第23話 見えるものと見えないもの

 夜が明けて、白々と明るくなっていく空は晴天。僕は日課のお祈りと軽い運動をこなす。

 冒険とはとにかく体力が必要なものだと知っているので、十年間の冒険生活で自然と身についた習慣だ。とはいえ、前の様に腕立て伏せは軽々とは出来ないし、走っていると息が切れてしまう。やり直しが始まった春から大体半年、まだまだ鍛え足りていない事を感じる。


 軽く走って宿に戻ると、エディとロイドが井戸端で顔を洗っていた。おはようと声をかけると、エディは眠そうに、ロイドはいつも通りの落ち着いた様子でおはようと返してくれた。

 冷たい井戸水を汲んで頭からかぶって汗を流すと、二人とも僕を見てなんでか慌てて部屋に戻っていった。水が飛んだのかな。悪い事をしたと思う。


 服を着替えて部屋を引き払えば、宿の一階にある酒場で朝食をとる。焼きたてのパンと温かいスープ、カリッカリに焼いたベーコンにゆで卵。それに、朝収穫したばっかりだっていう野菜を盛り合わせたサラダは全部美味しい。エディが1人前丸ごとお替りしたところで、レイナートさんが酒場に入ってきた。


「おはよう、リオ殿、エディ殿、ロイド殿。食事中だったかね、失礼。外で待とうか」


「おはようレイナートさん、気にすんなって、座って座って!」


 エディが手招きすれば、空いてる席にレイナートさんが座る。運ばれてきたパンにベーコンとゆで卵を挟んでかぶりつくエディを見れば、育ち盛りだな、とレイナートさんが笑った。


「おはようございます、今日はレイナートさんもついてきてくれるんですよね」


「ああ、リオ殿。案内役を兼ねてね。勇者一行には少し物足りない依頼になるが、幽霊屋敷の探索だ。

 とは言え、来る前に仲間に尋ねたところ先週の初めに一度見回っているからごろつきが巣食っている事もないだろう。一部屋ずつ見回って屋敷の状態を報告して終了だ。リオ殿には一応お祈りをしてもらう事にはなると思うが」


 気楽にしてくれ、とレイナートさんは笑った。でも、僕は素直に笑う事が出来ない。思い出すのは昨日のフランさんの事だ。王様を助けてと涙する表情。何もないのであれば、それはつまり王様を助ける手を見つける事が出来ないと言う事だ。きっと、何かあるはずなのだけれど……。


「リオ殿、顔色が悪いようだが……」


「あ、いえ、その……ちょっと気になる事があって」


「……お化けは殴っても消えないからな」


「ロイド、そういう事じゃないってば!」


 いじわるを言うロイドをちょっと睨むけど、その隣のレイナートさんがわざとらしく顎に手をやって悩むような仕草をして見せる。意外と子供っぽい所がある人だ。


「ふむ、確かに私達四人の中で、魔法が使えるのはリオ殿だけだな。スケルトンやゾンビならいざ知らず、ゴーストが出たらリオ殿に頑張って貰わないといけないかもしれぬ」


「レイナートさんまで!もう」


 僕が拗ねると、三人は揃って笑った。からかったかわりにレイナートさんがお茶をおごってくれたので許すけど。……暖かい紅茶を飲むうちに、僕の心は落ち着いた。なんにせよ、行ってみないと判らないのだ。やり直し前には素通りした場所に何があるのかは、僕も知らなかった。



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 街を一望する高い崖の上に、その屋敷はあった。蔦が絡んでいる。明るい朝の光の中で見ると確かにそんな危ない場所には見えなかった。騎士さん達が見回りの時に刈ったのだろうか、片方の扉が始めた館の入り口まで道が出来ていた。僕達はそこを歩いて館の入り口から中をのぞく。


「……おじゃましまーす……」


 木の床がむき出しになったホールに僕が声をかけるけど、勿論帰ってくる声はない。こわごわと辺りを見回してると、呆れた顔のエディが扉を開いてずかずかと中に入っていく。それに続いて二人も入ったので、僕は慌ててそれを追いかけた。


「結構広そうですね、偉い人のお屋敷だったんですか?」


「ああ、100年以上前に司教を務めていた男の館でね。前に話した戯曲の舞台にもなっている場所だ」


 え、それって……と僕が声を挙げると、レイナートさんは頷く。


「戯曲の悪役である悪い司教の館だよ、リオ殿。彼がが神様を騙して手に入れた力で国を乗っ取ろうとして、それに気づいた副司教が、ここで悪い司教を追い詰めて野望を阻止するけど、代わりに命を取られてしまう……そういうストーリーだ」


 窓に板が打ち付けられていて、屋敷の中は意外と暗い。レイナートさんがカンテラに明かりを入れながら説明してくれた。


「よくあるおとぎ話に聞こえるけど、史実なんだって?」


「その通りだよ、エディ殿。実際に国の歴史にその事件は残っている。未然に防がれたとはいえ国家転覆の機器だったわけだからな。……ああ、これだ、見たまえ。その司教の一族の絵だ」


 レイナートさんが大広間を横切って、壁にかかっている絵を僕達に見せる。そこには、大きな絵が飾ってあった。年月を経た屋敷の中にしては状態がいいその絵にカンテラの明かりを掲げる。それは、椅子に腰かけた男女と、数人の子供が寄り添っている絵だとわかる。


 短い髪と整えた口髭の男の人はキリッとした青い目をしてこちらを見ている。座っていても背筋が伸びたその体は古いデザインの僧服を纏って堂々としている。隣り合う椅子に座っているのは、黒髪の女性だ。くっきりとした眉が印象的で、穏やかな表情でほほ笑んでいる。奥さんだろう。

 奥さんはその膝の上に眠っている赤ん坊を抱いている。司教さんの前後には、少し緊張した面持ちの少年が二人立っている。

 ……幸せな家族の肖像だ。本当に、こんな人が国家転覆を?と僕は首をかしげたところで、エディが声をあげる。


「きったない絵だなあ、何が描いてあるんだか」


 ……うん?


