第26話 似ているものと、同じもののこと

「あなたは……」


 ロイドの持つマッチの火が消える。それでも、闇の中でその姿は白々と見える。ボロボロのローブをまとった長身。顔の形はぼんやりとした陰影でしか見えないけれど、伸び放題の髪の隙間から青い光が見える、きっとあれは目なのだろう。


 でも、僕が見た絵の落ち着いた表情からは考えられないほどに、その青は燃え盛り、どす黒く揺らいでいた。僕の言葉に応える様子はなく、ぶつぶつと早口でその男は何かをつぶやいている。


『いいやどうやって等と言う事はどうでも良い……ここに生きているものが来たという事はつまり、私を止めに、私を邪魔しに来たという事か……ならぬ、ならぬぞ、百年以上の時をこらえてやっと魔力を取り戻したのだ、邪魔はさせぬ、誰にも、誰にもだ』


「戯曲の通り、囚われ獄死してもなお、恨みを忘れていないのか! 貴様を殺した王は既に数代も前にお隠れになられている! 今代の陛下を恨むのはお門違いというものだろう!」


 叩かれる扉を背に押さえつけながら、レイナートさんが声を投げつける。王国を守る騎士としては、目の前に居るのは大罪人だ、ましてや現在進行形で王様を殺そうとしている。


 でも、その男は早口で言葉を垂れ流しながら手をレイナートさんに向けて水平に突き出す。じゃらりと音が鳴った。枯れ枝のように細い手首に鎖が繋がっていた。それは壁から伸びて、男をそこに繋ぎ止めているようだった。


『邪魔は、させぬ』


 闇の中で、魔法を使える僕だけが見えた。男の身体から手の前に何かが集まる感覚。考えるよりも先に僕はレイナートさんの前に飛び出していた。


 男の手元に不意に光が現れ渦を巻いたかと思うと、矢のようにまっすぐ僕の肩を打ち抜く。衝撃が走り、僕は弾かれて近くの何かに足をぶつけて転ぶ。痛みもあったけれど、僕が気にしたのは別の事だ。


「この力は、僕と同じ……」


『ほう、貴様も女神教の神官か。女神様の加護も頂いている様だ……。穿ち抜くつもりだったが、同じ神より賜った力では弱くなるか……』


 僕は、鈍く痛む肩を押さえながら立ち上がる。レイナートさんが僕の名前を呼ぶけど、僕は大丈夫と声を返して司教のゴーストを見る。


「女神様の力を今もまだお借りできるなら、女神様は貴方を見捨てていないという事! なのになぜ、貴方は王様を殺そうとするんですか、女神様はそんなこと望まれてないはずなのに!」


『この力の効きが悪いというのであれば、やりようは別にある……集まれ、穢れた騎士達よ。悪逆の神官に与した者達よ』


 僕の問いかけを無視して男は両腕を広げる。青白い光がその手から泥水の様に零れ落ちる。それは僕の横を蛇のように通り過ぎ、そして、扉を押さえて身動きが取れない二人の足元をすり抜けて扉の向こうに通り抜けていく。


 すると、扉の向こうで暴れる音が止まる。エディとレイナートさんが揃って息を吐きだす声がした。その次の瞬間だった。


「うわぁっ!?」


「ぐあっ! こ、これは……っ」


 衝撃音と共に、扉ごと二人は弾き飛ばされる。鉄の扉が床にぶち当たる重い音。そして、扉の向こうから現れた物を見た。それは、大きな鎧の騎士だった。天井に着くような身の丈に、青白い鎧を纏い盾を構えた騎士が二体。


 いや、違う。鎧なんかじゃない。僕はそれに気づいて、身震いするような吐き気に襲われた。鎧に見えたもの、盾に見えたもの、それは全部、大量の骨が組み合わさってできていた。幾人もの骨を一つに纏めたそれは、酷く冒涜的で、醜かった。


