第9話 言えなかった言葉

 ……鼻の頭に冷たい感触を覚えた。暗闇の中で目を覚まして一番最初に思ったのは、現実に戻ってきたのかな、という事だった。でも、動かそうと思った手の指はちゃんと動いたし、血の巡りと一緒に疼く体中の痛みは僕が生きてる事を教えてくれた。


 酷く喉が渇く。舌で唇を舐めると、鼻に落ちた水滴が僅かに口の中を湿らせた。泥と血の味がする。味を覚えて気が緩んだのか、酷い吐き気と共に後頭部の鈍痛に気付く。

 気付いてしまうと、頭の奥で膨らんで脈動するような痛みと共に吐き気を覚えた。唾を吐くと頬を伝った。それでやっと、自分は地面に寝転んでるのだと分かった。


 最後の記憶は、怒り狂ったゴブリン達の目の輝きだ。てっきりあの場で殺されたのかと思ったけれど、どうやらそうではないらしい。身体を起こそうとして、よろけて顔から地面に転がった。後ろ手に腕を、脚は足首で縛られていた。


「捕まった? ……でもなんで……、痛たた……」


 冷たい壁に身体を押し当てて、それを手がかりにして芋虫のように身体を起こす。簡単なようだけど、起きるまでに体の痛みや疲労で何度も失敗して、何とか尻を地面につけて座って、壁に寄りかかる事で一息つく。


 今の僕の身体はひどく軟弱でか細い。冒険に出て10年間で無理矢理鍛え上げたのだけれど、そうか、元々はこんなにも弱々しかったのか……なんて感慨にふけりながら、意識してゆっくりと目を閉じ、深呼吸をする。

 祈りの言葉を呟きながら魔力を身体に巡らせる。まだまだ練度が足りないけれど、体中の痛みはいくらか和らいだ。殴られた頬や頭の鈍痛は心臓の鼓動に合わせて熱を持ったままだけれど。


「ここはどこなんだろう……と言いたいところだけど、多分、ゴブリンの巣だな。何も見えないけど。……つまり、上手い具合に僕だけを狙ってくれたわけだ。三人は村まで逃げ切れたかな。だと嬉しいのだけれど」


 僕もひとまず生きているし、五体満足だ。気絶させた後は縛り上げて運ぶだけ運んだのだろう。洞窟の奥なのだろうか、まったく光が無いので目が慣れても暗闇は暗闇。火の魔法でも使えればよかったのだけれど、あいにくと攻撃に使う魔法は苦手で、無理矢理使うと暴発するのだ。

 ましてや、こんな酷い体調と精神状況では確実に失敗する。折角生きてるのに自分の魔法に巻き込まれて死にましたなんて目も当てられない。


 暫くそうしたまま、じっくりと身体の傷を癒す事に時間を使う。その間に考えるのは今後の事だ。不思議と、今の状況に恐怖心は湧かなかった。きっと、ゴブリン達に現実から数えて十年越しの意趣返しをしてやったからだろう。ははん、どうだ、と僕は口に出してみる。少し元気が湧いてきた。


「……爺ちゃん、町から戻ったら驚くだろうなあ……明日の朝だっけな、帰ってくるのは。今何時頃か分からないけど……」


ごめんね爺ちゃん、しくじった。溜息交じりに呟いて、届かない謝罪をする。何とかして生きて帰りたいと思うけれど、縛られているし、真っ暗闇だ。お腹もすいて来ていて、力も入らない。冷静にそんな風に自分の命の状況を分析するのは、諦めの境地なのかもしれない。

 そういえば魔王と闘ってる時も、髪を切りたいなんて思ってたなあと思い出してちょっと可笑しくなって笑った。笑って、笑って、それから深く息を吐いた。


 思い出すのは、最後に見たエディの顔。僕を置いて逃げろと言ったのは自分だけど、酷く悔しそうで、悲しそうで、怒ってて、泣いていて。……あんな顔させたかったわけじゃあないんだけどな、と思うけれど。


「また、僕が先に死んじゃうのかぁ……ごめんよ、エディ」


 夢でも現実でも、僕はエディに迷惑かけてばっかりだ。でも、この夢なら、きっとロイドが僕の代わりに隣に居てくれる。それにきっと村も助かるから、もしかするともっともっと色んな仲間が増えるかも知れない。

