第2話 シムリの裏切り
ピイは赤い屋根の家を出ると、青々とした草の森を少し早足で歩いた。森にはちゃんとねずみ用の細い道があって、石畳が敷いてある。
シムリは子供あしらいが上手いのね。それどころか、どんな人にもすぐににっこり笑いかけられる。
ピイは歩きながら考え事をしていた。
それに比べてわたしは駄目。リンが少し無茶を言うだけでおろおろしてしまうし、人見知りをするわ。
ため息。
わたし、早くちゃんとした大人になりたいわ。だからこの事態もちゃんと決着をつけなきゃ。
どこを行っても背の高い草ばかり。春と違って風景が全く変わらないので、かやねずみの街が遠く感じられる。サンダルがかつかつ鳴る音、虫の鳴き声。昼なので、暑さがひどい。
ようやく道に沿って家々が立ち並ぶ街に着き、ピイはほっとした。大きなバッタやカマキリに会ったりしたらどうしようかと不安だったのだ。しかし暑さのためか、街には人気がなく、ピイは一人ぼっちのような気がする。
「あれ? ピイちゃん?」
喫茶店の窓から店主が覗いて、声をかけてきた。茶色くて大きなねずみだ。
「どうしたの? 今日はシムリとデートなんじゃなかったの?」
「どうしてそれを?」
ピイはびっくりして思わずそう訊いてしまった。店主は白いエプロンで手を拭きながら外に出てくる。
「シムリが自慢してたからさ。ずいぶん楽しみにしてたんだよ」
「そうなんですか」
ピイは嬉しくなる。しかし、リンのことを思い出してまた使命感に追われる気分になる。
「実はかやねずみのリンが家出したらしいんです。リンはうちにいるんですけど、わたしたち、それどころじゃなくって」
「そりゃあ災難だねえ」
店主は気の毒そうな顔をする。ピイは首を振る。
「そんなことありません。わたし、早くロンさんたちにリンのことを教えなきゃ」
「そうかい。終わったらデートしてあげるんだよ」
「ええ」
ピイは上の空で笑って歩いていった。店主がしばらくピイの背中を見ている気配がしたが、ピイはそれどころではない。早く行かなければ。
通りが終わると、やっとかやねずみの街にたどり着いた。ピイの通ってきたところよりもよほど背の高い草の途中に、わらや布やリボンや、様々なもので編んだ家が絡み付いている。かやねずみたちは伝統的な暮らしを捨てず、このような昔ながらの家に住んでいるのだ。
その中から、ロンの家を見つけ出す。純粋にわらと草の葉でできた素朴な家だ。ピイは下から声をかけた。
「ロンさん、ランさん、いらっしゃいますか?」
どこからかひとの気配がするのだが、ピイの声が小さいのか届かない。
「ロンさん」
一際大きな声を出す。すると隣の家からかやねずみの一人が顔を出した。
「おや、ピイちゃん。何してるの?」
知っている顔だ。ピイは手を目の上にかざして日よけにして、大声で答えた。
「ロンさんたちに会いたくて」
「ロンたちなら子供を探しに行ったよ。リンが家出したんだってさ。かやねずみたちが総出で探してるんだけど、見つからないんで困ってるんだよ。おれはリンが帰ってこないか番をしてるんだ」
ピイはほっとしてこわばった声がほぐれてきた。
「リンはうちにいますよ」
「何だって?」
「何故だかわからないんですけど、うちに住むって言い出したんです。ロンさんや他のかやねずみさんたちに教えてあげてください。そして、リンを迎えに行ってあげるように伝えてください」
「ふうん。リンがねえ」
かやねずみはぽりぽりと頬を掻いた。それからちょっと笑って、
「あいつ、ピイさんが大好きだからねえ」
と言った。
「わたしが?」
「あんまり言ったらリンに叱られるから黙っとくよ。わかった。ロンたちに伝えておくから」
「ありがとうございます」
ピイは首をかしげながらそう声を上げて、道を戻っていった。ピイは役目を果たせたことと、大きな声を思い切って出せたことに満足していた。
草むらの街に入る。歩いていると、早速喫茶店の店主が顔を出した。
「子供の親は見つかった?」
「いいえ。でも他のひとに伝言を託したから、すぐに迎えに来てくれるはずです」
