第38話 なぞる過去と、ずれる運命の線のこと

「勇者と言った? エディ君、貴方達が……女神に導かれた?」


 マイアさんが、前を歩くエディに向けて尋ねる。僕の方からではその表情は見えない。けれど、マイアさんが歩を止め、エディの背中を見つめているのが分かる。エディはそんな事にも気付かずに頷き、向こうに立つ2人の影に手を振っている。


「ああそうさ、そうは見えないかもしれないけどな。……おーい、ザヒードさん、イズミさんだろ! 同行2人を連れて帰って来たぜ」


 声を投げるけれど、大小の影は動かない。聞こえていないはずはない、それでも二人は動かないで……月明かりを背にした2人の表情も、見えない。2人はゆっくりと歩いて来る。


「勇者……世乱れし時に神の啓示を受け、悪を倒す為に立ち上がる者。……面白いわね、それでこの大陸を離れて魔王領へ?」


「その為には船が必要なんだけど、最近魔王軍の動きが活発だってんで、あんまり船を出してくれないって聞いてさ、明日それをお願いしに協議会に行くのさ。金もかかるしな」


「船で海を渡り、魔王領に行き……勇者様は世界を救う為に戦おうというのね? ああ、それは勇ましいわね……ねえ、リオ? 貴女もそれについていく、勇者なのね」


「あ、う……」


 じっとりとした汗が額に滲むのが分かる。舌が蛞蝓のように緩慢にしか動かない。頭の中では沢山の警鐘が鳴っているのが分かるけど、どうする。どうすればいい。逃げ出せば良いのか?でも、背負ってるミリィちゃんも四天王の1人。降ろす暇もなく、連れて帰る事も出来ない。

 僕には判る。マイアさんの身体の中で魔力がゆっくりと練り上げられていく感覚が伝わってくる。……やり直し前のエディなら気付いただろうその力の動き。今のエディはしかし、女神様に力を与えられていない普通の少年だ。気付かない。


「エ、ディ……エディ」


 脚が震える。僕はエディの名前を呼ぶ。エディは月明かりの中振り返って無邪気に笑っている。やり直し前のエディとは違う、生き生きとした少年らしい笑顔。……そして、やり直し前よりも戦闘の経験を積んでいない僕達の力量。やり直し前でも死なないようにするので精一杯だったのに、今の力で抗えるのか?


「どうしたよ、リオ。顔真っ青だぜ? なんだ、チビを背負って疲れたか? お前はやっぱまだまだ体力がー……」


「エディ! 避けて!!」


「うおっ!?」


 からかう様に笑うエディが僕の肩を叩く。僕は我に返ってエディを突き飛ばす。その瞬間だった。エディが立っていた石畳のタイルが粉々に弾け飛ぶ。マイアさんが放った魔力弾だ。エディがよろけながらも僕の後ろで体勢を立て直すのが伝わる。


「リオ! どうしたんだよいきなり!!」


「いいから、逃げて!! 僕がここで食い止めるから!」


「はぁ、何を言って……?」


「リオ、貴女は私が何をしようとしたか、気付いたのね? 凄いわ、まるで予想していたみたいに」


「……偶然、ですよ……」


 マイアさんの目が細まる。ああ、この目だ、僕の知っている目。……やり直し前に闘った時には、フードの奥で光るその目しか見えなかったけれど、その目の輝きだけは、忘れられない。やり直し後の今はまだ無いはずの、肩を焼かれた痛みが幻肢痛となって疼く。


「ほう、お前達は昼間の マイア、今聞こえた言葉は聞き間違いではないのか。この子供達が勇者だと?」


「いやはや、合縁奇縁とはよく言ったもので。別口でこうして知り合う偶然も、勇者と魔王の因果と言う事なんでしょうかねぇ」


 近づいてくる2人の姿が音もなく変わる。ザヒードさんの巨体が更に大きく膨らみ、その肌には岩のように厳つく宝石よりも固い緑の鱗に覆われていく。炎も氷も通さず、エディの剣も弾く剛鱗。

 イズミさんは腰に下げた刀に手をかける。僕の耳に冷たい金属の音、滑る音。腰の鞘の長さには収まらないような長さの刀身がずるりと引き抜かれて、イズミさんの肩に担がれる。僕の防護壁を薄布のように切り裂く鋭刃。

 口調は昼間のままだけれど、僕とエディの前で足を止めた2人の姿は、僕の記憶にある魔王軍の幹部の姿だ。……やり直し前には、必死の知恵と努力で1人ずつ打ち倒した、一騎当千の強者だ。


「……イズミ、貴方、このことは知らされていなかったの?」


「拙者も初耳でござるなぁ、あれが怠慢をしたとも考えにくいのでござるが……」


 ああ、揃ってしまった。あの夜と同じ並び、同じ顔。マイアさんがゆっくりと手を振るう。その手から流れ出た黒い霧が僕達を包み、当たりから隔絶した結界を作り出す。……これも覚えがある。声も魔法も、刃も通さない魔力の壁。