 魔力を纏って青白く輝く骨の騎士は、壁に交差して掛けられていた大剣をそれぞれ取り上げる。断頭用に、切っ先を丸く扇状に広げて重くした処刑剣だ。


 刀身の幅も、僕の腕の幅よりも太いように見える。それを片手で担ぎ、騎士達は骨の盾を構える。盾の中央に組み込められた髑髏がカタカタと歯を鳴らす。


『魔力が効かぬのならば、物質で押し潰せばよいだけの事。やれ、貴様達の遠い後進を、貴様達の手で刈り取るが良い。死してなお、罪を重ねるが良い』


「なんと……確かにその構えは、王国の重装騎士のもの。……こんな事が許されて良いはずがないッ、エディ殿、ロイド殿! 手を貸してくれ、リオ殿にこの者達の相手をさせるわけにはいかない」


「……勿論、と言うよりも、ここを切り抜けるには騎士も偽司教も倒さないといけないしな」


「リオ、そっちの魔法はよろしく頼むぜ!」


 声を掛け合い、三人は騎士に挑みかかる。剣と剣が、剣と盾がぶつかり合う音。敵が光ってくれているので、明かりには事欠かなくなったのが幸いか。ぼんやりと揺らぐゴーストが、僕に手を向ける。ゴーストの前に光の玉が数個浮かぶのが見えて、僕は慌ててそこを飛びのいた。

 一瞬遅れてそこに光が着弾し、汚れた石床がえぐれ、破片が散る。あれが人の身体に当たったらと思うと、身震いが起こる。


「でも、なんで僕は無事なんだ?」


 肩には鈍器で殴られたような痛みが残るけど、床を砕くような威力には到底思えない。ゴーストは、僕が女神様の加護を受けていると言っていたけれど、やり直し前と違って今は特に何も受け取っていない。違和感を感じながら、僕は近くに落ちていたものを取る。レイナートさんの言葉が本当ならば、これも拷問器具だろうか。

 考えないようにしながら、僕に手を向けたゴーストにそれを思いっきり投げつけてやる。


『無駄よな、子供の浅知恵だ』


 でも、それはすり抜けて、ゴーストの後ろの壁に当たって落ちる。お返しと言うように放たれた光の玉に、僕はとっさに両手を前に突き出して、守りの魔法を唱える。すると、首の後ろ辺りが握られるような不快感と共に、脳の奥に痛みが走る。魔力欠乏が起こり始めているのだろう。


 明かりの魔法を使い続け、膝が笑うくらいに走った後だ、集中力も保てない。うっすらと生み出した光の壁は、魔王と戦った時と比べると花嫁のヴェールほどの意味もなさない。守りを突き破った光の玉に、顔や体を強かに打ち付けられ、僕はテーブルにぶち当たる。


「リオ! この、骸骨野郎が!」


 エディが僕を助けようとするけど、その隙をついた骸骨騎士の剣が鋭い風切り音とともに振るわれる。その件の前に割り込んだレイナートさんが長剣でそれを弾き上げ、切っ先を返してそのまま切りつける。しかしそれは大きな盾に受け止められる。盾の骸骨が笑っている。


「リオ殿、ゴーストは実体を持たない! 私達がこちらを抑えている間に、魔法を……っ」


「そ、そうは言っても! こんな状態で攻撃魔法なんて……」


 焦れば焦るほどに集中は乱れ、息は上がる。ゴブリンの巣でも判ったように僕は攻撃魔法への適性が無い。集中してやれば火ぐらいは出せるけど、戦いながらなんてやったらまた暴発するのがおちだ。しかし、今はまだ三人で二体の騎士を抑えているけれど、重装備の騎士相手では決め手に欠けるようで、硬い盾の守りを切り抜ける事が出来ずに攻めあぐねているのが見える。戦況は明らかに悪い。


『たかだか四人で私を抑えようとは片腹痛い、どうやらただの物見遊山か。運が悪いと諦めるが良い。……なぁに、安心せよ。どうせそのうちに、王国の全ては我々のようなものに堕す。まずは、私の子らを殺した王の末裔である今代の王族を。次は私を裏切った教会の者達を。そして、その者達が作り上げたこの国を滅ぼしてやろうとも』


