第27話 子守唄と受け継がれるもの
ゴーストは言葉をなくして僕の顔を撫でる。先ほどまで僕の生気を吸っていた嫌な冷たさは無い。ひんやりとしているが、害をなす様子も無くその手を下ろす。信じられないといった様子で声を漏らせば、僕に問いかける。
『……妻と同じ力を持つ娘よ、貴様はどうやってここに来た』
「え? ……えっと、王城で王様からの依頼を受けて……」
『否、そうではない。……男達三人は私が牢に引き込んだ、生気を吸い上げ、力とするために。しかし貴様は単身でここに現れた。ここに来る為の階段は潰れていただろう。私が潰したのだから、それは間違いが無いはずだ』
「……階段が崩されていたのはそういうことか」
ロイドが呟く。最初とは打って変わって落ち着いた様子のゴーストはその言葉にうなづき、僕の頬から手を離す。かさかさに乾いた唇を舐めてから、僕は説明する。皆が居なくなって何も出来ずに震えていたときに、歌が聞こえたこと。それに着いて行ったら、絵の横に女の人の霊が立っていて、絵に飛び込んだら牢の前に居たこと。
『歌、だと?』
「はい、僕の家に伝わる子守唄です。子供の頃、怖い夢を見て泣くたびに、母が歌ってくれました」
『……歌ってみてはくれぬか』
「ふぇっ!? こ、ここで? ……ええと、その……」
僕は躊躇う。レイナートさんとロイドが首をかしげて僕を見る。僕を抱え起こしているエディが、ああ……って感じで視線をそらすのが横目で見えた。
『どうした、聞かせてくれないのか』
「リオ殿、……どうやら大事な事のようだ、恥ずかしがる事はない」
「……俺も、リオの歌は聴いてみたいな」
「あー、いや、そのな、二人とも……」
いぶかしげなゴースト、優しく諭すレイナートさん、表情は変わらないながらもどこかわくわくするような様子のロイド。エディが取り成そうとしてくれるけど、人から言われるのも恥ずかしいので、……僕は、まるで自分に死刑宣告をするような気分で言う。
「……ぼ、僕は……すっごく、あの……音痴、なんだ」
『「「……」」』
なんとも言えない沈黙。僕は、生気を吸い取られて冷たくなった自分の顔に血の巡りが急激に戻ってくるのを自覚する。エディだけが僕の歌のことを知っていたので、なんだかすごくいたたまれない目をしている。そんな目で僕を見ないで。
「リオには甘いあのビル爺さんでさえ、リオは詩人にだけは向かないって呟いてたしな……」
「……そんなに」
ロイドが実感と驚きをこめて一言驚く。勘弁してほしい。
「あー……私達は耳を塞いで置こうか」
『……騎士達は動かさないでおいてやろう、男達は階段の所まで離れると良い。なに、危害を加えようとは思わぬ。そうするのならば既に貴様ら皆諸共に死んでいよう』
やめて、王国転覆を目論んでる百年前の幽霊にまで気を使われるだなんてそんな経験やり直し前ですら覚えが無い。そして三人とも、素直に従わないで。気遣いが痛いよ。今更このゴーストを怖いとは思わないけど、そんなあっさり。……出て行った。
『……』
「……」
なんだかすごく変な沈黙が落ちる。ゴーストの目に灯った青い炎がちろちろと困ったように揺れている。顔の細かい造詣は分からないけれど、なんだか、僕が拗ねた時にじいちゃんがご機嫌をとろうとしてくれている時の表情を思い出した。……僕は溜息をついてから、ゴーストに言う。
「笑わないでくださいね」
『女神に誓おう』
司教様が言うと重たすぎる言葉だなぁ、なんて思いながら僕は咳払いする。腰から下げた水を飲んで口の中を湿らせてから、何度も歌ってもらった歌を口ずさむ。怖い夢だけを食べる小人の歌。どんな怖い夢もぺろりと平らげて、きれいな夢だけを残してくれる、そんな短い内容だ。歌い終えてからも、ゴーストは何も言わない。沈黙に耐え切れずに、僕は話す。
「……お母さんは、お母さんのお母さんに。そのお母さんはお父さんに、ずっと歌い継いできたって言ってました。絵本とかも見当たらないから、昔、家の誰かが作ってくれた歌だって……」
『……それは私だ』
「え?」
ポツリとゴーストが呟いた言葉に、僕は目を瞬かせる。
『私が、子供達の為に作ったものだ。……妻は歌が上手くて、子供達を寝かしつけるときにはいつも歌を歌っていた。……知っている歌を歌いつくして子供達が寝ないと相談された事があってな』
