第1章

第3話 あの時気づけなかったこと

 眼下に広がる故郷の風景。そんなに大きくはないけど、平和で暖かい、僕が生まれた村。赤い屋根は僕が生まれた家。遊び場にして叱られた粉ひき小屋。口煩いけど優しい村長さんの家。中央の広場で、子供たちが駆け回ってるのも見えた。


 ゴブリンの襲撃から復興した?そうであるなら、もっと守りを固めそうなものだ。その上、家の配置が完璧に一緒なんてあり得るだろうか。だけど、夢であるにしては、さっきぶん殴られた頭のじんじんする痛みは鮮明すぎる。それに、風の匂いやエディの声も生々しい。


 ……僕は思わず両手を祈りの形に組み、膝をついていた。堰を切ったように流れる涙が止められなかった。幼馴染が驚いて声をかけるけど、それに言葉を返す事も出来ない。まるで子供みたいにわんわん泣きながら、僕は祈った。


 死に際に見た走馬燈でも何でも良い、覚めないで欲しいと願った。魔物や、魔王を倒す旅の邪魔をした人達を、僕とエディは沢山殺してきた。そんな僕に与えられたこの風景は、過分なほどの救いだと思った。本当は、死んだらきっと、神の身許になど行けないと思っていたのに。神様の前に行くよりも幸せな場所に、僕は今居た。


 突然泣きながら祈り始めた僕に驚きながらも、エディは馬鹿にせず待ってくれていた。そうだ、村に居る頃は、乱暴で意地悪だけど、優しい普通の男の子だった。旅の中で、段々と冷たく強引な勇者になっていってしまったけれど、本当のエディは、暖かい人だった。純粋に、世界を救う為に自分を鍛え、勇者になることを夢見ていた普通の村人だったのだ。

 ゴブリンの群れに村を滅ぼされて、国に裏切られて、魔物を殺して回るうちに、段々と冷たい目をするようになっていったんだ。……それは、きっと僕もそうだったんだろう。


「……ごめん、エディ」


「いや、別に泣くのは良いけどさ。なんか怖い夢でも見たのか?」


 違う。けど、きっと僕の言った謝罪の本当の意味は『今のエディ』には言っても伝わらないだろう。僕は首を振って、袖で涙をぬぐって立ち上がる。膝についた草を払い落とすうちに、少し気持ちが落ち着いてきた。気遣うエディに僕は礼を言ってから、一応、尋ねてみる。


「エディ、ゴブリンってどう思う?」


 その問い掛けに、質問の意図が判らないと言った顔で僕を見ながらも、


「時々うちの牛を盗みに来る嫌な奴らだな。親父が追い払ってるけど、群れで来る時は面倒な魔物だろ?」


 エディはそう答えた。この夢の中では、きっとまだ、あの夜の襲撃は起こっていないのだ。群れどころか、この丘を埋め尽くすような量の…それこそ、軍団と言った方が良いようなゴブリンたちが村を襲ったあの秋の夜の事を、エディはまだ知らないのだ。

 思い出して身震いした僕を見て、こんなところで寝るから風邪をひくんだ、と勘違いして呆れるエディに連れられ、僕は帰途についた。



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 懐かしい帰り道。丘から下る土の道。脇道に咲く花は、村の特産品でもあり名前の由来でもあるイチの花だ。春に咲くその花を見れば、起き抜けの予想が当たっている事を確信する。魔王城に突入したのは冬の季節、寒いのが苦手なエディが、マントにくるまって寒さをしのぐ姿を覚えている。


「やあ、リオちゃんこんにちは、あなたのお蔭で膝の調子が良いの、有難うね」


「ふぁあ……おいおいエディ、またリオちゃんを泣かせたのか?喧嘩すんなよ?」


 すれ違う行商の馬車に座るお婆さん、村の入り口であくびをしている門番のおじさん。皆、生きている。うっかりするとまた膝から崩れて落ちそうな位の懐かしさを覚えながら、家に向かう。


 その途中、広場を横切ろうとしたところで、声が聞こえた。……喧嘩の声だ。足を止めてそちらを見れば、あまり見かけない灰色の髪の少年を同じ年頃の少年たちが囲んでいた。囲むのは、村長の息子のトマスとその取り巻き、そして囲まれてるのは……誰だろう。


