第31話 王の差配と勇者の条件のこと

「陛下! これは、会場にお降りになられるとは……祝いの席で騒ぎを起こし、申し訳ございません」


 レイナートさんが慌てて剣を床に寝かせ膝をつく。胸に拳を当てて騎士の礼を取るのを見た周りの貴族さん達も膝をつき、頭を下げる。僕とエディが遅れてそれを真似しようとした所で、王様が手を揺らしてそれを止める。


 初めての謁見の時には痩せこけて居た王様の印象は、ぎょろぎょろした目の貧相なおじさんだった。だけど、顔色も良くなってきちんと口髭の先まで整えた姿はやっぱり立派で、今は目も穏やかな光を湛えていた。僕はやり直し前も含めて、初めて普通の状態の王様に逢ったんだって気付いた。


 突然の国のトップの登場に静まり返る広間。当然だ、レイナートさんも言ったけど、王様の復帰の祝いの席での喧嘩、ましてや刃傷沙汰だ。今の今まで止められなかったのが不思議なくらいだ。むしろ……。


「なんで王様が自分で止めに来たか、と疑問に思っておる顔だの、勇者リオル。それに、勇者エドワード。……ふむ、勇者ロイド、貴様は冷静だな」


 頭の中を言い当てられて驚いている僕の後ろ、振り返ると、ロイドが気まずそうに頭を掻いて頷いた。


「……最初、なんでほかの騎士が止めないのかって思ってたんだけど、王様が玉座から俺達の事を見ているのが見えた。だから、何かあるのだろうとは思っていたんだけど」


「だから、仲間が剣を抜いても止めなかったと。友人同士で殺しあうことを良しとしたのか」


 王様の声は静かで、決して荒げる事はない。それは、僕達が謁見の時に騒いだ時ですらそうだった。でも、問いかける声は静かだからこそ重い。ともすれば、止めなかった不義理を責めているように思えた。でも、ロイドはその王様の目を真っ直ぐに見て、首を振る。


「殺しあうことは望んではいない。……だが、男同士が本気で真剣にぶつかる事を止めるのは、男じゃあない。そう思った。……それは王様、あんたも一緒のはずだって思った」


「ろ、ロイド! 王様に向かってあんたなんて言ったら……ッ」


 王様の問いは、僕には、間違えたらその場でまた取り押さえられてしまうようなものに思えていた。だから、ロイドが止めなかったことを謝らなかったことに驚いたし、呼び方にも慌てた。だけど、王様は怒るどころか愉快そうに目を細め、黒々とした口髭の端を上げる。


「よい、よい。問いかけたのは儂であるし、おもねらずに答える事が、この場では誠実である。そして、止めなんだのは儂の命である。あの騒ぎの中よく回りを見ておった」


 ゆっくりと頷いて、王様はエディの方を見た。剣を握ったままのエディも、さすがにそれはまずいと思ったのか慌てて鞘に納める。そんな様子を見て肩を揺らして笑った王様は、続けて問いかける。


「どうじゃ、我が国の騎士は強かろう」


「……強かった、です。俺だって鍛えてきたけど、一撃ずつが重くて、速くて」


 エディが悔しそうに答える。その言葉に目を細め、王様は言葉を続ける。


「しかしレイナートは我が国の指折りとはいえ、この国の中でも上には上がいる。その上で、それらの騎士をまとめ上げてもなお、騎士が相対する魔物は強く、命を落とす事もある。……ここ10年の間で、その魔物達を纏め上げて海を渡り、この大陸に侵攻を始めて来た魔王は更に強大な存在であると伝え聞いておる。事実、魔王の国にほど近い人間の国のいくつかは既に滅ぼされている。……それに立ち向かう勇気は、貴様にはあるか」


 勇者として旅立つことはすなわち、魔王を倒す旅に出ると言う事。やり直し前の僕とエディは、王明ではなかったけれどその道を進むことになった。何度も心が折れそうになっても、エディはまっすぐ前を向いて突き進んでいった。だから、王様の問いにエディが何と答えるかは、僕はわかっていた。


「ある。俺はガキの頃から、勇者になるために鍛えて来た。……そりゃあ、確かに今はレイナートさんにも負けそうになったけど、鍛えながら旅をして、絶対に、魔王を倒して世界を救って見せる」


 根拠はない言葉だ。でも、僕は知っている、その言葉はきっと本当になるって事を。エディはその事を知らないのに、王様に気後れもせずに言い切った。王様は頷いて片手を上げる。すると、王様の左右に控えてた騎士さん達が揃って剣を抜き、エディに切っ先を向ける。周囲がざわつき、囲む輪が広がる。


「こうしてもか。ここで我が王国の騎士達相手に戦い、その力を見せよと申しても」


「やって見せる、それが必要であれば」


「では、これならどうだ?」


 一瞬の躊躇もなく言い切ったエディに、王様は口髭の片側を上げて腕を横に揺らしてみせる。騎士さん達の切っ先が動いた。……向けられたのは、僕。ずらりと並んで微動だにしない剣は白々と輝いて、練度も、覚悟も伝わる。王様の指先一つで、僕は八つ裂きになるだろう。エディが慌てたように僕の名前を呼ぶのを聞きながら、王様は目を細める。冷たい光だ。