穏やかな声でゴーストが語る昔話。僕の首を絞めていた手は祈りの形に組まれている。手首と壁をつなぐ古い鎖が揺れて音を立てる。寒々とした拷問部屋の中で語られるのは、暖かな家庭の昔話。
『私が、悪夢除けのまじない言葉を教えたのだ。それを聞いた妻は、たまには私が寝かしつけろと言ってな。……何とか節をつけて子供達に歌って聞かせたら、大層不評だったのを覚えておる。妻の歌の方がいい、とな』
懐かしむように笑いが混じる声。国家を恨む悪い司教なんかではなくて、ただの一人のお父さんとしての存在がそこに居た。
「この歌を、女の人が歌ってました。僕を呼ぶように。そして僕が絵に飛び込む直前に、こう言ってました。『助けて』って。……僕はその時、【悪い幽霊にとらわれた僕の友達を助けてあげて】って意味だと思いました。……でも、今は違うと思ってます」
『……』
「……屋敷に絵が飾ってあったんです。そこには、その女の人と、貴方と、三人のお子さんが描かれてました。他の三人には、風化してぼろぼろで何が描いてあるか判らない絵に見えてたみたいですけど、僕には、ちゃんと五人家族の絵だって見えました」
両手に額を押し当てるように、ゴーストはうつむく。それはまるで、女神様に祈るように。
「貴方の奥さんは、きっと、貴方を助けてと僕に伝えたんだと思います」
『おお……おおお……っ』
ゴーストの輪郭が揺れる。嗚咽するような声が漏れる。僕はしゃがんで、ゆっくり息をする。……ゴーストを怖いと思っていたけど、この人だけは、もう怖いと思えなかった。僕は、硬く組まれたゴーストの両手に両手を重ねる。冷たい。こんな暗くて寒い場所に、百年もこの人は居たのだ。恨みに満ちて、裏切られた気持ちをこらえて、ずっと一人で。……裏切られたと思って。
「僕の家は、昔、王都に住んでいたって聞いていました。職人の家だって伝えられていましたけど、歴代、僕の家に職人は居ません。……癒しの力が受け継がれて、癒し手になったり、神官になったりしていたんですって。……なんで王都から離れた村に移り住んだのか、判らなかったですけど……判った気がします」
同じ魔力を持ち、この人が作った歌を受け継いだ、王都から移り住んだ一族。そして、僕にだけ見えたあの肖像画と女の人のゴーストの理由。
「……僕は、貴方の子孫です。貴方の血は、絶えていなかったんだと思います」
『だが、私を殺したあの者は、王が子供達を……子供達を殺したと……』
「でも、それを貴方は確認できていないのでしょう?それに、僕は貴方のことを戯曲のあらすじでしか知らないけれど……王様に信用された、立派な方だったって聞いています。その貴方が、突然反逆して王様が討伐命令を出したって」
『違う、違う! 裏切ったのは、王のはずだ、王であったはずなのに……』
「……王様は、貴方を信じていたんじゃないでしょうか。だから、貴方を騙した誰かの報告を信用しないで、こっそり子供達を村に逃がした。それに、貴方を陥れた人は気づかなかった。……その命は、百年経った今もこうしてつながって、貴方にやっと伝えられたんだと思います」
『そんな、そんなまさか……私は、ずっと王を恨んで……』
「……僕は、リオル・プラットって言います。貴方の名前は今ではもう伝わってないけれど。……教えて、くださいませんか?」
その言葉に、ゴーストはゆっくりと顔を上げた。整った顔立ちに、きれいに整えられた口髭。僕が自分の体の中で一番好きな場所と同じ、青い瞳が僕を見つめる。
『私の名は、ハーヴィン。……ハーヴィン・プラットだ。ああ、女神様。感謝いたします。ああ、ああ……王よ、我が王よ。お許し下さい。おろかな私の恨みを……どうか、どうか……』
その声が終わった瞬間だった。ゴーストの身体が不意に光の霧に変わる。きらきらと輝いたそれが、僕の周りをゆっくり回る。
「ご、ご先祖様?!」
『すまないな、リオル。我が子孫よ。……迷惑をかけた。恨みの頚木を外された私は、もうこの場に留まる事は出来ぬ。……今代の王にも、迷惑をかけた。私の力をお前に受け継ごう、その力で王の呪いを解くと良い』