「見ての通りじゃない、司教さんと奥さん?あと子供が三人でみんなこっちに顔を向けてる。

 司教さんは僕と同じ青い目で、奥さんは髪が僕とおんなじ色でさ」


 ほら、と僕はカンテラを出来るだけ高く掲げて絵を照らそうとする。しかし、その光の中で見たエディ達の表情は固い。レイナートさんも戸惑ったように眉を寄せてじっと絵を見てから、僕に尋ねる。


「そういう絵だった……と、聞いた事はあるが、リオ殿は知っていたのかな」


「レイナートさんまで、と言うか、レイナートさんが子供の頃からある屋敷なんでしょう?じゃあ、レイナートさんだって知ってー……」


 その言葉に、僕は振り返る。……そして絶句する。僕の後ろでレイナートさんの声がするけど、僕は、背筋を這いあがってくる寒気で、何も言えなかった。僕の目の前には、古い額縁に飾られた絵。でも、その内容は……。


「私が子供の頃にはすでにこんな風に、風化して人の形だって位しか判らない絵になっていたが……」


 ……帰りたい。


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 僕達はその絵から離れ、来たことのあるレイナートさんの先導で屋敷を二階からぐるりと見て回る。部屋には家具はほとんどなく、誰かが最近まで住んでいたような汚された感じや、いたずら書き、酒の瓶なんかが転がっている。

 途中の部屋で、腐った床板を踏み抜いたエディが大慌てする場面があったけど、それ以外は特に何もなく見回りは終わってしまった。


「……拍子抜けだな、ネズミ一匹いない」


「だから言っただろう、噂は噂さロイド殿。さあ、あとはこの奥の部屋だけだ。ただの物置で、棚が残っているだけだがね」


 僕はそうやって、前を歩く二人の背中を見ながらさっきの絵の事を思い出す。見間違いじゃない、確かに僕の目にはあの絵が見えたのだ。レイナートさんの言葉が本当であれば、僕が挙げた特徴は正しいものであったと言う事なので、つまりあれは、あの風化した絵の元の姿と言う事なのだろうか。

 そうやって一人で唸っていると、隣で歩いていたエディが、ちょっと小声で僕に言う。


「またなんか考えてんな、どうしたよ。さっきの絵の事か」


「うん……見間違いじゃないんだ、さっきは確かにちゃんとした絵に見えたんだよ」


「とは言えなあ、俺達にはぼろぼろの絵にしか見えなかったし。でも、目と髪がリオに似てたんだって?意外とリオのご先祖様だったりしてな。ほら、前に爺さんが言ってたじゃん。爺さんの血筋は元々王都に住んでいたって」


「やめてよエディ、確かにそんな話はあったけど、ご先祖様は普通の職人だったって言ってたじゃん。それに、反逆をした司教の一族なんていたら捕まって処刑されてるよ。王様だって血眼で探すだろうし」


「まあ、そりゃそうだけどさ、リオにだけ見えたって言うのが気になるよなあ……俺も勇者なのに見えなかったし」


 ちょっと残念そうなエディに、僕はぞっとしたんだよ、と文句を言った。そうしていると、ロイドが呼ぶ声がした。二人はもう物置の中に入ったらしい。行こ、とエディに声をかけて僕も物置に踏み込んだ。真っ暗な物置にカンテラを差し込む。……あれ、と思った。なんで先に二人が入ってるはずなのに、真っ暗なんだ?


「レイナートさん? ロイド?」


「どうしたリオ」


「いや、二人が居なくて……」


 カンテラを掲げた物置は広く、ぼろぼろの棚には壊れた陶器とかがそのままになっている。カンテラを動かせば棚の骨組みの影が、黒くくっきり壁に踊ってまるでお化けみたいだ、と身震いをした。


「も、もう、ロイドー? いきなり驚かすなんて子供っぽい事しないでね、レイナートさんも……」


 自分の声が上ずってるのが判る。恐る恐る前に進んだところで、つま先が何かを蹴った。それを見ると、火の消えたカンテラ。見覚えのある形のそれは、


「これは、レイナートさんの……」


「リオ!前だ!」


 僕がそれを拾おうと膝をついたときに、エディが叫ぶ。その声に顔をあげれば、闇の向こうに白い人影があった。思わず僕は固まってしまう。その隙をつくように、その影は音もなく僕に近づいてくる。まずい、と思ったところで、エディが僕を突き飛ばした。

 転んで壁に背中を討ち当てた僕の目の前で、エディが鞘に入ったままの剣を人影にふるう。その剣を受けて霧散したそれは、しかしそのままエディを包み込む。驚きの声を挙げるエディの身体が浮かび、物置の奥に引き込まれていく。その奥には壁しかないが、白い霧はその中に吸い込まれていくのが見えた。


「エディ! 手を!」


「来るなリオ! こいつら剣が効かない! くそ、離せっ!」


 立ち上がった僕は駆け寄って手を伸ばした。しかし、その手がエディの手に触れるには一瞬遅かった。


 霧と一緒にエディを吸い込んだ壁は、僕がどれだけ叩いても叫んでも、硬く冷たく沈黙を守っていた……。

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