第30話 本人不在の決闘のこと
「レイナートさん!?」
思わず僕は声を上げる。しかしレイナートさんは僕の方に顔もむけず、エディを静かな目で見つめている。今までの旅では一度も見せなかった冷たい目は、まるで仕事を片付けるというだけの無感情なもので。エディも絶句してその目を見つめている。信じられないものを見る目だ。
「よく言ったレイナート! 皆様もお聞きになりましたな! これは正式な決闘だ! さあレイナート、その勇者と持ち上げられてる田舎者の鼻を明かしてやれ!」
「れ、レイナートさん……冗談だよな? 俺とレイナートさんがやりあう理由なんて……」
「やりあう理由はあるさ、大きな理由がある」
狼狽するエディにそう言ってから、レイナートさんはゆっくりと僕に顔を向け、下がれというように手を揺らす。僕がその様子に声を上げようとした所で、僕の手を引いた人がいた。ロイドだ。眉間に深くしわを刻んだまま、だけど何も言わずにレイナートさんに従うように僕を下がらせる。
そんなロイドに僕は驚いて「なんで」と問うけれど、「良いから」とロイドは短く返す。その声は抑えているけれど強く、普段と違う2人の様子に僕は混乱してしまい、情けないけれど何も言えなくなってしまう。二人が何を考えてるのか、何がしたいのかわからない。けれど、身分や役職があるレイナートさんはともかく、ロイドまで。なんで、ともう一度問いかけた声には、ロイドは答えなかった。
「抜け、エディ。剣を構えないとしても、これは私の仕事でもあり、私の意志でもある。無抵抗でも、君を貴族暴行の罪で取り押さえる事が出来るのだからな」
レイナートさんが先に剣を抜く。普段使っている大剣ではなく、儀礼用の長剣だ。それでもその直剣は研ぎあげられていて濡れる様に輝いている。専門家じゃない僕でもわかる、傷つけるには十分すぎるほどに上等なものだ。
「レイナートさん、なあ、どうしたんだよ……そんな貴族の肩を持つのか!? アンタそんな人じゃないだろ!?」
それでもなお、エディはレイナートさんに声を向ける。一歩、エディがレイナートさんに近づいた、その時だった。宙に真っ白な線が一瞬引かれる。僕には、その動きの起こりが見えなかった。エディの胸を飾っていた花が、地面にはらはらと落ちる。レイナートさんは、目にもとまらぬ速さで振り抜いた剣を引き、真っ直ぐエディに向ける。……その表情に僕は身震いをする。本気だ。
「……もう一度言うぞ。抜け、エドワード・ランドワーズ。戦うべき時に戦えず、君に何が出来る。『勇猛である者』という称号は君には重すぎるのであれば、大人しく縛につくと良い」
「! レイナートさん……畜生!」
エディは真っ蒼な顔で、それでも僕以上にレイナートさんの本気を感じ取ったのだろう。少しの躊躇いを見せながらも、ゆっくりと剣を抜く。周りの貴族さんたちも二人の邪魔にならないように後ずさって、二人を残して大広間に輪が出来上がる。護衛の騎士と功労の勇者、この大広間の中でも数少ない武器を持っている2人が、王様のお祝いの席で剣を抜く。その事の重大さは僕にだってわかった。
僕の頭の中で、やり直し前の国外追放までの流れを思い出す。王様が死んで、レイナートさんを殺して、僕とエディは逆賊の汚名を着せられたまま王都を逃げ出すのだ。王様は助かった、でも、このままでは、レイナートさんが。……もしかすると、エディが、死んでしまう。傷ついてしまう。考えれば考えるほどに、僕は頭の中が真っ白になってしまって何もできない。
先に動いたのはエディだ。強い踏み込みと共に剣を振るう。けれど、レイナートさんは一歩引いてその剣を長剣で弾く。体勢を崩しかけながら、エディが追撃するけれど、それも受け止めて、牛をかわすようにするっとすれ違う。