「女神の啓示を受けた勇者である貴様が奮戦すれば、騎士達を倒す事は叶うかもしれぬ。だが、その間に勇者リオルは息の根を止められる事になるだろう」


「それはッ」


 エディが絶句する。僕は背筋がざわつき、情けないけれど膝が震えてしまっている。王様の指先の動き一つに、僕達の命が握られているのは揺るがない事実なのだ。僕は、王様が何をしたいのかが判らずに混乱してしまう。しかし、僕やエディが何かをするよりも先に、王様が手をゆっくりと下せば、騎士さん達は剣を引いた。一瞬遅れて、どっと汗が噴き出すのが判った。


「だが、それをやると、儂は勇者3人に加えて、有望な家臣を1人失う事になる。レイナートよ、懐に入れた手を放せ。勇者を討つことを本意とするのならば、貴様が剣を抜いた時点で止めておるわ」


「レイナートさん?」


 エディが驚いたように声を上げる。レイナートさんが顔を上げ、息を吐きながら右手を床に戻した。そこに置かれたのは、懐剣。


「勇者エドワードよ、貴様に剣が向けられた瞬間、こやつは何かあれば儂に逆らい、貴様らを逃がす事を決めておった。のう?」


「……お恐れながら、多勢に無勢と判りながらも」


「よい、許す。……勇者エドワードよ、貴様があのまま貴族と剣を交える様な事を望めば、勇者といえども儂は王として、国家への反逆とみなし騎士を動かさなければならなくなるところであった。だが、レイナートは自らが動くことで、あくまで決闘であると事を納めようとしたのだ、それは判るな?」


 その言葉に目を丸くしてレイナートさんを見るエディ。レイナートさんは少し困ったような顔をするけれど、また深く、王様に首を垂れる。


「ましてや、初の謁見の時にも貴様は問題を起こしておる。今度は見回りの罰だけではすまぬ所であった。心根が正直である事は美徳ではあるが、愚直では事は成せん。その結果、貴様は貴様の友までも危険にさらす事となった。それでは守れぬ。……これで学んだな」


「は、はい……」


 顔色を失ったエディが頷く。それに返すように深く頷いた王様は、レイナートさんに視線を移して名前を呼んだ。短く返すレイナートさんの声は固かった。


「勇者エドワードは、貴様の子供の頃によく似ておる。心配になる気持ちはわかるが……だが、過保護に過ぎる」


「は、申し訳ございませぬ」


 過保護。剣を抜いて切りあうまでしたのに、と僕は理解が出来ずにいた。訳が分からない事が続いて、目を回しそうになる。それが顔に出ていたのだろうか、王様はまた僕のそれを指摘して目を細める。僕はそんなにわかりやすいのだろうかと悩む間に話は進む。


「だが、女子供といえども矜持はある。貴様もまだまだ機微に疎い若造よ。真っ直ぐ人の心に届かぬことがあり、それは剣の道と同じ。……貴様の持つ矜持と同じように、勇者リオルにもまた矜持がある。それは判るな」


「はは……」


「だが、それを超えてなお、言わねば気が済まぬことがあったという事なのは見て取れる」


「は……?」


 驚いたように顔を上げるレイナートさんの前で、王様は口髭を指で撫でて目を細める。口髭の片側を上げるのは癖なのだろうか、そうすると、威厳があった王様の顔がやんちゃなおじさんみたいに見える。


「……まったく、過保護もそうだが、貴様は本当に、女慣れしておらぬな。総団長と父御が嘆いておったぞ、後継ぎが真面目に過ぎ、女遊びをしないで困ると」


「へ、陛下……!?年若い者が居る前でございます、お戯れは……ッ」


 からかうような口調に代わる王様に、レイナートさんが慌てる。なぜか僕の方を一度ちらっと見たけれど、やっぱり僕は子供扱いされてるのだろうかと思う。なんでエディやロイドの方は見ないのかな。1、2歳しか違わないんだけどな。


「年若いが、女神の託宣を受けた勇者達だ。少年の目は燃え、少女の目は輝いておる。まだまだ先は長いやもしれぬが、普通とは違う何かを持つ者達である事は儂にもわかる。事実、我が家臣達が誰一人として解く事が叶わなかった儂の呪いを解いたのは、貴様が籠に守ろうとした、勇者リオルだ。……聞けば、貴様も何度も助けられているのだろう」


「常日頃武を磨いている身でありながらお恥ずかしい事ですが……」


 言い返す事も出来ずにレイナートさんが頭を下げる。それを見て、深く息を吐いた王様はまるで我が子を叱る父親のような声で続ける。


「それだ、それがいかん。恩義とは心に刻むべき事ではあるが、それを恥じ入る事は貴様を助けた者を侮る事に繋がる。貴様がどう思っていようとも、助けた者は、助けた相手が助けられた事を我が傷と思っている姿を見たいと思う物か」