 爺ちゃんも死なないからもっと鍛えて貰えるし、そうだ、トマスだって喧嘩が強いんだし、意外と冒険に一緒に出る様になったりするかもしれない。


 暗闇に描く未来予想図は意外と明るい。爺ちゃんにぶん殴られて転がるエディとロイド、それを見て呆れ顔の妹二人。トマスも混ざって街に出て、ギルドに行ったりするのかな。

 現実では、女神の啓示を受けた僕達を王城の占い師が迎えて王様と謁見したけど、あの太っちょの宰相に酷い言われようして、エディが怒って城を叩きだされたんだっけか。懐かしい。


 でも、今度は女神さまの啓示を受けてないから大変な旅になるだろうと思う。でも、特別な力が無くてもエディの戦闘勘は天性のものだ。それに、ロイドがついて来てくれれば僕達二人に足りてなかった偵察や遠距離攻撃の手段も増えるし、意外と冗談も好きだから、夜は僕達三人で焚火を囲んで話し合ったり。きっと楽しい旅になる。


「……はは、違った」


 違う。そこには僕は居れない。僕はきっとここで死ぬ。エディとロイドがもう一度来てくれても、ゴブリンの巣に二人で飛び込むなんて事はしないだろう、して欲しくない。


 そこで思考が途切れる。足音がする。複数の音と、耳障りな声……これはゴブリンだ。真っ暗闇でもあいつらは闇を見通せるから、洞窟を歩くのなんてなんてことないんだろう。声の調子から察するに五匹か。

 取り囲まれて、僕は髪を掴まれて引っ張られる。何本か抜ける音と痛みに慌てて立ち上がるけど、縛られた脚ではうまく歩けずに転げてしまう。蹴られるくらいのことは覚悟していたが、しかし、ゴブリンからの攻撃は無かった。


 浮遊感。僕は二匹のゴブリンに持ち上げられ、丸太か何かかの様に担がれる。流石に驚いて声を上げて身体を動かすが、固いものでひとまず諦める。ここで降ろされても僕はどこにも行けないのだ。どうせ死ぬなら、色んなものを見届けてやろうという気持ちになった。暢気も通り越せば豪胆だなと思いながらゴブリンに揺られて数分。


 広い場所に出たな、と感じる。ゴブリン達の喚き声の反響が少なくなって、空気に流れを感じる。そこからまた少し歩けば、僕は地面に転がされた。うっかり声を漏らせば、その口の中にちくちくするものが紛れ込む。藁だ。


「藁が敷いてあって、……なんでわざわざ?というか、おい、ゴブリンども!僕をどうするつもりだ!!」


 声を上げて身体を起こそうとする。しかし、今度は拓けた場所のど真ん中に置かれてしまったのだろう、縋って立つ壁も無くてなかなか起き上がれない。僕が悪戦苦闘していると、重い足音がゆっくりと近づいてくる。気配は大きく、圧迫感を感じる。ゴブリンとはまた違うその雰囲気に眉を寄せ、僕は耳を澄ませる。


 一匹だ。周囲にはゴブリン達の息遣いが感じられるけど、襲ってくる様子はない。さては、と思う。こいつがボスか。こいつがキングか。やっぱりエリーゼちゃんはこいつへの貢物として攫われたんだと思えば、怒りが先に立つ。見えないながらも音の方に顔を向け、僕はそっちを睨みつける。そして笑ってやった。


「残念だったね、お望みのお嬢さんじゃあない! 僕を食べたとしても、お前の腹が膨れるだけで群れは大きくならないぞ。どうだ見たか! お前たちの思い通りになんてやらせてやるもんか!!」


 足音が僕の前で止まる。僕の言葉が分かった訳じゃないだろうけれど、馬鹿にされた事は分かったのだろう。次の瞬間、僕の腹に強い衝撃が走った。地面を転がって、吐き気と痛みを歯を食いしばって堪える。

 ざわざわと周囲のゴブリン達がざわめく中、近づいてくる足音、僕の胸倉を掴みあげる腕。爪先立ちになる僕は、咳き込んでからまた口を開こうとした。しかし、頭を掴まれてそのまま地面に叩き付けられれば頭の骨が軋む嫌な感覚。


 怒りだ。ただの餌としてではなくて、僕を屈服させようとする拷問だと気付く。エディと冒険している時に一度だけ、訪れた国で他国の間者と間違われて捕らわれた時に鞭打ちを受けた覚えがある。でも、あの時よりも雑だけど執拗に痛めつける行為は、何も見えない世界でどこから痛みがやってくるのか分からず、あの時よりも心をかき乱す。

 口を割らせようとするのではなく、ただ動物的に僕の方が下だと分からせるための暴行だ。負けて堪るか、と祈りの言葉を唱えて回復をするけど、それは暴行を長引かせる結果となる。