悪態をつきながら振り返ったエディに、レイナートさんが剣を振るう。両手で構えた剣でエディが眼前ぎりぎりでそれを受け止めるのを見て、僕は思わず身を固くして声を漏らしてしまう。戦いを見るのが怖い、というわけではなかった。エディが傷つくのが……二人が戦うのが、こわかった。折角、やり直し前と違う道をたどったのに、なんで?なんで!なんで?そんな言葉ばっかり頭の中で回る。
「どうしたエディ……私相手では本気は出せないか? ならば、君の旅もここで終わりだ、魔王討伐など夢のまた夢だな! 世界を救うなんて大言壮語を、今後は口にせず、村で大人しく過ごすと良い」
「く、このっ!」
上から抑え込まれそうになるエディが、力任せにレイナートさんを押し返して、空いた間合いでお腹に蹴りを放ったのが見える。でも、レイナートさんは平然としていた。長剣の柄、両手の握りの間でエディの蹴りを受け止めたのだ。綺麗な型ばっかりじゃない、対人戦に慣れているのだ。
やり直し前に戦ったレイナートさんは、今にも死にそうなくらいにやつれて、気力だけで戦っていた。そうでないレイナートさんは、こんなにも強いのかと僕は思う。やり直し前に積んだ戦闘の経験があるのと、遠くから見ている僕だからまだレイナートさんの動きが見えるけれど、まだ駆け出しのエディはなんで蹴りを防がれたのかもわからない様子だった。
レイナートさんが攻める。エディは防戦に回り、服が、髪が、飾りが段々と切り裂かれていく。……おかしい、と僕はそこで思った。貴族暴行の罪で戦うのならば、こんな風に嬲る様な事はしないでいいはずだ。
「はぁ、はぁ……っ、くそっ、当たらねえ……っ」
「闇雲に振るう剣など当たるはずもない、私が過去に戦った魔物の方が整った太刀筋をしていたぞ! それで世界を救うなど……君の剣では、エディ、隣に居る人すら守ることは難しいだろうさ」
レイナートさんがエディの剣を弾き上げる。隙の空いた胴に重い長剣が軽やかに二度走る。エディの服は既にボロボロで、ところどころ肌がのぞいて、血の筋がにじんでいる。エディは荒い息を繰り返し、それでも剣を構え直す。目は死んでいないけれど、すでに剣の実力の差はハッキリとしていた。
「レイナート! 何を遊んでるんだ、そんな田舎者さっさと切り殺してしまえばいい! 身の程を教えてやれ!」
僕の近くで鼻の穴を広げてふんぞり返る貴族の青年……アグリさんの声。流石に周囲の貴族も顔を顰めているのが見える。僕の視線に気づいたのか、上唇を釣り上げるいやな笑い方を僕に向けて来た。
「おい田舎娘、お前が俺の誘いを断るからあんなことになるんだ。今からでも従順に首を垂れるなら、俺からレイナートに加減をするように言ってやってもいいぞ? ん?」
「ッ! エディ! 負けちゃ駄目だ! レイナートさんも、こんなのおかしいです!!」
「リオ殿……」
レイナートさんが僕の方に視線を向けたその一瞬の隙だった、エディが深く腰を落とし、とびかかる。速い、と僕は思ったけれど、その一撃すらレイナートさんは落ち着いて受け止める。剣戟の音。なんで衛兵の人が止めに来たりはしないのか僕は不思議に思いながらも、エディの名前を呼ぶ。
「レイナートさん……俺は、世界を救う勇者だ、そうなって見せるっ。だからこんなところで、負けて捕まったりはできないんだ!」
「エディ、口で言うならば誰にでも出来る。君1人であれば、好きに進んで野垂れ死ぬことも許されるだろう。それを望むわけではないが、君の道は君が決めて良いのだ」
「なら! どうして……ッ」
「その道に君は、リオ殿を巻き込もうとしている、それに気づかないのか!」