「ロイドだな。ほら、村のはずれの森に棲む猟師の息子だよ。トマスのやつ、またロイドをいじめてやがる」


 エディが後ろからそう言った。日常の事なのか、興味もなさそうに歩き出そうとする。よくある小競り合いなのかと思ったが、どうにも気になる。あれはきっと、殴り合いの喧嘩になるだろう。雰囲気で分かった。二人で冒険をしていた時に覚えた、敵意や殺気の動きを読む力。一対一ならまだしも、多対一では、灰色の髪の少年……ロイドが袋叩き似合うだろう。


「まって、エディ。僕ちょっと見てくる」


「うん? どうしたよリオ、ああいう喧嘩は怖がっていつも近づかないじゃないか」


 その言葉で、僕は日常に起こってただろうこの諍いを覚えていない理由に気付いた。……僕は、この村に居た時には、喧嘩や争い事からは逃げて回っていたからだ。幸いと言うかなんと言うか、神官を目指す僕は村の中ではそれなりに大事にされていたから、苛められる事もなかった。僕が苛められそうになったら、エディがそのいじめっ子をぶん殴ってたって言うのもあるけど。


 だから、きっと今日みたいに喧嘩を見かけてもそのまま通り過ぎて忘れていたのだろう。それに気が付いた瞬間、舌の根が苦くなるような後悔が胸を蝕んだ。……よくできた夢だ、と思った。冒険に出る前の僕も、神様に祈って、争い後のはいけないものだと判っていたのに、それを見ないふりをしていたのだと気付かされる。


 ……気付けば、ロイドを背に庇うようにして、トマスの前に立っていた。トマスの驚いたような顔を見る。この村で生まれ育った僕は、よく見おぼえがある。村長の息子で、身体が大きくて偉ぶるところがあったトマスは、子供の頃ちょっと怖い存在だったのを思い出す。


「なんだよリオ、どけよ。俺はそいつと話してるんだ」


「そうだぞ! 良い子ちゃんはあっち行けよ! また髪引っ張って泣かせるぞ!」


 トマスが邪魔そうに顎をしゃくれば、取り巻きも口々に僕に文句を投げかけてくる。確かに、村に居た頃の僕だったらそれだけで足が震えてたし、何も言えなくなってただろう。大声と多人数からの視線に晒されれば、普通はおびえる。でも、実際はどうってことなかった。

 現実では、僕はエディと一緒に魔王に立ち向かうくらいには冒険の経験を積んでいたから、トマス達の大声もキマイラの咆哮と比べてしまう。図太くなったものだなあ、と自分でちょっと笑えてしまった。


「何笑ってんだよお前。人さらいの息子の味方すんのかよ! どけって言ってんだろ!」


 その笑みが表に出てしまっていたのか、かっとなったトマスが僕の肩を強く押す。現実ならそれくらいではびくともしなかったけど、今の僕はまだ冒険を経験してない……言ってしまえばもやしっ子だった。ちょっとよろけてしまう。

 それでも、立ちなおす。仮にも世界を救った勇者のお供だ、これ位の諍いなんて何とかできないでどうするんだ。じっとトマスの目を見つめて、やめて、と一言だけ僕は言った。


「おいトマス、リオに何してんだ。人数集めて囲んでるだけでも恥ずかしいのに、更に弱い者いじめか?」


 様子を見ていたエディが僕の隣に立つ。爺ちゃんに鍛えられてるエディは村の少年たちの中でもひときわ体格が良いし、実際喧嘩も強い事が知れている。赤い瞳はトレードマークみたいなもので、(良く言えば)鋭い目つきで睨まれ、トマスの取り巻きもピタリと黙ってしまう。トマスは流石にリーダー格なだけあって、睨み返してくるけど……僕はそんな険悪なムードよりも、気になる事があった。


「トマス、人さらいって何のこと?」


「なんだよリオ、知らないのか? ……こいつの親父は俺がガキの頃、俺の事をさらって森の中にほっぽり出したんだ! お蔭で俺はオオカミの群れに襲われて死にかけたんだぞ!」


