第37話 新たな出会いとあの夜のトラウマのこと

「ミーリーィー!!」


 口いっぱいに焙り肉を頬張っているミリィちゃんの口元を、僕が拭ってあげている時だった。酒場の扉が勢いよく開いて迷子の少女の名前を呼ぶ女の人の声が飛び込んでくる。そっちを見ると、頭巾とマントと言った風貌のお姉さんが店内を見回している姿が見えた。


「あ、マイアちゃんだ。マイアちゃーん、こっちこっち! どこ行ってたの? もー」


「もー、はこっちの台詞よ! どこ言ってたの、も私が貴女に言いたいわよ! 広場で二人と別れてから、ものの数秒で消えて! 私が! どれだけ! 探したか!」


 つかつかと靴音高く僕達のテーブルに向かってきたお姉さんは、ミリィちゃんの耳を軽く引っ張ってお叱りの言葉を向ける。頬っぺた一杯の肉をよく噛んで飲み込んでから、ぺろりと唇を舐めたミリィちゃんは悪びれた様子も無く首を傾げる。


「えへへー、だって笛のおじさんが上手だったから! それに、おじさんに串焼きも奢って貰ったんだよ! 美味しかった!!」


「美味しかった、じゃないわよ全く。貴女は魔力探知でも見つかりにくいのだから、勝手にいなくなったら見つけるのが大変だといつもいつもいつもいつも言ってるでしょうに!」


「ごめんてー……あ、リオちゃんそっちのお肉美味しかったからもっかい」


 あーん、と雛鳥の様に僕に向けて口を開けるミリィちゃん。そこでやっと僕達に気付いたようにお姉さんが僕達を睨みつけた。その剣幕は僕の隣のエディが喉に肉を詰まらせるほど迫力があった。


「貴方達……ミリィを懐柔して攫おうとでもしてたのかしら?お生憎様、私が来たからには好きにはさせないわ。そもそもこの子はこう見えても相当に強いのよ。貴方達が悪いことをしようとしてもこの子が逃げようと思えば逃げられるし、乱暴でもしようものなら貴方達の様な子供なんて相手にならない程の力があるのよ。それに何よりも私と言う保護者が居るのだから地の果てま「リオちゃん、あーん」で攫ったとしても必ず見つけ出して燃やし尽くして「え、でも今マイアさんがお話しされて……」あげるんだから。貴方達の様な脆弱な物であれば私の小指「もー我慢できないよぉ、はーやーくー」の先で描いた小さな魔方陣で事足りるわね。さあ観念なさい、今ここで大人しくミリィを「ええー……えっと、じゃあ、はい、あーん……」返すなら目を瞑ってあげるわ。もとはと言えばこのバカ娘が「あーん♥」1人でいなくなってー……」


「美味しいねぇ」


「う、うん、そうだねー……」


「ミリィ、野菜も食え野菜」


「えー、さっき一口食べたから良いじゃん! エディちゃん食べてよ」


「野菜も食わないと色々でっかくなれないぞ」


「あの、2人ともー……」


「むむ、確かにマイアちゃんはお野菜ばっかり食べてるのにおっきい!」


「身近に良い例が居るんだったらちゃんと食え。ほれ、俺が半分食ってやるから」


「わぁい、エディちゃんは優しいねぇ」


「ば、ばか、別にそんなんじゃねえし! ちょっと妹の事思い出してだなあ」


「ねえ、ちょっと……」


「え、なになにエディちゃん妹居るの? 10人位居る?  似てる?」


「そんな居るわけあるか! 1人だよ!」


「エディとは目が凄く似てるよ。……じゃ、なくて、その、ねえっ、2人とも!」


「なぁに?」


「なんだよ」


 やっと2人がこっちを見てくれた時には、既にお姉さん……マイアさんは意気消沈して椅子に座り、テーブルの木目を指でなぞっていた。


「……別に、心配してたのはどうせ私だけだし。ミリィが居なくなって街のあちこち探しまわって、あまり魔法も使ってはいけないと言われてるからわざわざ人に聞いて回って……どこかでミリィが騒ぎを起こしてないかって冷や汗をかきながら歩き回ったと言うのにミリィは随分と街の人と仲良くなって……男2人はどこほっつき歩いてんのか宿にも帰って来てないしどうせ私は貧乏くじでいつもいつも1人取り残される定めなんだわ……知ってる、知ってるんだから……」