 放たれる光の玉を何とか避ける。これも長くは続かない。避けきれなかった玉だけは壁で威力を抑えて身体で受ける。その度に光が弾け、強く打ちすえられるような痛みが襲う。


「く、このおっ! 炎よ……お願い!!」


 盾代わりにしたテーブルから飛び出して僕はゴーストに飛び掛かる。そのフワフワした身体に魔力を注いで燃やしてやろうと自分の中の魔力を練り上げる。慣れない攻撃的な魔力が暴れて皮膚の下に針が走るような痛みが走る。それでも更に魔力を込めて放とうとした。

 しかし、僕が放った魔力は、ゴーストが顔を向けただけで霧散してしまう。ゴーストの口のあたりが黒く三日月に歪んだ。笑っているのだ。


『私程の修練を積めば、敵意ある力など届きはせぬよ』


「そんな……うわっ」


「リオっ!」


 圧倒的に、魔力の扱い方もゴーストの方が上だ。驚く間にゴーストの透明な手が僕の喉にかかり、そのままゆっくりと宙に釣り上げられる。足の裏が離れて、爪先が浮く。足を振り上げて暴れるけど、その腕はびくともしない。


『大人しくしておれ、何、苦しめようとは思わぬ。お前達に恨みはない。ただ怨めしきは王国よ』


「王様を裏切って失敗したのはそっちじゃないか! 今の王様も、国も、あなたを殺した本人じゃない! こんな事をしても誰も喜びはしないのに、なんで!!」


『知った様な口をきくな小娘!! 裏切られたのは私の方だ!!』


 ゴーストの目に灯る青い炎が燃え盛る。僕の喉を掴みあげる手が輝きだす。すると、そこから体温が吸い取られるような感覚。生気を吸い取られると言うのはこういう事かと、僕は頭のどこかで思った。激したゴーストは声を荒げ、両手で僕を吊り上げる。エディ達が僕の名前を呼ぶのが聞こえるけど、応える事も出来ない。


『友と思っていた男の悪事を暴き、国の為、王の為にとそれを正そうとしたのが私だ! それなのに、王は悪党の奸言に惑わされ私を殺すことを良しとした! それだけならば私も大人しく死していようが……ッ、王は、我が最愛の子供達まで手をかけた! それは、それだけは許せぬ! 許せぬのだ……』


 喉の周りだけではなく、体の芯まで冷えるような感覚。何か、体の中心の大事なものが吸い出されていく感覚がある。痛みは無く、苦しいと感じる事も奪い取られていく。霞んでいく視界の端で、僕を助けようと動いたロイドが騎士の体当たりで壁に叩きつけられるのが見えた。ああ、ごめんロイド、僕はまた足を引っ張ってしまっている。


『子供達に何の非がある、あの子達が何をした……、ああ、何故あの子達まで……許せぬ、私から家族を奪った王が、あの子達の未来を奪った王国が……おお、おおお……ッ』


 激していた声が、段々と弱くなる。ゴーストの声は悲痛な嗚咽が混ざる。……霞みかかった頭の中で僕は思った。ああ、判るよ、と。その復讐の心は、行き場のない怒りと悲しみは、僕も覚えがあった。ゴブリン達に村を滅ぼされ、色んな人に裏切られて、なんで、なんでと泣きながら魔王を殺すために戦い続けた冒険の日々を、僕は忘れていない。


 彼は、このゴーストは、僕とよく似ていると思った。彼は僕だ、やり直せなかった僕だ。復讐をしたとしても何も戻ってこないと判っていても、何かにやり返さなくてはならなかった僕だ。魔王のせいでと思い込み、自分に言い聞かせて戦わないと自分が保てなかった僕だ。