僕のあげた声に気づいて、三人が戻ってくる。光に包まれた僕を見て驚いた声を上げるけど、穏やかなご先祖様の声を聞いて、抜きかけた剣を三人とも収めてくれた。
『お前達にも迷惑をかけた、傷は癒してやろう。……すまなかったな』
「いや、結局俺達は死んでねえし、俺は気にしねえよ。なんか、おっきな勘違いだったんだろ?むしろ司教さん、あんたが被害者だったみたいじゃん」
「……リオが許すなら、俺も別に問題は無い。骨の大群に襲われる経験もなかなか貴重だ」
エディとロイドがそう言って頷く。その体を光が包めば、頬や腕に走っていた傷もあっさりと治る。そして、レイナートさんがゆっくりと近づいて、僕の前で片膝をつく。拳を胸に当てての騎士の礼だ。
「陛下を害そうとした貴方の事を、私は許すことが出来ないだろう。しかし、貴方の無念は察して余りある。今代の騎士レイナートが貴方の無実を晴らす努力をすることを誓う。司教ハーヴィン殿。ごゆるりと休まれよ」
『ああ、ああ……そうだな、いささか疲れた。人を恨むというのは、こんなにも疲れるものだったとは、生前知らなんだ』
霧から手が伸び、レイナートさんの前に。レイナートさんがその手に手を差し出せば、その手の中に落ちるのは指輪だ。
「これは……」
『司教の証として歴代の者に王より下賜されるものだ。証拠にもなろう。持って行くが良い……直接詫びに行けぬことを詫びていたと伝えてくれ』
「確かに」
レイナートさんが頭を下げる。その前で、僕を包む霧も薄らいでいく。
『リオル、我が子孫よ。』
「はい、ご先祖様」
『……女神様から、何か使命を受けているようだが、随分と女神様の力は弱まっているようだ。その魔力ではいささかに、これからの旅路は辛いものとなろう。目を閉じ、私を受け入れよ。私は逝くが、私の力を授けよう』
「こ、こうですか?」
目を閉じて気持ちを楽にする。すると、僕の体に何かが満たされていく感覚があった。暖かくて柔らかな力。やり直し前に女神様に力を授けられたときとはまた違う、何か、元々あるべきだった何かが戻ってくるような、しっくりと来る感覚。
『さらば、さらばだ……ああ、ああ……恨みとは恐ろしいものだ……お前達は私のようになるな……私の後悔を繰り返すな。……事柄の裏に、何が隠されているのか、何を思い、世界が動いているのか、それを考えることを忘れるな……私は、それが出来なかった……』
声が遠のき、光が薄れていく。僕が目を開けると、ご先祖様の背中が見えた。その向こう、闇の向こうに誰かが立っている。……ああ、やっと逢えたんだ。ずっと待って居たんだ。
『ああ、光が見える。……ラーナ、エルラーナ、……ただいま、帰ったよ……』
その光にたどり着いたご先祖様の姿が消える。……そして、僕達にも光が見えた。ご先祖様の幽霊がつながれていた壁に、穴が開いている。そこから差し込むのは夕日だ。外だ。平和な王都の夕暮れだ。僕は、気づかないうちにこぼれてた涙をぬぐって、三人に振り返る。
「僕達も帰ろう、王様も治さないと」
「ああ、そうだな」
エディが頷き、レイナートさんが立ち上がる。ロイドが伸びをしながら穴をくぐろうとしたところで、僕はなんかどこかで引っかかっていた何かに気づいた。
「ねえ、三人とも」
先に屋敷の外に出た三人が振り返った。僕はにっこりと笑って三人に尋ねる。
「なんで、ご先祖様が被害者だって、しかも名前までちゃーんと知ってたの?僕、まだ三人に教えてなかったよね?」
「あ」
「う」
「おお……」
「どこから聞いていたのかな、ん? ちょっと教えてくれないかな?」
「き、聞いてないぞ? 何も聞いてない。なあロイド?」
「あ、ああ、そうだ。リオが意外と歌うとき声が高くなるだなんてそんな」
「リオ殿、その……私は、良いと思うぞ」
三人が後ずさる。ご先祖様、この三人の怪我は癒さないでよかったかもしれません。僕は心の中で、たった今旅立ったご先祖様に届けと声を張り上げる。恨みを忘れるとか、怒らないとか、僕にはまだまだ修行が足りません。
「裏切ったなー! こらー!! 逃げるなー!!!!!」
駆け出した三人を追っかける僕の後ろで、ご先祖様がちょっと笑ったような気がした。
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