第5話 新しい友達
目を覚ますと爺ちゃんはまだ寝ていた。僕は欠伸をしてから思いっきり伸びをする。窓の外の空はまだ薄暗く、昇り始めた太陽の光が少しだけカーテンの隙間から滑り込んでいた。
僕は爺ちゃんを起こさないようにそっとベッドを抜け出して、寝間着姿のまま家の外に出る。真上の空にはまだ星が輝いていた。……夢はまだ覚めない。思い出そうとすれば、エディとすごした冒険の日々は全部しっかり思い出せるけれど、その冒険を乗り越えてきたはずの手は白くて柔らかいし、魔力は弱い。
そう言えば、この頃は冒険なんて考えもしてなかったし、女の子だからと爺ちゃんも僕を鍛える様な事はしなかった。そりゃあそうか、と思い直して、今の自分の力を試す事にした。
「よい、っしょ!ん、ぐぐぐぐ……か、固い……っ」
爺ちゃんが使ってる薪割用の斧を握ってみる。現実の僕なら魔力で自分の力を増幅させることが出来たし、そうでなくてもこれ位の重さはどうって事無かったのだけれど、先っぽが切り株に食い込んでるだけなのに斧はびくともしなかった。
力を入れ過ぎたせいでちょっと赤くなった掌をこすってから、井戸の水をくむ。少し軋む滑車の金具の音。確かこれが壊れてしまうのは夏ごろだったはずだ。ゴブリンの襲撃があった秋の少し前。記憶の中の爺ちゃんの死に顔を思い出し、僕は慌てて桶の水に顔を突っ込んだ。
そのまま、息が苦しくなるまで我慢して、勢いよく顔を上げる。この夢の中では、爺ちゃんはまだ元気なんだから泣く事なんてない。軽くほっぺたを叩いて自分に言い聞かせる。
そして、水に映る自分の顔を覗き込んだ。お母さん譲りだって言われる真っ黒の髪は肩より上で切り揃えられている。神官見習いの髪型だ。お父さん譲りの青い垂れ目に、困ったような太い眉。エディと喧嘩した時はいつもそれをからかわれているのであんまり気にいってない。
「子供の顔だ……胸も随分小さくなっちゃたし、本当に子供の頃に戻ってる」
現実よりも柔らかいほっぺたと、現実よりもボリュームの減った胸に触れながら、僕は息を吐く。顔も形も、身体も全部十年前のあの年だと今更ながらに確信した。もしかして、魔王と闘うまでの事の方が全部夢なのかもと思うけど、それにしても鮮明で時系列もはっきりしている。
うんうんと井戸端で唸っている僕を爺ちゃんが呼ぶ声。振り返ってみると、古くてこじんまりとした僕の生家。扉から爺ちゃんがいつものように手を振って僕を呼んでいる。また涙が溢れそうだったから、慌てて井戸の方を向いて、神様へのお祈りがあるからとちょっと待ってもらった。
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「爺ちゃんの作るご飯っておいしいよねえ」
「おだてても何にも出らんぞ。だが、愛情は籠っておるとも」
爺ちゃんは自分の鬚を撫ぜて満更でもなさそうに笑った。おだててないもん、と僕が口をとがらせると、爺ちゃんは嬉しそうに撫でてくれた。
食事をしながら今日の事を話す。エディとロイドを連れて、村長の家に行ってトマスの誤解を解くのだ。あの頃の僕が知らなかったこと、解決してなかったことだけど、知ってしまったらもう僕も関係していることだ。お節介であっても、やらなくちゃいけない。
今日やる事が決まって、爺ちゃんにお茶を淹れてあげた。
「リオの淹れる茶は美味いな」
「おだてても何も出ないよ、爺ちゃん? でも、愛情は込めてるからね」
さっきのお返しのようにそう答えれば、二人揃って笑った。お茶請けは10年前の僕が昨日作ったクッキーの残りだ。(なんか変な感じ)それを一つ摘まんでから、僕は気になっていたことを聞いてみる。
「ねえ爺ちゃん、最近ってゴブリン多いの?エディがまた牛を盗まれそうになったってぼやいてたんだ」
「ゴブリン? はて、そう言う噂は聞いていないな。最近魔王がまたどこかの国に戦争を仕掛けたという話は行商人が言っておったが、この辺りは変わらず平和なものだしの。まあ、今年は作物の実りも良い、森も豊かだろうから、そうそう村里まで現れる事も少ないだろうて」
爺ちゃんはそう言って食後のパイプに火を入れる。少し甘い煙の匂い。懐かしい香りに浸っていると、しかし、と爺ちゃんが言葉を続ける。ちょっと意地悪く目を細める表情は、昔から怖い話を聞かせる時の癖だ。
「伝説があってな、数百年に一度世界のどこかにゴブリンの中にも英雄が生まれるのだと。それはゴブリンキングと呼ばれ、生まれたゴブリンの群れはその王に人間の娘を捧げて子供を作らせる
ゴブリンは元々成長が早く、生まれて一年もすれば大人と同じ大きさになるが、王の子供はそれに輪をかけて早く一季節も経たずに大人になる
