第10話 信じるということ
「リオ! 無事か!」
声と共に真っ先に飛びこんだエディは松明を高く掲げたまま、近くに居たゴブリンに剣を叩きつける。そのゴブリンの声を皮切りに、硬直していたゴブリン達が声を上げながらエディに襲い掛かる。しかし、エディはものともせずに返す剣を翻らせて、もう一匹を切り伏せる。その剣筋には昨日のような躊躇いは無かった。
数で押し込もうと数匹がかりでエディに飛び掛かったゴブリンだけど、それを押しとどめるのはエディの後ろから飛び出したロイドだ。握った短剣を振るってロイドの隙をサポートしている。ああ、やっぱりいいコンビだなと僕は思う。襲い手が乱れた所で、更に光が増える。助けに来てくれたのは二人だけじゃなかった。
松明を掲げる大柄な髭面はパン屋のおじさん、いつも村の門を守ってくれてる門番のお兄さんが槍でゴブリンを突き伏せる。槌を振るってゴブリンを蹴散らすのはいつも大きな声で挨拶してくれる鍛冶屋の棟梁だ。他にも村の人達が何人も雪崩れ込む。涙で霞む視界でも狼狽えるゴブリン達を皆が手に持った農具や松明を振るって押し込んでいく様子は、心強い。
「皆、……げほ、気をつけて……っ、すぐ近くにゴブリンキングが……ッ」
乾いたように動きが鈍い舌で僕が何とか伝えようとしたその時、突然、大音響が響いた。怒りを孕んだその咆哮は、僕の前に立つ壁からだ。……いや、違った、それこそがゴブリンキングだったのだ。
寝転がったまま見上げれば、松明の光に黒々と浮かび上がる巨体。剣を握ったエディとロイドがそれに向き直る。170位のエディが子供位に見える体躯だった。
村の皆と闘ってるゴブリンはせいぜい120か、人間の中でも小柄な僕位の身の丈のはずだ。それなのに、このゴブリンはオーガかと見まごうほどに大きく、分厚い身体をしていた。あれに圧し掛かられてたのかと思えば、よく僕は潰れて死ななかったなと身震いが起こった。
何人かの人はその姿に悲鳴を上げて下がる、代わりに意気を盛り返すゴブリン達。その中で前に踏み出すエディとロイドは左右からゴブリンに襲い掛かられて苦戦を強いられる。
「足を止めないで二人とも! 必ず後ろをお互いで守るんだ! ロイド、エディは左側から攻められるのが弱い、カバーしてあげて! 僕はそうしてきた! ……って、うわぁっ!? こら、離せ、おろせっ!」
二人ともその言葉に驚いたような顔をしたけど、すぐに意を得たりと動き始める。しかし、僕の前に立つゴブリンキングが僕を掴みあげ、肩に担いでしまう。一気に高くなる視界で、僕は暴れる元気もなく、声を上げるけれどおろしてもらえるはずもない。
「エディ、リオが……!!」
「判ってる、けどっ! この、邪魔だぁゴブリンども!!」
複数のゴブリンを相手取る事に手間取る二人。しかし、そこにもう一人割り込んだ影が、まとめて数匹のゴブリンを叩き切った。幾多の冒険を乗り越えた僕でも目を見張るような剛剣を振るうのは、真っ白な口髭の老人。太く立派な白い眉毛の奥の目が鋭く光り、巨体にもひるむことなく睨み付ける。
それを見て、ゴブリンキングが身を翻し、奥に逃げ出す。……ゴブリンキングがぶるっと震えたのは、きっと僕だけが気付いた事だ。小さい頃に一度エディと危険ないたずらをした事があって、その時に見せた爺ちゃんの怒り顔が一番怖い顔かと思ったけど、それ以上の顔だった。そりゃあ逃げる。僕がゴブリンキングなら僕だってそうする。
「……爺ちゃん!!」
「泣くんじゃあないリオ、皆がおる! エディ、ロイド、ここは大人に任せて先に行け、二人ならあれ位の魔物倒せんはずが無い!!」
「「ああ!」」
激しく上下する視界の中、爺ちゃんが切り開いた道を二人が追いすがる。洞窟の中の広間の奥には、もう一つ広い部屋があった。松明を持った二人がゴブリンキングに遅れて入れば、僕もやっとその部屋の全貌が見えた。……僕達三人は、同時に声を上げてしまった。
ゴブリンキングの寝所なのだろう、部屋の奥には藁が敷いてある。そして、食べ散らかした物が散乱していた。肉や骨、動物の物もあれば……丸い頭蓋骨は、人間の物。冒涜的な光景と腐臭と死臭、嫌悪感と怒りで顔が熱くなる。弄んだのだろう、寝所から離れた場所にも変色した身体の一部が転がっていた。
僕の身体は無造作にその腐肉とゴミの山に放られる。それを見た二人が怒声を上げてゴブリンキングに切りかかる音がした。殴打音と叫び声を聞きながら僕は何とか体を起こす。服を剥がれているから、身体に直接肉が擦り付けられて、不快感で吐き気がした。
顔を戦いの場に向ける。二人とも力を合わせて動き回り、ゴブリンキングの振るう腕や足から逃げ回っている。しかし、やり返す剣や短剣は分厚い筋肉と固い皮に邪魔されて決定打が与えられていないようだった。一撃でもまともに当たったら壁に吹っ飛ばされてしまいそうなゴブリンキングの攻撃に踏み込むには、二人とも実戦が足りない。
