第12話 二回目の旅立ち
夜の森は水を打ったように静まり返っていた。不思議と、毎年この時間、この祭事の時には風すら止まる。洞窟の前には村の皆が膝をついて並び、手を組み俯く祈りの仕草。子供達すら一言も発しないその姿に、観光できた街の人達すら咳払い一つしない。
みんなの前、洞窟の入り口に向かい歩くのは神父様と僕だ。この村に神事を行えるのは二人だけだから、見習の僕もこうして正面に立つことになっている。草を踏む足音の一つ一つすらどきりとする位に大きく耳に響く。
僕が胸の前、ふかふかでつやつやなクッションの上に載せているのは、その昔この村の創始者がその時代の王様から賜ったと言われる聖印だ。この日の為に磨いたその女神さまの印章は、前を歩く神父様が掲げた松明の光を照らし返し、ちらちらと輝いている。
毎年行われるこの祭事は、村を拓いた騎士が女神様に祈った日にこの洞窟に祠を作るよう啓示を受けたと言う、言い伝えの再現であると言われている。その祭事の後に女神様にその年の作物をお供えする事で僕達は女神様に加護を賜り、それからの一年も無事過ごせるようになるのだというのが、この村に生まれ育ったみんなが信じている事だった。
神父様も僕も、普段は大事にしまっている白絹に金糸の刺繍を施した神官服を纏っている。肌につやつやと触れる滑らかな感触は、なんだか自分がとても大人になった気がして胸がドキドキする。
……実際、頭の中身は大人のままこの夢を見ているのだけれど。神父様が僕に施してくれた化粧なんて冒険時代は一度だってした事が無かったから、どうしても心が浮き立つ。
祭事の前に僕の姿をお披露目したら、爺ちゃんは自慢の孫だなんて言ってくれたし、エリーゼちゃんやトルテちゃんは、きゃあきゃあ言って褒めてくれた。エディは、馬子にも衣裳だななんて言ってそっぽを向くし、ロイドはなんでか最初から最後まで僕の顔を見ようとしなかった。
僕が「二人も化粧してみる?」なんてからかってみたけど、「そう言うのはお前だけでいいんだ」って二人で口を揃えて言われた。顔を真っ赤にしてまで怒らないでも良いのに、と僕が言ったら二人とも不満げだったけど。
けど、最前列で膝をついてる二人の前を通る時にちらっと見たら、驚いたように僕を見ている。どうだ、なんて内心得意になったけど、神事の途中だと思いなおし、すました顔で通り過ぎる。
神父様が洞窟に向き直る。その前に進み出て、僕は両膝をついて印章を頭の上に両手で掲げる。洞窟の奥の女神様に、今もこうして女神様から頂いたものを大事にしているとお見せしてから洞窟の奥に入ってそれを納めて出てくる流れだ。
俯いて目を閉じた僕の耳に、神父様のお祈りの文句が聞こえる。その言葉は女神様を讃える言葉。僕も頭の中でその祈りを呟く。
そうしていると、ふと、神父様の声が止まる。物忘れかなと思うけれど、こういう時の為に神父様の持つ聖典にはメモが書いてある。しかし、神父様の言葉は続かない。みんながざわつく気配が僕の後ろで生まれるけど、流石に振り返って確認する訳にもいかない。さてどうしようかと僕が思い悩んだ、その時だった。
「リオ! 顔を上げろ!」
エディの声に思わず目を開けて顔を上げる。そこで僕はやっと気づいた。僕が掲げている聖印が輝いている。それは松明の光よりも明るく柔らかい光。……僕はそれを、見た事があった。
「り、リオ、それは一体どうしたんだね、何か……」
神父様が狼狽えて尋ねる。僕も、どう言えば良いのか分からないけれど……
「女神様、僕達をお導き下さい」
瞬間、聖印は輝きを増す。まるで湧水が溢れる様にその輝きは足元に零れて僕を包む。みんなが驚きざわめく中で、エディが僕の名前を呼ぶ。その声と同時にその光は急激に強まり、夜の森を真昼のように光で染め上げた。
……その光が収まり、僕達が目を開く。
「おお……これは……」
神父様が身を震わせて膝をつく。僕達を壇上から見下ろすような高さに浮いているのは、真っ白な布と輝きを纏った一人の女性だった。絹糸よりも柔らかそうな金色の髪は長く、風も無いのに揺れている。
陶磁器のように白く滑らかな肌に春色の唇と、深い青色の瞳が印象的だった。しかし、記憶の中の女神様よりもその姿が薄らいで見えるのは、僕の気のせいだろうか。
「女神様……」
僕の後ろでみんなが口々に女神様を讃える言葉を漏らし、祈りながら身を伏せる。僕も同じようにしようと膝を折るけれど、女神様はそれを止めるように片手を揺らす。
【リオ、そしてエディ……お久し振りですね。此度の冒険を、私達は見守っておりました。……良く、頑張りましたね】
「え、お、俺!?」
エディが素っ頓狂な声を上げて顔を上げる。それはそうだろう、夢のエディはまだ冒険に出る前の……
【そうではありません、リオ。……あなた達は確かに、二人だけの旅路に心を折られる事無く、進み続け、目的を達しました】
心の中の声を否定されて、僕はドキリとする。顔を上げ、戸惑いを口にしようとした。でも、女神様の悲しそうな目を見て、何も言えなくて口を閉じる。