 ……そして、彼には隣に立つ人はいなかったのだろう。僕にとってのエディの様に、同じ力で支えてくれる人も。そして、踏み外した。


 エディが呼ぶ声がする。レイナートさんが何かを叫んでいる。でも、僕の耳には意味がある物には聞こえない。考える事が散漫になって、ぼやけていく。

 ああ、このまま生気を吸い取られて僕は死ぬのだな、と思った。ごめん、みんな。せっかくやり直せたのに、僕は何も成せずに死ぬのだと思った。


 ……何も成せないのは、いやだな、とも思った。


 泣き声が聞こえる。誰かが泣いている。……誰だろう。すぐ近くで誰かが苦しんでいるのだけが判る。


 何かをしてあげたいと思った。何かをしなきゃいけないと思った。指先に、少しだけ暖かさが残っている。


 ああ、僕の最後の持ち物だ。最後の魔力だ。……僕には、戦う力はない。やり直した僕は非力で無力だ。


 出来る事はなんだろう、と考えるよりも先に、手が動いていた。


 もう眼は見えないけれど、泣いている声に手を差し出す。


 どこか痛むのかな。泣かないで良いよ。

 僕がきっと、治してあげるから。


 僕が残せるのは、


 これだけ。


「もう、大丈夫、……だから……」


 癒しの力。

 それを注ぐ。


 すると、ごつん、と頭を強く殴られたような衝撃と痛みが、突然僕を襲った。ぼやけていた真っ白な視界に一気に色が戻る。僕の目の前には石の床。落された?生きている?僕は訳もわからずに起き上がろうとして、でも体中に力が入らず床に仰向けに転がった。逆さの視界の中、目の前にいるゴーストが、僕を見下ろしていた。


『「何故……」』


 僕とゴーストの声が重なる。何故、は僕のセリフだと思ったけど僕はそれ以上言う気力もなかったのでゴーストの声に言葉を譲る。


『何故、お前がその力を持っている……この力は、これは、この暖かさ』


 動揺しているのか、ゴーストの輪郭がさっきよりもぼやけ、乱れる。そこでやっと僕は、自分がゴーストに向けて癒しの力を捧げたのだと気付く。喉を締められていた酸欠と、魔力を限界まで使った欠乏症で、僕はゴーストを見ている事しかできない。けど、僕のそばに足音が集まるのが聞こえた。僕を抱き上げる腕、かけられる声。エディ達だ。


「リオ、大丈夫か! リオ!! いきなり騎士が崩れた、お化けの野郎も何もしてこない! 何があった?!」


 エディが興奮した様子で僕に問いかけるけど、カサカサになった僕の唇は上手く動いてくれない。僕の前にレイナートさんの背中がある。ゴーストから僕を庇ってくれているのだろう。何があったのだろう、と言うのは僕の疑問でもあるのだけれど。


『この力は、私の妻のものと同じだ……なぜ、何故お前がこの力を、何故妻の力を』


 問いかけられて、僕は言葉を離そうとしてせき込む。干物みたいになった舌を何とか湿らせて、言葉を返す。


「この、力は……僕の、家に、伝わる力です……爺ちゃん、は、使えなかった、けど……僕のお母さんも、使えた力で……でも、癒しの力は、他の人も……」


『違う! 同じ癒しの力でも、違うのだ。声がそれぞれ違うように、肌の色がそれぞれ違うように、違う。……ああ、しかし似るものはある。母と娘の肌の色が似るように、父と息子の声が似るように。魔力は同じように受け継がれていく……ああ、まさか、まさか、この瞳は、この瞳の色は』


 ゴーストが僕に手を伸ばす。レイナートさんがそれを止めようとしたけど、僕は、大丈夫、と声を返す。ゴーストの手は、僕の喉ではなく、僕の頬を包むように添えられる。……屋敷に飾られていた家族の肖像画を見た時に思ったことを、僕はもう一度思い出した。ああ、この炎の青は……。


「僕の目と、同じ色だ」

『私の目と、同じ色だ』

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