「迎えに来るまでどうするの」
店主が目を丸くするので、ピイも同じ顔になる。
「うちで預かります。シムリと二人でお世話をするから大丈夫ですよ」
「そう?」
店主は口を尖らせてピイを見た。ピイはそれを不思議に思いながら挨拶をして、また長い道のりを帰っていった。
「おかえり、ピイ」
赤いドアを開けて、最初にピイを抱きしめたのは、リンだった。シムリはにこにことそれを見守っている。
「どこに行ってたの? ぼくシムリと二人で退屈してたんだよ」
「ひどいなあ」
シムリが笑う。
「一緒に遊んだじゃないか。トランプで塔を作ったり、ピイの本を読んだりさ」
「シムリじゃやだ。ピイがいいんだ」
ピイは優しく笑って、リンの頭をなでる。
「ごめんね。うちは遊ぶものがないものね」
「そうじゃない。ピイのうちにわざわざ来たんだよ。ピイと遊びたいに決まってるじゃないか」
リンがむっとした顔になる。ピイは困ったように首をかしげた。
「じゃあ、わたしと何かする?」
「うん」
「何がいい?」
「何でもいい」
その答えにピイは悩みこんで、シムリを見た。シムリは機嫌よく笑っていて、
「君が子供のころやっていた遊びをすればいいじゃないか」
と言う。そこでピイは思い出した。しゃがんでリンに語りかける。
「わたしが子供のころはね、一人遊びが多くて、いつもお手紙を書いてたの」
「誰に?」
リンが不思議そうな顔をする。
「想像上の人に。あるいは両親に。普段恥ずかしくて言えないようなことを、出さない手紙に書くのよ」
「面白い?」
「わたしは面白かったけど」
ピイは自信なさげに笑う。しかし、リンは、
「やる」
と真面目な顔で甲高い声を上げた。
様々な色の封筒と便箋を、ピイは書き物机から取り出した。シムリが興味津々にその様子を見る。
テーブルは背が高すぎるので、リンのために床に小さな新しい絨毯を敷く。夏らしい青い絨毯の上に、すぐにリンは飛び乗り、ピイが差し出した便箋と万年筆を受け取ると、何かをかりかりと書き始めた。その間、ピイとシムリはテーブルに向かい合ってついて、お茶を飲むことにする。
「ロンたちはどうだった?」
シムリがひそひそと聞く。
「リンを探しに出ているらしいの。伝言したからすぐに迎えに来てくれるわ」
ピイも同じように答える。
「そうか。よかった」
「ロンたちが気の毒だものね」
「それもあるけどさ、ぼくとしては」
「ピイ! できたよ」
シムリの言葉はリンがかき消してしまった。ピイは立ち上がり、リンのところに手紙を見に行く。
「『遠くの街のチーズ・レストランのオーナーさんへ。ぼくに立派な穴あきチーズをください』ですって? 遠くの街のチーズ・レストランって、何ていう店なの?」
「『ボン・シェール』ってレストランだよ。ぼく、そこのチーズをひとかけ食べたことがあるんだ。すごくおいしいんだよ」
「リンは物知りね」
「いつかね、ピイをその店に連れて行ってあげる。きっと満足するからさ」
「ありがとう」
ピイはリンを抱いてひざに乗せた。リンはピイの胸に抱きついて、
「ピイ、いい匂いがする。ぼく、だーい好きだよ」
「本当? 嬉しいわ」
「一緒に住んだらね、ぼく何でもする。料理も洗濯もするよ」
ピイは困り顔でシムリに微笑みかけた。すると驚いたことに、シムリが真顔で、
「リン、それはできないよ。リンは家に帰るんだから」
と言い放った。ピイが驚いていると、リンがピイにますます抱きついてきた。
「そんなこと言っても、ぼくはここにいるもんね」
「ピイはさっき、君の両親を呼びに行ったんだよ」
リンが顔を上げてピイを見る。信じられないものを見るような目。ピイはいたたまれなくて顔をそらした。
「ピイ、嘘だよね」
リンがすがるようにピイを見る。ピイは、どうしてシムリはこんなことを言い出したのだろう、と泣きたくなる。いつものシムリならこんなことを言わないのに。
「嘘だよね」
そのとき、玄関の呼び鈴がちりちりと鳴った。
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