レイナートさんの一喝にエディは目を丸くする。鍔競り合いになっていた剣を払い、力強く2度、剣をエディに叩きつけるレイナートさん。それを必死に受け止めるエディは、肩で息をしながらも言い返す。僕は、2人の会話を聞きながら、真っ白だった頭の中に色が戻るのを感じる。
「俺はリオだって守って見せる、世界を救う前にリオを守ってやるって約束したんだからな!」
「戦う力も持たない少女を君は連れまわし、危険に晒そうとしているのだぞ。守る? この程度の腕では、野盗からも守れまい!」
エディが剣を振るい、2合、剣と剣が打ち合わされる音。2人が僕の事で言い合っている。そうか、2人とも僕の事を気遣ってくれていたのだと気づいた。気付いたから僕は、顔が赤くなるのが分かる。
「俺はまだ強くなる! レイナートさんよりも強くなって見せる!!」
でも、それは話題に挙げられる恥ずかしさなんかでも、女の子として守られる喜びなんかではないことも、僕は分かっていた。
「ならば!」
エディが振るった剣を大きく飛びのいて避けたレイナートさんは、その反動を脚に溜めるように低く屈んだ。エディがその姿にさらに一撃を放とうとした所で、ふっかふかの絨毯に足を取られて一瞬もたついたのが見えた。その一瞬に、レイナートさんの身体が弓から放たれた矢のようにまっすぐ飛び、その勢いを込めた一撃でエディの剣を床に叩き落した。耳障りな音、そして、跳ね上がった剣の切っ先はエディの喉元に突き付けられていた。
「……今この状況から、私をどうやって倒すつもりだ、勇者エディ」
「くっ、この……」
2人が睨みあっている。2人だけの世界だ。男同士の決闘だ。2人は、僕が近づいてきていることにも気づいていない様子だった。僕の後ろでロイドが何かを言ったようだったけど、僕もそれが聞こえちゃいなかった。
最初に僕に気づいたのはレイナートさん。驚いた顔をしてから、近づいちゃいけない、とか言ったような気がしたけど、最後まで言わせなかった。僕の右手は、エディがあれほど苦労したのに当たらなかったレイナートさんにあっさり当たる。ぱぁん、と小気味いい音と共に、レイナートさんの頬に僕の掌の跡。
何か言おうとして開いた口のまま固まったエディに、僕はそのままもう一発。レイナートさんにしたのよりももっと強い平手。掌が熱くなるくらい思いっきり頬を張ってやった。
我に返ったレイナートさんが僕に口を開きかけたから僕はそっちを睨む。まるで冬眠明けのクマを見たウサギのような顔でレイナートさんは口を閉じた。エディはまだ、自分が何をされたかもわかってない顔で、頬に手を当てて僕を見ている。じんじんしてる右手を左手でこすりながら、僕は震える声で2人に言う。
「馬鹿にしないで」
後ろでロイドの溜息が聞こえた気がした。2人が僕の事を気に掛けてくれている事は分かったけど、それでも、僕は許せないことがあった。
「僕は弱い、弱いよ。でも、村を出てきたのは僕の意思だ。レイナートさんから見たら僕は振り回されているように見たかもしれない、だけど、僕は自分で決めてここに来た。ゴブリン退治だって、足がすくんだけど皆を助けなきゃって、僕は思った。だから立ち向かった。……お化け屋敷でだって、皆が居なくなって僕一人になった時に、なんで逃げなかったと思う?皆を置いて逃げたくないって思ったんだ、僕は!」
悔しかった。やり直し前の冒険では、確かに僕はエディに引っ張られて冒険を続けて、気付いたら2人ぼっちになって、誰も頼れずに魔王に立ち向かっていた。その結果があんな未来だった。だから、今の僕はそうならないために、自分で動こうとしてきた。だけど。
「2人から見たら、僕は守らなきゃいけない弱い奴のままだった? エディにとって僕はお荷物だった? レイナートさんにとって、僕は幼馴染に無理やり連れまわされてるかわいそうな子だった?」