 分かる、知っている。なのに抵抗する術がない。やり直し前の記憶がある僕だから、尚更に彼我の力の差が分かってしまう。滲んだ汗が額から頬を伝い、顎から垂れる。


「……おい、おいおい、なんだよこれ……ザヒードさん、イズミさん。アンタ達その姿は一体? リオ、お前なんで……」


「ねぇエディ、1度だけ。1度だけ僕が時間を作る」


 僕は抑えた声でエディに言う。言ってから、やり直し前と同じような事を言っていることに気付く。出会い方は違うけど同じ場所、同じ時間、そして同じ配置でこんな事になってしまっている。

 ……僕の頑張りが足りなかったのか? 油断してしまっていた? 何で気付かなかった? 今考えれば、気付けるタイミングは沢山あったのに。努力は、やり直しは僕が無駄にしてしまったのだろうか。そう思うと膝から崩れ落ちそうになるけれど。


「すぐ後ろの路地に入って、炎……は、今回は無いか。……路地裏の向こうは水路だからそのまま駆け抜けて飛び込めば、きっと大丈夫だから」


「は……? 今回……って、お、おい、リオ、お前何を言って……」


「水路を下れば下水に落ちる引き込み口がある。そこまでは流石に追って来れないはずだよ」


 マイアさんの手に魔力が集まっているのが分かる。ザヒードさんとイズミさんも油断なんて欠片も無い。エディを助けられるのか、と僕の中の弱い心が僕に問いかけるけれど、助けなきゃいけない。助けさえすれば、レイナートさんとロイドが居る。……そう、やり直し前には無かった力がある。


 もしかすると、ここでエディを助けるために、僕はやりなおしたのかもしれない。


 そう思えば、僕はなんだか急に気持ちが落ち着いた。避けきれない運命があるとしても、変えられる未来はあるはずだ。変えよう。その為に僕はきっと、ここまでやりなおしたのだ。

 祈りの言葉を口に出してから、僕はエディに振り返らず、笑って返す。やり直し前の僕はエディになんて言ったっけ。ああ、そうだ。


「大丈夫、エディは僕より泳ぎがうまいんだから」


「リオ? おい、やめろ、お前……!」


「ごめんね2人とも、不安要素は消しておきたいの。魔王様の悲願を成就させるために。……絶対に、邪魔はさせられない」


「僕だって、ここでエディを殺させるわけにはいかない!! マイアさん! エディは僕が守る!!」


「リオよ、昼間の縁から忠告をしよう。下手に抗うと苦しむだけだぞ。その力ではマイアの魔力は防ぎきれん」


 ザヒードさんがどこか憐れむ様な声でそう言った。そうだ、その通りだろう。だけれど、やらないよりはやるべきなのだ。全力で防護壁を壊し、エディを逃がす。僕の身を賭してでも。


「リオ!」


 マイアさんの掌の中で、目に見えるほどに濃密に練り上げられた魔力が集束し、紫に輝く槍の形をとる。それが螺旋にねじれたそれが僕達に狙いを定める。そのねじれに合わせて空気がねじれるほどの魔力の奔流。


「エディ、逃げて!!」


 僕は祈りの言葉を叫びながら、エディの後ろの防護壁に魔力を叩きつける。波打ち、僅かに皹が入る感覚。


 ……でも、駄目だった。それ以上の変化は、無い。


「そんな、女神様! こんな所で、僕はッ!!」


「……悲しいものね、貴女も誓いがあったみたいだけれど。……ごめんなさい、リオ。酒場で私達の為に怒ってくれたこと、少し、嬉しかったわ」


 マイアさんが少しだけ眉を寄せて微笑んだ気がした。次の瞬間、僕達に向けて魔力の矢が放たれる。やけにゆっくりとそれが近づいて来るのが見える。ああ、ダメだった。僕では駄目だった。僕のせいで、僕が気付かなかったから。ごめんエディ、ごめんなさい。ごめん……。魔力が迫る中、僕は振り返ってその言葉だけでもエディに向けようとした。


 その時だった。


 風が揺らぎ、魔力が弾かれる感覚。魔王幹部3人に背を向けた僕の左右を魔力の塊が通り過ぎ、防護壁に叩き付けられる。結界の中に響き渡る轟音と豪風に、僕とエディが振り回されるように地面に倒れこむ。


「な、なにが!?」


 僕は身体を起こそうとして、気付いた。重い。そうだ、僕は誰を背負っていた?それを思い出すと同時に、僕の上で可愛らしい欠伸の声がしたのだ。


「ふぁあああああ……、なになに? どうしたの、また喧嘩? ……マイアちゃん、寝ぼけたの?」


 四天王の1人、獣人のミリエラが首を傾げて辺りを見回していた。状況が分かっていない様子の沈黙の後、僕の上からひょいっとどいて、僕の身体を軽々と抱き起した。


「おはよーリオちゃん! リオちゃんのお膝温かくって寝ちゃったよ、えへへ! って、あれ、リオちゃん泣いてるの? なんで、どうして? え、もしかしてマイアちゃんと喧嘩した!? なんでなんで!?」