「あ、あの、マイアさん……僕達はミリィちゃんがまた迷子にならないようにご飯一緒に食べてただけなので、攫ったりしませんから……ほらっ、2人とも! 謝って!」


「えー? でもー……」


「な、なんで俺まで」


「い・い・か・らっ!!」


「「ごめんなさい」」


 僕が有無を言わさずに畳みかけると、2人はその勢いに押されたように同時に謝った。ミリィちゃんがこっそり骨付き肉を摘まもうとした手をペちんと叩いて下げさせてから、マイアさんの肩を叩いて元気づける。


「ほら、マイアさん、ミリィちゃんも謝ってる事ですし、ここで見つけられたのはマイアさんが頑張って探したからですよ! ね、ほら、元気出して下さい! ……えっと、あの、これ、ほら、ここのサラダとっても美味しいんですよ! 良かったらマイアさんもご一緒に夕飯如何ですか? ね?」


 サラダをボウルごと前に置いて、そっと両手でマイアさんの手に鉄のフォークを握らせる。弱々しく顔をあげたマイアさんは、間近で見ると同性の僕でもドキッとするような整った顔立ちで、長い睫毛の先に震える落ち込み涙すら綺麗だと思ってしまう程。


「貴女……あら?」


 何故か僕の目を見つめて目を瞬かせるマイアさんは、少し首を傾げて尋ねる。


「人間なのね」


「え、あ、はい。 人間の神官見習のリオって言います。こっちは同行者のエディ。幼馴染です」


「ども、はじめまして」


「エディちゃんとリオちゃんにはね、ご飯奢って貰ってたの! マイアちゃんも食べよう!」


「あの、もしよろしければ、ですけど……」


 あれほど叱っていたミリィちゃんの言葉にも反応せずに、じっと僕を見るマイアさんの紫水晶の様な瞳。どぎまぎしながら僕は話しかける。すると我に返ったように頷いて、目元をハンカチで拭って椅子に座りなおしてくれた。


「この子は言い出したら聞かないから、ご一緒するわ。でも、私とこの子の分はきちんと払わせていただきます。路銀に困っているわけではないのだもの」


「遠慮しなくても良いんだぜ、マイアさん。これも何かの縁だ、気にすんなって」


「そう言う訳には……」


 マイアさんが溜息交じりにそう言った時に、突然、僕達のテーブルの横に男の人が3人立つ。戦士然とした恰好の2人と、ローブ服の男。真っ赤な顔にふらついた身体。吐き出す息の匂いを嗅がなくても分かる位に酔っぱらっている。


「よう姉ちゃん達、俺達にも奢らせてくれよ! 俺達の席に来てくれりゃあ何でも食べさせてやるぜ?」


「ほんと? お肉とかも?」


「おうよ、そりゃもうこの酒場で売ってるもんなら何でもだぁ! へっへっへ、お嬢ちゃんどうだい」


「あ、兄貴ぃ、おれ、そっちの黒髪の子が良いなあ」


「俺はそっちの別嬪さんで、へへへ」


 向けられた視線に僕は嫌悪感で身震いする。そして、気落ちから回復しかけていたマイアさんを見ると……俯いたまま震えていた。

 それはそうだ、大人の女性と言っても、相手は男が3人では怯えもする。しかもきっと冒険者か何かなのだろう。太い腕に傷顔。使い込んだ武器が腰に下げてある。僕は、フォークを握ったままのマイアさんの手にそっと手を重ねて立ち上がる。


「お、なんだぁお嬢ちゃん。お嬢ちゃんからこっちに来てくれるのか?」


 立ち上がった僕に伸ばされた手は、しかし、僕の肩に触れることはない。鞘に入ったままの剣でエディが横から跳ね上げたのだ。叩かれたローブの男は手を庇いながら、慌ててリーダー格っぽいおじさんの後ろに隠れる。