なにか隙を与えられれば……痛みが酷い頭で考える。でも、散々甚振られた僕の身体は上手く動かず、精々声を上げる位。魔法も自分を癒す位で、ゴブリンキングの動きを止める事は出来ない。手は無い……そこまで考えて、僕は思い出す。
「ある……」
僕に出来る事。それは、普段であれば絶対しない様な事。それでも、腕一つ動かせない今の僕には、これしか出来ない。
「いや、僕にもこれなら出来る……エディ、ロイド!! ゴブリンキングを僕に近づけて!!」
「何言ってんだ!お前動けないんだろ! 踏みつぶされるぞ!?」
「良いから!! このままじゃ体力負けして、二人とも負ける!!」
「リオ! 俺達が信じられないってのか! 見てろ、こんなデカブツ……っ」
「……そっちに、やれば良いんだな?」
ムキになるエディの隣でロイドが声を返す。エディが言い返すが、ロイドがエディの背を叩く。
「エディ、お前はリオを信じられないのか? ……俺は、信じるぞ。リオは馬鹿な事は考えないはずだ」
「ッ! くそっ、リオ! 踏まれるなよ、絶対だからな!!」
二人の動きが変わる。攻撃を当てようとするのではなく、ゴブリンキングの動きを邪魔するように避けて動きを乱して押し込めていく。それを見ながら僕は言葉を紡ぐ。それは神に捧げる祈りの言葉ではなく、自分の体の中の魔力で世界に働きかける詠唱。舌に慣れないそれは、僕が苦手な魔法の言葉。
自分の体の中で、残り少ない魔法が無理矢理練り上げられていくのが分かる。雑巾の水を最後の一滴まで絞ろうとする行為と同じだ、身体中が軋んで頭の奥が膨れるように痛む。苦手な攻撃魔法をこんな状態で放とうとするなんて、失敗するにきまってる。
「お、らあああっ!!!」
暴風の様な攻撃をかいくぐったエディが、思いっきりゴブリンキングに身体をぶち当てる。よろけたゴブリンキングの巨体が傾いた所に、ロイドが短弓で矢を放つ。細い矢は硬い皮膚に阻まれて刺さらないが、それを避けようとしたゴブリンキングが脚を滑らせて僕の目の前に膝をつく。ここだ!
「……二人とも、あとは任せるっ、炎よ、ここに生まれろ!!」
僕は詠唱を完了させる。しかし、失敗した魔法を放とうとするのは、大砲の穴を塞ぐ様なものだ。僕の目の前で魔力が火花を放ち、乱れ、そして、弾ける。僕とゴブリンキングの脚を巻き込んでの小爆発。ゴブリンキングの歪んだ悲鳴を耳にしながら、体力に加えて魔力まで空にした僕は意識をまた手放す。
でも、三人を逃がした時とは違う。今度こそ、これで僕達の勝ちだ。薄れゆく視界の中、二人がゴブリンキングに飛び掛かるのを見て、僕はそう確信した。
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目を覚ましたら、見覚えのある天井が見えた。身体を起こそうとした瞬間、お腹の奥から響くような痛みで呻いてしまう。身体中を寝違えたような痛みだ、少し動くだけであちこちが軋みを上げる。視線だけを動かしてみれば、カーテンの隙間から青空が見えた。……僕の部屋だ。
もう少し目を動かしてみると、ベッドサイドに人の頭が見えた。明るい金色の髪。痛みを堪えて少しだけ顎を引けば、ベッドの上に頭を乗せて寝こけるエディの顔があった。看病してくれていたのだろう、額からずれた濡れタオルの感触。その髪に触れたいと思ったけど、腕は小指の先すら動かない。
エディも此処に居るって事は、きっとみんな戻ってこれたのだろう。村の皆も怪我は無かっただろうか。爺ちゃんも、脚の古傷に響いていないと良いけれど。ああ、きっとエディが起きたら僕は怒られるんだろうなと思う。ロイドはエリーゼちゃんと仲良く出来てるかな。爺ちゃんや村長さんには勝手に子供達だけで森に入ってって叱られるかもしれない。喉が渇いたな。魔法の暴走を自分で引き起こすなんて自分でも無茶したな。
色んな事が頭に浮かぶけど、それをそれぞれ紐解いて考える事は、今の僕には難しかった。そのうち、文が頭に浮かばなくなって、昨日からの色んな場面が頭に浮かんでは消える。ゴブリンの事、離れていくエディ達の背中、真っ暗闇、ゴブリンキング、皆の姿。顔……。
「……エディ、……ロイド、爺ちゃん、……みんな……」
その光景すらぼやけてしまう。とろとろと眠気が僕の頭の中を夢色に染め上げていく。エディが身じろぎしたのが分かる。……指に、髪がかかる感触。少しだけくすぐったくて、息が漏れる。
「……助けてくれて、ありがと」
この言葉だけは、ちゃんと皆に伝えたいな、と思った。
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