「お、おはようミリィちゃん」


「ミリィ、どきなさい!」


 僕が突然の事に目を回しかけているところに、マイアさんの鋭い声。僕がそちらに目を向けると、既に第2波を手の中に集めているマイアさんの姿。しかし、その視界にミリィちゃんの小さな背中が立ち塞がる。


「どかない! なんで喧嘩してんのさ!! なに、マイアちゃん酔っぱらったの? マイアちゃんお酒そんな強くないからねー……ごめんねリオちゃん」


「あー……ミリエラ、すまんが今は取り込み中でな」


「その通り。その2人は魔王様を殺そうとする敵でござる。魔法が効かない身体が盾になってるとマイアの魔法が届かんでござるよ」


「え!? 敵ってなにそれ、初耳なんだけど!? ほんと、リオちゃん!?」


 ザヒードさん達が何とも言えない顔で促す言葉に、ミリィちゃんが僕の目を覗き込む。突然の状況に頭の中が真っ白になってしまって、僕は何も言えない。言葉が出てこず、代わりに涙が零れて来る。

 命が一瞬助かっただけで、僕の心は挫けかけていた。命を賭けてもエディを助けられず、やり直しのこの奇跡を無駄にしてしまう所だった自分に絶望し、頭の中心が凍ったようになってしまっていた。ミリィちゃんの目が心配そうにくるりと回り、僕の名前を呼ぶ。


 僕の代わりに応えたのは、エディだった。魔法が効かないミリィちゃんの身体を立てにするどころか、堂々とその前に立って僕とミリィちゃんを背に庇うようにして、真っ直ぐに3人に顔を向けている。


「俺達は勇者だ、女神様に導かれた勇者だ! それは間違いは無い!!」


「聞いた? ミリィ! 退きなさい!」


「だけど!!!」


 エディの声がマイアさんの声をねじ伏せる。そして、エディはゆっくりと息を吐き出す。


「少なくとも俺は、魔王を殺そうなんて思ってないぜ? なあ、リオ」


「エディ……」


 凍り付いた僕の頭に、少しだけ熱が戻る。それは、僕が王様の前で宣誓した言葉だ。僕が何も言えない間にエディは、僕を守っているミリィちゃんの頭をわしわしと撫で、礼を言った。


「まったく、女とチビに護られる勇者が魔王を倒すなんて、そもそも出来るか怪しいもんだ。情けないけどな。……だけどよ、こう言ったのは俺じゃあないんだ。リオがな、王様に言ったんだよ。魔王が何をしようとしているのかを知りたい、だから逢いに行くって」


「魔王様が、何をしようとしているか、ですって?」


「そうさ。俺も王様達も最初は、魔王を討伐にって盛り上がってたんだぜ? だけどな、俺の幼馴染は王様に……ただの村娘だったこいつがだぜ? 堂々と言ったんだよ、『魔王が何故人間を攻めるのかを知らないから、知りたい』ってさ。驚いたぜ」


 マイアさんは手を僕達に翳したまま、だけど口をつぐむ。その後ろでザヒードさん達は顔を見合わせている。ザヒードさんが何かを呟き、イズミさんが首を振る様子がよく見えた。段々と頭が冷静になる。まだがくがく震えてしまっている膝を両手で押さえながら、僕も声を上げる。


「僕は! ……僕達は、魔王の事を何も知りません。何故戦っているのか、何をしようとしているのか! 海の向こうの魔大陸で起こっている事を知らないまま戦っても、きっと上手くいかないんです。殺し合って、例えどっちが勝ってもそれは……」


 失敗なのだ。だから僕は今こうして此処に居る。ふらついた僕を、ミリィちゃんとエディが支えてくれた。お礼も言えず、僕はマイアさん達に訴える。


「貴方達が探している勇者は、間違いなく僕達の事でしょう。でも、貴方達と闘いたいと思っているわけではないんです! 殺し合いたい訳でも、憎み合いたい訳でもない! だから、どうか……どうかッ」


 僕はマイアさんを見つめる。……そこでやっと気付いた。エディも震えている。当たり前だ、僕の事をただの村娘と言ったけれどエディこそ正真正銘の村の少年だ。やり直し前と違って、特別な力を授けられたわけでもない。それでも、それなのに、僕と共に立ってくれている。倒れた僕の前に立って、守ってくれた。

 ああ、やっぱりエディは、勇者なんだ、と思う。


 沈黙の時間が続く。マイアさんの手の中の魔力は渦巻いたままだ。マイアさんの指先の動き1つで掻き消える僕達の命の揺らぎの儚さ。僕が気を失いそうになる位の重苦しい時間を置いて、口を開いたのは、ザヒードさんと、ミリィちゃんだった。


「……あのー、だな。1つ勘違いがあるんだが」


「探してるの、勇者じゃないよ?」






 ……はい?

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