「何だぁ、手前……」


「嫌がってるんだよ。分かんだろ? それに、こっちが先約だ。 順番は守って貰わないとな」


「順番だぁ……? はっ、兄貴、こいつ女の前だからって張り切っちまってやがるぜ!」


「おい坊主、順番なんてのは同等の立場の奴同士で守るもんだぜ? 怪我しないうちにとっとと失せな」


「うん? なあ兄貴、兄貴よぉ」


「なんだ」


 後ろに隠れた男がリーダーの服を引っ張る。そして、ミリィちゃんとマイアさんを指さして、うすら笑いを浮かべた。


「こいつら人間じゃねえぜ、魔力が違う へへへ、人間っぽい格好で隠してるが、亜人だ」


「なんだって? は、なんだ、誘って損したぜ。ゲテモノ食いなんて趣味じゃねえ。正体隠して食う飯は美味いか、ええ? わざわざ人間の振りしてるって事は、お尋ね者か何かか。気付いて良かったぜ、面倒事に巻き込まれるところだった」


 突然掌を返したように顔をしかめる男達。その突然の豹変に僕は空いた口が塞がらなかった。僕が手を重ねたマイアさんの手の震えが強くなるのが分かった。男達は去り際に、エディに顔を向けて鼻を鳴らす。


「坊主、人間の女とだけ遊ぶこったな。混ざりもんのガキが出来ちまうぞ」


「? エディちゃん、混ざりもんってなに?」


「おう亜人のガキ、それはな……がふっ!?」


 ミリィちゃんが聞き返す。男が応える前に、その言葉は剣の柄で砕かれていた。エディは振るった剣を抜かないまま、返す刀で男の頭を強かに殴りつける。頭を押さえて後ろに転げた男を見て、リーダーとローブの男が慌てて剣を抜こうとした。だから僕はミリィちゃんとマイアさんの前に両腕を広げて立つ。僕の右手には、王都で王様から頂いたフレイル。やり直し前から手に馴染んだ武器だ。そして、エディも鞘に入ったままの剣を構える。


「それ以上喋ったら、次は顎を砕くぜオッサンたち」


「酔っ払いの暴言にも程度があります。……僕も、流石に怒りますよ」


「おいおい、へへへ、正体を隠してる奴等なんて碌なもんじゃない……」


 言いかけた時には、エディの剣の切っ先が男の喉元にあった。速い。村に居た時よりも練度の上がった動きは、レイナートさんとの稽古の賜物だろう


「それがどうした。……言ったよな。それ以上喋ったら……」


「ぐ……」


 硬直した男2人の後ろで、最初に転がった男が頭を押さえながら立ち上がる。お酒で真っ赤になった顔を怒りで更に赤くして、そいつは腰のナイフを抜き払った。


「手前等! 馬鹿にしやがって! 痛い目見せてやる!」


 男がナイフを構えた瞬間だった。


「痛い目見るのは、お前たちの方だ」


 他の男の人の声がして、ナイフの男が横に吹っ飛ぶ。僕達がそっちを向くと、そこには周りで呑んでいたお客さん達が立っていた。ドワーフ、獣人、小人族、獣人……。


「な、何しやがる! お前等も怪しいこいつらの味方なのかよ!」


「誰が、ゲテモノだって?」


 ウサギの頭をした長身のお兄さんが目を細める。可愛い顔なのに、凄い威圧感だ。その言葉を聞いて、やっと自分達の失言に気付いたのだろう。男達の顔色が一気に白くなる。


「正体を隠してるなら、それなりの理由があるんじゃろう。共和国は色んなものが流れ着くからの」


 ドワーフのおじさんが三つ編みになった顎髭を撫ぜながら言う。男達よりも小柄なのに腕は男達よりも太い。


「それを暴こうなんてのはこの国の道義に反する。少なくとも、今この場においては、オメェらが剣を抜いた、そのことが一番の問題だ。なあ姉貴」


「見ねェ顔だね、流れもんかい? この国の流儀ってのを知らないようだねぇ」


「お、おい、へへへ、言い過ぎたよ、俺達も本音じゃあねえ……な、な、勘弁してくれよ、冗談だって」


 震える男二人に、長身のお兄さんとお姉さんが両側から肩を組み、にっこり笑いかける。


「へえ、冗談だってよ姉貴」


「そうかい弟。それじゃあ、これも冗談さね」


 つられてへらへらと笑う男達に口を開いて見せる姉弟。その口の奥には二股の舌、目は爛々と輝く丸い蛇の目。息をのんだ男達を、そのまま有無を言わさない力で酒場の外に引きずっていった。あとに続くお客さん達。