「違っ」
「そんなつもりは……ッ」
2人が慌てて僕に言葉を返すけど、その声に僕は声をかぶせる。情けなくて、悔しくて、悲しくて、僕はドレスの袖で涙をぬぐう。ああ、折角フランさんとミアお嬢様に選んでもらったのに、汚しちゃったって思った。女の子らしく着飾るのなんてやり直し前を含めても数えるほどしかなくて、舞い上がってた僕は馬鹿みたいだった。
「じゃあ! 今の2人の話の中に、僕の意思はどこにあったの!? どこにも無いじゃないか! 2人だけで盛り上がって、僕はどうしたいかなんてお構いなしで喧嘩して! それすら僕は黙って見てろって言うの? 僕の事なのに、僕は、僕の友達が切りあうのを黙って見てなきゃいけないの……?」
僕の言葉に返す言葉はなくって。何か言ってよ、と思うけど、エディもレイナートさんも気まずそうに目を伏せるばっかりだった。子供の癇癪だってわかってる、2人が僕の事を考えてくれたことも分かってる、けど、それでも、対等には見てくれてなかったんだって思ってしまって、堪えられなかった。
そこに、耳障りな音が戻ってくる。この喧嘩の発端であるアグリさんだ。何かわめいているから僕は顔を向ける。僕はどんな顔をしていたのだろう。アグリさんは赤ら顔を青くして、それからまた顔を赤くして怒鳴る。
「女が決闘に割り込むなど! これだからやはり田舎娘は!! おいレイナート、さっさとそいつをどうにか……おい、なんで近づいてくるんだ、貴族に近づくなど平民の分際で……お、おい、誰か止めろ、なんだその手は、俺に触れてみろ、今度こそ貴族を侮辱した罪でー……」
「うるさいッ!!」
握り拳を、苛立ちのまま思いっきり振るって叩きつける。手に、変に柔らかい嫌な感触。転んだアグリさんを見下ろす。殴った手がなんかべとつく気がして僕はドレスで拭う。また汚してしまった、と頭のどこかの冷静な僕がフランさん達に謝るけれど。
「自分で戦う事もしようとしないで、戦ってきた人を馬鹿にするな!! 女でも男でも、許せない事をされたら戦う権利がある!! 立て、立ちなさい! 代理なんかじゃない、僕が貴方を許せない、許したくない!!」
僕達を囲む話から誰かが僕の言葉に同調するような声を上げる。転んだままのアグリさんを見て、くすくすと笑う声もした。それを聞いて赤い顔を耳まで赤くしてアグリさんが立ち上がった。すでに腰の剣に手をかけている。
「こ、こ、この、このっ平民がっ! 私に指図するどころか、殴るなどっ!! 今更後悔しても遅いぞ!」
そう叫んでアグリさんが剣を抜いた。僕はやり直し前の経験に任せて腰を落とす。武器はないけど、組打ちならこの非力な体でも何とかなるとゴブリンとの取っ組み合いで覚えていた。来るなら来い、と思ったその時だった。
アグリさんが振り上げた剣は、鋭い太刀風に巻き取られ、床に叩き落される。そして、もう1個の風が鋭くアグリさんの眼前に突き付けられていた。僕とアグリさんの間、僕を背に庇うように立つ2人の背中。エディとレイナートさん。
「……まだ、僕を守ろうとするの? そんなに、そんなに僕は、2人から信用、されてないの……?」
色んな感情が混ざって、悲しくなって思わずそう言ってしまったところで、新しい声が僕達を囲む輪に入ってきた。
「そうではない、そうではないぞ、勇者リオルよ。涙で曇った眼では見えるものも見えまい。まずは顔を拭い、落ち着いてみよ」
輪が割れる。決闘の時には現れなかった衛兵さんや騎士さんを引き連れてそこに立っていたのは、優しい目をした王様だった。
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