【……ごめんなさい、リオ。あなたにはつらい役目を背負わせました。そして、エディ、貴方にも……】
突然女神様に謝られて、エディはもう何も言えなくなって口をパクパクさせていた。僕も、なぜ謝られているのか分からないで女神様を見つめるしか出来ない。
……冒険の記憶が蘇る。故郷を滅ぼされて、王国を追われ、行く先々で困難に見舞われ、裏切られ、差し出される助けは無く二人だけで切り拓いた冒険の日々。
【でも、あなた達が本当に望むものは他にあるのです。そして、あなた達が本当に進むべき道も……】
他に?そんなはずはない、確かに僕の目の前で魔王の首は飛ばされたのだ。……あれで、世界は平和になったはず。たとえ僕が死んだからと言って、その後の平和を無しにするような事をする必要はないはずだ。
混乱する僕を見つめる女神様の目は酷く痛々しく、僕を憐れんでいるように見えて、もっと僕の頭の中は乱れる。あの旅路は無駄だったと、女神様は言うのだろうか。言い返そうとした女神様の身体は、しかし、急速に薄れていく。
【リオ……旅立ちなさい。王都へ……そこで、あなた達は困難に見舞われるでしょう……それを見、思うように進みなさい】
「女神様! なんで、なんで僕はここに居るんですか! 僕は、……僕達はっ、何をすれば……どうすれば……っ」
激昂して立ち上がった僕を見て、神父様とエディが僕の身体を掴み、引きとめる。
「こ、こらリオ! 女神様になんて口を!」
「リオ! やめろって!」
「でも、でも……っ」
ボロボロと涙を流しながら、それでも進もうとする僕を、エディが羽交い絞めにする。そうしている間に、光は森の闇に吸い込まれるように薄らいでいく。
【今度は……きっと……世界を……守……】
「女神様ぁ!!」
僕の声は、松明の明かりだけが浮かぶ夜の森に虚しく響いた。
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……女神様の託宣は、その様子を観光客と共に見ていた占い師さんによってその日のうちに王都まで届いた。神託で選ばれた子供が王都に旅立つ、と。
神事は簡単な祈りの言葉をやり直して仕舞いになった。僕とエディは村の皆からもみくちゃにされ、村に戻ったらご馳走を振舞われ、皆に祝われた。神託の勇者様が村から生まれたという事で、祭りの熱も上がって大変な騒ぎになった。
そんな中、占い師さんの持つ水晶玉越しに村長と神父様、それに爺ちゃんは王様と直接話したらしい。祭りの熱が冷めやらぬ次の日の朝には、僕とエディは、王様の勅令で飛んできた馬車に乗り込んでいた。
爺ちゃんも王都について来ると言っていたけれど、荷物の用意をしている時に無理して大荷物を担ごうとして、膝と腰を一遍に痛めてしまい、断念。そんな様子を見て、ロイドが同行を申し出てくれた。
……もう一度、僕達のあのつらい旅が始まるのであれば、ロイドを巻き込みたくはなかったけれど、乗り気なエディに、僕は十年後から戻ってきたんだ!なんて言えずに、押し切られてしまった。
「ロイド、本当に良いの?」
「……乗り掛かった舟だ、妹は村長が預かってくれると言ってくれたしな」
「その、多分きっと、長い旅になると思うよ……?」
「……じゃあなおさら、無鉄砲なエディと無謀なリオを、二人っきりでは行かせられないな」
「良いじゃねえかリオ! ロイドの弓の腕はお前も知ってるだろ、百人力じゃないか!」
「そ、そうだけど……」
「俺の剣とロイドの弓、それに、リオの魔法があれば、魔王だってやっつけられるさ!そんな顔すんなって、何が来たって大丈夫だぜ!!」
明るく笑って僕とロイドの肩を両腕で組むエディ。僕の気がかりとしては、女神様の残した言葉。
「今度は、きっと……」
つまり、僕とエディは世界を守れなかったって事だろうか。魔王を倒したのに?じゃあ、本当はどうすればよかったのか……上機嫌なエディに揺らされながらぼんやり土木が考えていた所で、馬車が動き出す。はっと我に返り、馬車の後ろから外に顔を出す。
爺ちゃんや村の皆が見送ってくれている。エリーゼちゃんとトルテちゃんが、走りだした馬車を追いかけて手を振る姿が段々と離れていく。……あの日の旅立ちは泣き顔だったけれど、今のエディは満面の笑み。そして、隣には新しい仲間が居る。
女神様が伝えたかった事は、まだ分からないけれど……過去に戻って一番変わった事は、みんなが居るという事。今度の旅は、もう、前の冒険とは違う道に進み始めているのだ。なら、同じ様に真っ暗でつらい道じゃないかもしれない。いや、違う。
「今度は、きっと……っ!」
……僕が1人にしてしまったエディの為にも、今度こそ世界を救いたい、そう思った。
―――――『優しい世界のあるきかた 第一章 完』
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