「……あ、悲鳴」


 ミリィちゃんの暢気な声に反して、遠くから聞こえた怒号は激しい物だった。



 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/



「貴方達は変わってるわね」


 酒場からの帰り道、マイアさんがそう言った。僕は、背中で寝息を立てているミリィちゃんを起こさないようにそっと背負いなおしてから、どうしました?と尋ねる。すると、マイアさんは複雑そうな顔で笑って返す。


「あの男達は下品だけど、言ってる事は本当だったわ。私達は確かに、人間種ではない。訳あって正体を隠している。……それなのに、こんなふうに帰り道にまで付いてきて」


「いやー……ミリィちゃんが僕の膝に座って寝ちゃうとは思わなくて……」


 あの騒動のあと、戻って来たお客さん達に僕達は慰められ励まされ、共和国を嫌いにならないでくれとご飯をご馳走になってしまった。恐縮する僕達の横で、ミリィちゃんは片っ端からご飯を食べ続け、満腹になった途端に僕の膝に座ってうとうとし始めたのだ。

 マイアさんが抱いて帰ろうとしたけど、ミリィちゃんの手がしっかりと僕の服を握りしめて離さなくて、結局、エディの「夜道を女だけで帰せない」という言葉で、今こうして一緒に歩いているのだ。


「この子がこんなに人に懐くって言うのも珍しいわ。人見知りはしないけど、私達仲間内以外の人の膝で寝てる姿なんて初めて見たもの。ごめんなさいね、重くないかしら」


「全然です、村ではもっと重い薪とかを運んだりしてましたから」


「寝てる姿は、人間もそれ以外もかわりゃしねえさ。別に、俺達に何かしようって訳でもないだろ、マイアさん」


「それはそうだけれど……」


 少し口ごもった後、マイアさんは尋ねる。


「正体不明の物を、怖いと思わないの?」


「全然」


「怖くないです」


 エディと僕はあっさりと答える。少なくとも、今背中に感じてる暖かさと安らかな寝息は本物だ。そう答えた僕達を見て、マイアさんは驚いたような感心したような様子で目を丸くする。そして、ふと表情を緩めて、今日はじめて微笑んだ。


「……やっぱり、貴方達は変わってる」


「そうですか?」


「そうよ、ふふ」


 たおやかに微笑むマイアさんにつられて僕も笑う。エディは少し前を歩き、振り返る。


「なんで正体隠してまでこの町に来たんだ?」


「エディ、あんまりそう言う事は……」


 僕が窘めようとするけど、マイアさんは微笑んだまま、貴方達なら良いわ、と言葉を漏らす。


「人探しよ。この街に探し人が来ていると聞いてね」


「へえ、ザヒードさんやイズミさんと同じじゃん! って、え、もしかして2人の同行者って」


「……驚いた。もう面識があるのね。その通りよ、大男のザヒードと、眼鏡のイズミ。ほら、あそこの宿の前で立ってる」


 その名前を口にしたと同時に、僕達の向かう先、人気のない大通りに2つの。月明かりではっきり見えたのは、件の2人だ。……なんでだろう、それを見た僕はなんだか酷く胸がざわついた。

 思い出すのは、今朝見た夢のこと。なんでだ、と自問すれば、すぐに自答が返る。……夢の光景と似ているのだ。炎は無いけれど、そう、ここだ。思い出した。僕達が追い詰められて、魔王の幹部に見逃された場所は、この大通りだ。


 嫌な予感が胸を締め付ける。背中で眠るミリィちゃんの温かさすら遠く感じる様な焦り。大男、異国の鎧、大人の女……まさか、まさか。思わず足を止めた僕に気付かず、エディは2人の影に手を振る。そして、マイアさんが僕の背中のミリィちゃんを起こそうと揺すりながら、思い出したように尋ねる。


「そう言えば、貴方達はなんでこの国に?」


 それは無邪気な問いかけだ。そしてきっと、無邪気に答えてしまうだろう。エディ、駄目。答えてはいけない。そう僕が口にするよりも先に、エディは笑いながら言った。


「女神様に神託を受けた勇者一行なんだ、俺達。魔王に会いに海を渡る為に、ここに来た」




「勇、者?」




 2人の影が止まる。マイアさんが目を見開く。




 ああ、ああ。



 空気が、変わった。

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