しかも、その子供達は群れのゴブリンを更に孕ませて、ぐんぐん群れは大きくなっていく。最後には軍団を作って人の里を脅かすのだとか」
爺ちゃんは子供を脅かす様に両腕を広げてそう話す。僕は何も言えなくなっていた。思い出すのは、村を襲ったゴブリン達の声。どれ位の規模だったかは分からないけど、この村も小さいとはいえちょっとの群れくらいなら撃退できるくらいの人数はいる。それでも、あの惨状を迎えたのだから……そう思うと、震えが止まらなくなる。
僕の顔色は相当悪かったのだろう。爺ちゃんが慌てて、あくまで伝説の話だと言葉を重ねた。僕は何とか頷いたけれど、熱いお茶をもう一杯呑み干すまではその手の震えは止まらなかった。
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ロイドの家は、街から少し離れた森の中にあった。丸太を組んで作った、絵本の木こりが住んでいるようなログハウス。屋根は苔むしていて、古くからある物だと分かった。扉をノックすると、扉を開けてくれたのはロイドじゃなくて10歳位の女の子だった。灰色の髪、灰色の目、ロイドと一緒の色だから、妹さんかなとすぐに判る。
「おはよう、僕はリオ、こっちはエディ。ロイドの友達だよ。はじめまして、君は妹さん?」
「うん!私はエリーゼっていうの! お兄ちゃんはさっき森の見回りに行ったわ! すぐ戻ると思うけど!」
「入れ違いになっちまったな、リオ。なあお嬢ちゃん、ここで待っててもー……」
頭を掻いたエディが妹さんに声をかけた。その手を妹さんは勢いよく掴んで、その後、僕の手も握られる。ロイドも僕も目を丸くしてる間に、ぐいぐいと家の中に引っ張り込まれた。はしゃいだ様子で僕たちを絨毯の上に座らせれば、嬉しそうに水の入ったコップを渡してくれた。雨の後の川よりも勢いよくエリーゼははしゃいで話す。
「リオさんとエディさんね!お兄ちゃんのお友達なんて初めて! 良かったら私ともお友達になって! お兄ちゃんったらあんまり私を村につれて行ってくれないんだもの、私だって皆と遊びたいのに、お兄ちゃんが独り占めしてズルいって思ってたのよ! 今日は素敵な日だわ!私にもお友達が出来た日だもの、お祝いしなきゃ! お人形遊びする? それともおままごと? お兄ちゃん最近そう言うのは子供の遊びだって言って付き合ってくれないの、お人形さん達は居るけど、ちょっとつまらなかったの!」
「い、いや、俺達は別に遊びに来たわけじゃあ……なあリオ?っておい、なんで無言で渡して来るんだよ、おままごととかはお前の方が得意じゃんさ?!」
エディ、そんな目をしても駄目だよ、僕は既に木彫りのクマを渡されてるからね。エディには木彫りの鳥を渡そう。……きっと、ロイドもつれて行きたくなくてつれて行ってない訳ではないんだろう。
勘違いからいじめられているロイドがエリーゼちゃんを連れて行ったら、きっとこの子も嫌な思いをする。そんな思いはさせたくないんだろうって分かっった。ロイドがこの子の事を大事に思っていることも伝わる。木彫りの熊も、木彫りの鳥も、まだ新しいように見える。きっと、ロイドが妹の為に削って作ったんだろう。
「エディ、世界を救う勇者様が女の子を泣かせるの?」
昔から、この一言に弱いのは知っている。ズルいぞ、と愚痴るエディの声は聞き流して、満面の笑顔のエリーゼちゃんに僕も笑いかける。そうしてロイドが戻ってくるまでの即席の家族のお喋りを始めた。
帰って来たロイドはそんな僕達を複雑そうな顔で眺めていたけど、意外とすんなりと、村長の家に行くことを了承してくれた。自分の父親であるダンカンさんが本当にトマスを攫ったわけではないという事を聞いて、への字口をもっと引きしめていた。
でも、トマスへの不満を爆発させることが無いロイドを、僕は強い人だなと思った。一人でエリーゼちゃんを育ててるんだ、この頃の僕は、爺ちゃんに甘えてるだけの子供だった。もし、ロイドが冒険について来てくれたら、きっと頼りになる仲間になっただろうな、なんて少し思う。
同じように妹が居るエディはロイドと意外と話が合った。 エディの妹…トルテは男勝りで勝気、エリーゼはおしゃまで大人っぽい、タイプは違うけど、どっちもお兄ちゃんの御世話焼きさんだ。トルテもエディが居ない時に僕に会うと、エディの愚痴を言っている。……妹二人組も、きっとお兄ちゃん二人組と同じように仲良くなるだろうな、とちょっと笑った。
そして、広場を通り過ぎて少し行くと村長の家が見えて来た。爺ちゃんが家の前でパイプを吹かしている姿が見えて、僕は手を振る。……あの頃の僕がしなかったことの、第一歩だ。少し緊張しているけれど、上手くいく気がした。
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