 意地だった。食われるとしても、絶対にこのゴブリン達に負けられない。魔力が尽きるまで、尽きてからも少しでも長くこいつらに抵抗してやろうと思った。

 ……それでも、少しずつ、殴打の痛みが蓄積されて、魔法でも直りが遅くなってしまう。殴られ過ぎて朦朧となる意識の中、それでも、土と血の味でぐちゃぐちゃになった口で祈りの言葉を口にする。


 ……どれほどの時間そうしていただろう。不意に攻撃の手が止まる。僕がそれに気づいたのは、僕が地面を引きずられて、最初下ろされた藁の上に転がされた時だった。


 そして、僕に圧し掛かる重さ。息苦しく、身体中の傷に響いて思わず呻くいて身体を起こそうとするけど、圧し掛かった力に押さえつけて邪魔される。僕の顔に吹きかかる臭くて熱い息。……ゴブリンキングだ。

 僕の上に跨って、貢物の匂いを嗅いでいるのだ。僕の頬をナメクジの様なものが這う感覚に、痛みと重みで動かない僕の身体が嫌悪感で震える。

 ああ、とうとう食われてしまうのだと思った。僕の脳裏に、現実世界での十年前、エディの家で見た光景が思い出される。トルテちゃんの髪、白い肉を赤く染めながら貪るゴブリンの姿を思い出して身震いをする。

 襟首を掴まれて、服を破かれる。僕の身体がゴブリンに晒されているだろう、どこにかぶりつくのか品定めでもしているのか、ゴブリンの舌が僕の腹や胸を這う。……そこで僕は気づいてしまった。いや、気付かないようにしていたのだと、自分で分かった。


 こいつは、僕をエリーゼちゃんの代わりにしようとしているのだ。


 途端に僕は怖くなった。情けない物だと思う、今の今まで死ぬまで抵抗してやろうと心に決めていたのに、酷く体が震えて、涙が零れてしまった。やり返してやった、十年前の復讐をしたと嗤ってやったつもりだったけど。ゴブリン達からしたら、別にエリーゼちゃんと僕で何が変わった訳ではないのだ。

 十年間の冒険生活で、女であることを忘れて唯々戦いに明け暮れてたけれど、ああ、まさか自分がそんな風に使われる恐れがあるなんて考えてもみなかった。

 たとえ夢の中だって、僕の身体を使って僕の村を襲わせるゴブリンを生ませるなんて、絶対嫌だ、考えたくなかった。それだけは、駄目だ!!


「く、ぅぅっ! このおっ!!」


 それでも僕は最後の力を振り絞って、僕に覆いかぶさったゴブリンキングに向かって、揃えた膝を覆いっきり蹴りあげた。膝に、なんだか酷く硬くて柔らかい物の感触。一瞬ゴブリンキングが硬直した気配がした後、なんだか大慌てで喚いて僕の身体の上から飛びのいた。

 傷でもあったのだろうか、骨にしては柔らかかったけれど……。力を使い果たした僕がぼんやりとそう考えながら、舌を噛み千切って果ててやろうと口を開けた、その時だった。


 ……音が聞こえる。何か大声で叫ぶ声、足音。……ゴブリンが増えたのかな、と僕はそんな事を思っていたから、それが人の声だって気づくのが遅れた。


 聞き覚えのある声だ。それは、十年間の冒険と、それよりも長く聞いてきた幼馴染の声。エディだ。他にも人が居るのだろう、複数の足音。


 僕の名前を呼んでる。反響して良く聞こえないのに、なんでかそう確信できた。流しつくしたと思ってた涙がまた零れた。口が動く、声が出ないで代わりに咳き込む。それでも僕は声を上げる。幼馴染の名前を、新しい友達の名前を、僕を育ててくれた人の名前を。

 ……そう言えば、僕はこの言葉をずっと言えてなかったんだって気付いた。言っても仕方がないから、ゴブリン達に村を滅ぼされてからずっと言えなかった言葉だけど、今は言う。言って良いのだ。

 死んでしまおうと開けた口から、僕は、真逆の言葉を叫ぶ。何度も、何度もだ。


「……けて、げほ……っすけ、たすけ、て……っ! 助けて、エディ! ロイド! 爺ちゃん、僕、ここだよ……っ! 助けて、助けてっ!!」


「リオ!!」


 応えてくれた。


 ああ、神様。光が見えます。松明の光を掲げたエディの姿は、どんな絵本の物語に描かれた勇者よりも勇者らしかった。

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