「それは……」


 レイナートさんが僕を見た。僕は少し躊躇ってから、少しだけ頷く。王様が言う事は、まさに僕が思っていた事なのだ。


「……僕は、弱いです。身体も小さいし、剣も振るえない。けど、それでも、その事を理由に僕の代わりに誰かが傷つくのは嫌です」


 息を吐く。そして、エディとレイナートさんの頬っぺたにくっきり残った僕の手形に手を添えてお祈りをする。淡い光がこぼれて、そんな赤さはすぐに消え去る。エディの身体に走った刀傷もそうして癒す。それを見て、周囲の貴族さん達から声が漏れるのが聞こえた。僕は、その場にいる皆に聞こえるように、はっきりと言う。


「僕は、僕達は覚悟があります。国を出て、海を渡り、魔王の元に向かう覚悟が。苦しい事も、つらい事も起こる事は分かっています。旅の空の下寒さに震える夜があるでしょう、魔物の牙に傷付いた身体を抱いて夜の闇におびえる日もあるでしょう。それでも、僕達はそれを乗り越える強さがあります。……怖いと判っているからこそ立ち向かえる覚悟がある事を、信じて欲しいんです。……その、ええと……」


 そこまで言ってから、王様をはじめそこにいる人達が皆、僕の言葉を黙って聞いていることに気付いて、急に恥ずかしくなって言いよどんでしまう。耳まで赤くなるのが判る。けど、それでも僕は頷いて、まっすぐに王様を見る。そして、見様見真似だけど、レナートさんの礼を思い返しながら精いっぱいのお辞儀をする。


「王様、僕達の旅立ちをお許し下さい。頼りなく、情けなくも思われるかもしれませんが、勇者の名に恥じぬ行いを誓います。どうか、魔王に逢いに行くご許可を」


「逢いに行く? 倒すのではないのか、悪逆の魔王を。」


 僕の言葉にざわめく場の中、王様は目を細める。笑うのでもなく怒るのでもなく、僕の目の中を覗き込むような眼だ。僕はその眼の強さに気おされそうになる。やり直し前の記憶もあり、ちょっとやそっとの圧には負けない自信があった僕でも、その眼の深さに言い淀みそうになる。


 僕の知っている王のつく人は魔王とこの王様だけだけれど、『王様って凄いんだ』なんて子供みたいな事を今更に思った。そんなことを暢気に考える自分に気付き、少し気が楽になった。だから僕は自分の思っている事を、素直に言う。


「判りません。倒す必要があるならば倒します。……でも、考えてみたら、僕は魔王が何で侵攻を始めたのか知らないんです。まずは、それを確かめたい」


「魔王が何で人間を攻め始めたか、だと?」


 まるで弓を引き絞る様に王様の目が細められる。ちょっと失敗したかなと思うけれど、考えてみたら、やり直し前も国から追放されてるのだ。殺されない限りはやり直し前と同じで、それ以下にはならないと考えたら少し気が楽になる。目をそらさないで僕は一度しっかりと頷く。すると、王様はまるで弾けるように笑いだしたのだ。


「そうか、そうか、いや、これはしたり。賢王等と世にもてはやされておったが、そこを推し量ろうとは思わなんだ。何故攻め始めたか、魔王に尋ねに……ふ、はっはっはっは!」


 肩を揺らして笑いながら、王様は僕の肩を優しく叩いて周囲を見回す。


「どうだ我が臣下よ、この中で1人でも、己が足で魔王の元まで赴き、真意を尋ねようと考えた者はおるか。魔王を恐るべき魔物と考えず、話し合う事が出来る1人の人間として考えた者は」


 王様の声、視線につられて僕も見まわす。可笑しそうな目、気味悪そうな目、興味深そうな目。表情は様々だった。けれど、1人として声を挙げる人はいなかった。王様はゆっくりと頷いた後に、僕を立たせて王錫を持つ自分の手に僕の手を重ねさせる。大きくて暖かな手。病み上がりとは思えないほどに、その手には力が満ちていた。その錫で石造りの床を突く。こぉん、と響いた音が消えてから、王様は口を開く。


「聞け、我が民よ。勇者とは、誰よりも恐れを知らず突き進む者ではない。勇者とは、何者よりも強くある者ではない。……己の非力を知り、それでもなお立とうと足掻く者である。恐れを知りながらも目をそらさず、それを知ろうと見つめる者である」


 決して大声ではないはずなのに、びりびりと身が震えるような力強さ。それなのにとても安心できる深い声。僕は、やり直す前はこの人を助けられなかったのだと思うと、やり直し前の後悔と今こうして隣に立っていられる喜びが胸の中にぐちゃぐちゃに混ざって、また涙が零れそうになる。


「儂は国王として、人の王としてこの者達を勇者として認めよう。我が力は勇者の力、勇者の意志は我が意志である!」


 その宣言に、その威風に、その場にいる人は皆膝をついて首を垂れる。その中心に王様と一緒に立つ僕はなんだか凄い気恥しい気持ちになりながらおろおろしてしまった。それが可笑しいのか、王様は優しく笑う。


「我が国の民は何者であれ我が子である。行け、我が娘よ。この巣立ちを父は喜び見送ろうぞ」


 それは、どこかビル爺ちゃんを思い出す暖かい笑顔だった。

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