第24話 懐かしい歌と囚われの勇者達
僕が叩く壁は冷たく固く、通り抜けるどころかへこみすらしない石壁だ。それでも僕は何度も殴ってエディ達の名前を呼ぶ。それでも、声は返ってこず、僕の声がむなしく屋敷に響く。
僕は腰につるしていた斧を両手で握る。わかっている、こんな事をしても意味がない事は。それでも、僕は思いっきり壁に斧を叩きつける。歯が浮くような固い音、そして手の中に鈍く骨に通るような痛みが残った。涙がにじむ。斧の柄が折れないのは幸いだったけど。
「無力だ……っ」
昔の……いや、未来の自分であったのならば魔法で斧と体を強化して、この壁を崩す事だってできただろう。女神様から力をいただいていれば、あのゴーストだって退魔の力で追い払って、エディだけでも助けられただろう。
でも、今の僕の身体は小さくて、魔力も弱い。胸に手を当てて祈り、乱れる心を無理や市ねじ伏せて魔力を練る。やり直し前の頃の感覚を思い出して、屋敷の中の気配を探ろうとする。でもやっぱり、僕の今の貧弱な魔力では何もわからない。
「何とかしないと……でも、何をすれば、どうすれば……」
自分を落ち着かせるために独り言を呟いてみる。いつもなら、この声にもエディが答えてくれたのに。悩む僕を引っ張ってくれたし、エディが困ったときには僕が前に出た。そうして、魔王を倒すあの日まで冒険を続けた。
……でも、今の僕の声に返事をしてくれる人はいない。やり直し前ですら、いつも隣にエディが居てくれた。でも、僕は今一人だと気づく。独り言も吸い込むような暗闇に気づいてしまう。歯の根が震えるような不快感。
背中に何かがぶつかった。何が来たかと慌てて振り返ったけど、そこにあるのは壁だった。自分でも気づかないうちに、僕は後ずさっていたのだ。
「エディ……、ロイド……、……レイナートさん……、誰か……」
怖い、と思った。膝から力が抜けてずるずると座り込む。ゴブリンにさらわれた時も一人だったけど、あの時の僕は、もう助からないと諦めていたから恐怖なんて感じなかった。でも、今は違う。僕はこのまま逃げ出せば、きっと助かるだろう。助かってしまう。そんな選択肢が浮かんでしまった事がたまらなく悔しくて、でも、それを選んでしまおうと思ってしまう自分が居ることが怖かった。
僕に何ができる、何もできない。魔法を使おうとするけど、今の僕にできる魔法は癒しや解毒のような初歩だけ。考えれば考えるほど、逃げ出すという言葉が大きくなってしまう。膝は震えてしまうし、頭の中であきらめを勧める声が響く。
耳をふさいだ。でも無駄だった。魔王を倒した勇者だなんていうけど、僕は何もできないんだって思い知ってしまう。耳をふさいだのに鼓膜に音が響く。僕の歯が鳴る音だ。ああ、情けない。悔しさは、恐怖と焦りで塗りつぶされてしまう。
「ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
一人の僕は、こんなにも弱い。震える手で顔を覆おうとした、その時だった。……どこからか、声が聞こえた気がして僕は顔を上げる。歌だ、これは……子守歌だ。僕は聞き覚えがあった。
「これって爺ちゃんの……」
眠れない夜や怖い夢を見たときに、爺ちゃんが歌ってくれた子守歌と似ていた。どんなに嫌な夢を見ても、爺ちゃんに抱っこしてもらってこの歌を歌ってもらえばぐっすり眠れた。子供の頃から聞いていた安心の音色で、僕の震えはいつの間にか止まっていた。
誰が歌っているんだろう。細くて柔らかな声。爺ちゃんではないのは確かだけれど……。僕は立ち上がる。これは、さっきのゴースト達と関係があるって確信していた。レイナートさんの話にも、ミアお嬢様の話にも、こんな話はなかったから。
耳を澄ませて音色に向かう。不思議と、怖いという気持ちは薄かった。その声が何だかとても懐かしくて、優しくて、怖いと思えないというのが本当の事だった。初めて聞く声だけれど、その声に誘われるように歩を進めた。
そして、僕は一番最初に入った大広間に出る。破れた屋根から漏れ入った光が、柱の様に伸びてっきの絵を照らしていた。そこで、僕はそれを見つける。
「絵の前に、女の、人……それに、あの人は」
