピイの手を握って何度も振る。ランがリンに説教をする。

「ピイちゃんにご迷惑をかけて。謝りなさい」

 リンは床を見てだらりと立ったままだ。ピイは、いいんです、と言いかけた。そのときだ。

「ピイの馬鹿! シムリの馬鹿! パパとママの馬鹿! ぼく、皆大っ嫌いだ!」

 そう叫んだかと思うと、リンは風のように駆け出して、玄関のドアから出て行ってしまった。

「リン!」

 ランが叫び、飛び出す。それに付いていくロン。ピイも玄関を出て、辺りを見回した。石畳の道は長く続いているはずなのに、ロンとランが立ち尽くしているばかりで何も見えない。おそらく草むらに入ってしまったのだろう。

 シムリが出てきて、ピイの横に立った。唇を噛んでいる。

「ぼくのせいだ」

「そうよ」

 ピイはシムリをにらみつけた。

「どうしてあんなことを言ったの? リンが傷つくのは目に見えてるじゃない」

 シムリがうなだれてピイを見る。

「ぼくは早くリンに帰ってほしいなって思って」

「どうして? リンの世話をするのが嫌だったの?」

「どうしてって」

 シムリはそのまま黙り込んだ。それを見て、ピイは思わずこう怒鳴ってしまった。

「シムリはわがままよ。自分勝手よ」

 シムリが困った顔をする。

「自分勝手かもしれないけど」

「けど、何よ」

「いや、言わない。とにかく、リンを探そう。ロンたちはもういなくなってる」

 ピイははっとして家の前を見た。もう、人気がない。

「別れて探しましょ。わたし、シムリと一緒は嫌」

 そうつぶやいて草むらに入り込む。シムリはため息をついて、反対側の草むらに入った。

 歩いていると、背の低い草がサンダルに引っかかる。はき替えればよかったと思いながら道なき道を行く。がさがさと、何かの気配。虫だろうか。ぞっとする。それに、ひどく暑い。ときどきめまいがする。

 しばらくして、音楽がかすかに聞こえてきた。トランペットの音。陽気な曲だ。ピイは、何だろう、と思いながら歩いていく。

 突然、草むらを出た。目の前には、草の生えていない広場があった。そこにあったもの。それはとても奇妙なものだった。

 様々な派手な色で彩られた縦じまの大きなテント。入り口で、同じ模様の服を着たはつかねずみがへんてこな踊りを踊っている。両目の周りをピンク色の染料でハート型に染め、ひげは虹色に塗っている。この怪しいねずみは、トランペットを吹いて、誰かに誘いかけていた。ピイに? いや、リンだ。

 リンは、ふらふらとテントに近づこうとしていた。近づくほどに、怪しげなねずみは踊りを激しくする。まるでとても嬉しいかのように。

 テントの中が見える。真っ暗だ。ピイにはそれが口に見える。大きな化け物の口。

 リンがねずみに近づく。ねずみは踊りながら、トランペットを高く鳴らす。にやりにやりと笑っている。テントの中から、不穏な空気が漂ってくる。

 リン、行っちゃ駄目。

 ピイは、自分が叫んだような気がした。リンが振り向いて、ピイ、と声を出している。

 途端に、テントとねずみは、すっと消えた。

「ピイ、大丈夫?」

 ピイが目覚めると、そこはピイの家だった。シムリが上から覗き込んでいる。柔らかい。ベッドの上らしい。額が冷たい。触れると、濡れた手ぬぐいが載っていた。

「シムリ?」

「ああ、よかった」

 シムリが大きくため息をつく。

「君、草むらで倒れてたんだよ。医者に見てもらったけど、軽い熱中症だってさ。今日は外に出ずっぱりだったからね」

「わたし、気絶してたの?」

「うん。ごめんね。ロンたちのところには、やっぱりぼくが行くべきだった」

 シムリの心配そうな顔を見てほっとしたけれど、ロン、と聞いて、さっきの出来事を思い出してしまった。だるい体を起こそうとして、駄目だよ、とシムリにとめられる。

「リンは?」

「リン? ランが見つけて、家に帰って行ったよ」

「本当に?」

 だって、と言いかけて黙った。陽気な音楽、派手なテント、奇妙なはつかねずみ。ピイはぞっとして身を震わせた。

「どうしたの?」

 シムリが心配そうにピイの顔を見る。ピイは強い口調でシムリに訊く。

「本当に、リンは帰ったのね?」

「本当だよ。冗談だったら大変だ」

 シムリが少し笑う。それを見て、ピイもまた笑った。

「よかった」

 力が抜ける。きっと、あれは夢だったのだ。

「ねえ、ピイ。リンが帰ったから、リンの『出さない手紙』、片付けたんだ。そしたら色々見つかったよ。読んでみる?」

 シムリが封筒の束を取り出して、にっこりと笑った。

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