「!」


 初耳だ、思わず僕はロイドの方を振り返った。ロイドの灰色の目と僕の青い目がぶつかる。すると、ロイドは立ち上がって、怒りに燃えた目でトマスに食って掛かる。


「親父は人さらいじゃない……そんな事はしないッ! 取り消せ!!」


 僕を挟んで二人が言い争う形になれば、二人よりも背が低い僕としてはいい迷惑で。トマスの胸倉を掴むロイドの手を外そうとしても、僕は非力でそれも出来ない。トマスもトマスでロイドを馬鹿にする言葉を吐き続ける。


「ロイド、トマス、二人とも落ち着いて! エディ、見てないで助けて……って、痛っ!」


 トマスがロイドを殴ろうとした。でも丁度その時ロイドが避けて、僕がそれに振り回されるように動いてしまった。見えてたけど、夢の中の僕はまだまだ戦闘経験が足りないのか、それを避けられず、強かに顔を殴られてしまう。

 子供の拳だけど、僕も子供だ。拳がぶち当たった顔に熱が集まるような感覚。鼻からつつ、とその熱が漏れ出した。それを見てトマスもロイドも動きを止める。自分でそれに触れてみると、指が赤い。……なんだ、鼻血が出ただけか。

 僕を見てトマスもロイドも硬直した。その隙に何とか二人を引き離せば喧嘩は止まるか、そう思ったのだけど。


「トマスてめぇ!!」


「エディ、待っ……」


 トマスの横っ面を思いっきりエディが殴りつける。それを皮切りに、周りを囲んでた取り巻きまで飛び掛かってくれば、つかみ合うエディとトマス。その周りで僕とロイドが取り巻きと掴み合いの取っ組み合い。


 すぐに大人達が現れて仲裁してくれたけど、僕の服は袖が破られてるし、エディの目の周りには見事な痣。ついでにロイドも鼻血を吹いて擦り傷もこしらえた酷いありさまになってしまった。トマス達は村長の家に、僕達3人は、杖をつきながら迎えに来てくれたビル爺ちゃんに連れられて、家に帰る事になった。



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 ……エディってやっぱり血の気が多いな、なんて思いながら一緒に歩いてるロイドに顔を向けると、ロイドはじーっと僕の顔を見て、それからぷいっとそっぽを向いてしまった。破れた服の袖をハンカチ代わりに鼻血の後を拭いてから、どうしたの?と声をかけても、別に、と返されてしまって会話が終わる。

 気まずい沈黙を、剣を持つ者の心得なんて説教を受けてるエディの背中を見てやり過ごしていたら、今度はロイドから声をかけてきてくれた。


「……神官見習いって聞いてたから、喧嘩なんてしないかと思ってた」


 ロイドの言葉に僕は目を瞬かせる。それから、確かにね、と自分で笑ってしまった。事実、この村に居た10年前の僕は、暴力どころか、誰かの怒鳴り声だけで真っ青になってしまうような臆病な子供だったのだから。でも、この夢の中の僕は、冒険を乗り越えた後の僕だ。


「喧嘩はあんまり好きじゃあないよ。でもほら、ロイド君が囲まれてたし、あれはフェアじゃないって思って」


「……そっか、フェアじゃない、か」


 僕が言った言葉を何回か、あめ玉を転がすみたいに口の中でロイドはもてあそんだ。 それから、なんだか決まり悪そうに、でもちょっと笑って、


「ロイド、で良い。……その。庇ってくれて、ありがとう。……すまんな、これ」


 喧嘩してた時からは想像つかないくらい小さな声でロイドはそう言って、懐から塗り薬を取り出して僕に握らせた。これは?と首を傾げれば、少しだけロイドはきまり悪そうに、「顔に傷が残らないように塗っておいてくれ」と言った。

 ちょっと驚いたけど、現実では村を出てから十年の間、女の子扱いなんて無縁だったから照れ臭い。くすぐったさを誤魔化すように僕はわざとちょっと強めにロイドの背中を叩いた。


「痛い」


「助けて鼻血吹いた分は、これでおあいこ。だから気にしないで」


 そう言った僕を、今度は驚いたように見るロイド。そして、二人で同時に吹きだして笑ってしまった。それをビル爺ちゃんに気付かれて、歩きながらのお小言に僕達も巻き込まれることになった。

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