僕には見覚えがあった。僕にしか見えなかった絵に描かれた女の人だ。長い黒髪に小柄な身体、夢の中の様に揺らいでいる顔は陰影くらいしか分からないけれど、僕はわかった。その声は変わらずに僕の耳に優しく響いている。
歌が止む。その人影は僕の方を向いた。表情は分からないけど、僕はその顔が悲しんでるように見えた。
「あの……っ、と、友達が、……ゴーストにさらわれてしまったんです!!手掛かりは……何か、知っていることは!」
この人は何かを知っていると思ったから、僕は声をかける。人影は少しだけ躊躇う様子を見せてから手を上げた。その手で絵を撫でると、風化した絵の中央に光が生まれてくるくると回り始めた。僕が見守る間に、その光は絵の上を走り、魔方陣を作り出す。
「……これに、入れって……?」
影は答えない。けれど、その光は目に見えて弱くなっていく。……躊躇っている暇はなかった。僕は真っ直ぐに絵に向かって駆け出す。壁にかかった絵に飛び込もうと強く踏み込んだ。
絵に飛び込むその瞬間、人影とすれ違う。そこで、人影がかすれるような声を漏らす。
「『助けて』? それはどう言う……」
最後まで言えず、僕の意識は真っ白な光に溶けて行った。
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次に意識が戻った瞬間、何かに思いっきり顔をぶつけて目に火花が散った。とっても痛い。勢いをつけすぎた。……これは床だ。身体を起こすと、その勢いで鼻から血が垂れたのが分かった。慌てて袖で拭って鼻を押さえる。辺りを見回すと真っ暗で何も見えない。
「誰かいるのか?」
声がした。僕は慌てて魔法を唱えて光を生み出す。魔力をずっと放出しなきゃいけないから長い時間が出来ないけれど、それでも十分だった。
「エディ! それにロイド、レイナートさんも!」
「リオか!? お前もつかまっちまったのか?!」
エディ達は鉄格子の向こうに居た。僕は驚いて辺りを見回すと、僕の右には廊下が続いている。
「牢屋……? ううん、僕は絵の中に飛び込んで……」
皆がとらわれた後の事をかいつまんで話す。その間に、明かりを手に入れた三人が力任せに牢屋の入り口に体当たりをすると、古くなった扉は意外とあっさりと壊れて開いた。
「リオ殿が見たという絵の女性が歌っていた……その歌にも聞き覚えがあったと?」
「はい、爺ちゃんも爺ちゃんのお祖母さんから聞いたって言ってました。家に代々伝わる歌なんだって」
「……俺はその歌は知らないな」
「俺もだな、お袋や親父から歌ってもらった覚えもないぜ」
同じ村の出身の二人が首を傾げるのを見れば、うちにしか伝えられてない歌なのだと分かる。
「なんであの人、この歌を知ってたんだろう。ましてや、古い司教さんの奥さんなのに……」
「まあ、とりあえずそっちの謎は今度村に戻った時に爺さんに聞こうぜ。まずは、ここを脱出しないとな」
エディが腰の剣を抜きながらそう言う。レイナートさんも剣を抜いて辺りを見回す。
「しかし、恥ずかしい話だ。護衛代わりの私が真っ先に、手も足も出ずに囚われるとは……ご婦人には見せたくはない醜態だったな」
「僕しか見てませんよ、レイナートさん。王都の女性には秘密にしといてあげます」
「一番見せたくない相手でもあったのだがね」
「?」
その言葉に首を傾げる。エディが目を瞬かせて、ロイドが何だか眉を寄せていた。それってどういう、と僕が問いかけた時だった。ロイドが声を漏らす。
「……上り階段が崩れている。土砂か? 建物の中なのに……?」
「まいったな、じゃあ、あとはこっちか……奥に行く道があるみたいだし」
「うん? 奥に行けるのか、な……」
エディがいう方に僕は光を漂わせる。そして固まった。そこには、崩れた白い物。骸骨だと分かる。……それが、二個、三個、四個……増える、増えて、組みあがって、人の形になって……。
「スケルトンだ! 三人とも、油断するな!」
レイナートさんが叫んで剣を構える。それを合図にしたように、大量の骨の兵士が歯を鳴らして、僕達にとびかかってきたのだった。
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