第2話 あるはじまり

 ……頬っぺたが涼しい。風が吹いてる。あれほど冷たくて重かった体には、何も感じない。僕を抱えるエディの腕の感触もない、痛みもない。……そっか、死ぬって結構、楽なもんなんだなあ…なんて思った。


「おい」


 まるで、まどろんでた時みたいに心が穏やかだ。村に居た頃は、よくこんな感じで風の吹く丘で昼寝をしてたっけ。


「おいこら」


 教会のお祈りから帰ったら、ビル爺ちゃんがいつもシチューを作ってくれてたっけ。 剣の修行でへとへとになったエディと肩を並べて、どっちが沢山食べれるか、なんて競争して、食べ方が汚い、なんてビル爺ちゃんに二人して叱られたのがつい昨日の事のように思い出せる。


 ……懐かしいなあ……もうしばらく村の事を思い出す事なんて無かったのに。思い出すと辛かったから。村もみんなも、ビル爺ちゃんも、あの日ゴブリンの軍勢に……


「起きろよリオ! このねぼすけ!!」


 突然頭に走った鈍痛に、閉じたままの視界に火花が散る。魔法の防護でトロルのこん棒でも平気な僕をぶん殴るなんて、まだ魔王が……!?と僕が慌てて身体を起こすと、勇者がそこに立っていた。


 夜明けみたいな金髪、燃えるような赤い瞳はそのままで、しかし、何でだろう、魔王と対峙していたときに着けていた鎧や兜は無く、僕の頭を叩いたろうものは、手製の木剣。そして、なんだか随分顔も体格も幼い感じに……。


「おう、起きたか。まったく、爺さんが探してたぞ? 飯時なのにまだ帰ってきてないってんでさ」


「……エディ?」


「んだよ」


「エディ?! 何でここにいるの?! 僕、さっき死んじゃったよね!? 魔王に殺されて……しかもエディ、子供になってる!?」


「うお!? な、なんだお前!? 死んだとか馬鹿言うなよ、昼寝してる間に死ぬわけないじゃねえか……というか、揺さぶるなよ! さっき爺さんに木剣でぶん殴られた頭が痛いんだから。」


「ご、ごめん」


 叱られて慌てて両手を離す。そこで気付いた。


「……え、あれ、腕がある……え? どういうことエディ、エディって回復魔法使えたっけ!?」


「お前、ホントどうしたよ。変な夢見て寝ぼけてるんじゃないか?」


 可哀そうな物を見る目を向けられて、僕も流石に一回口を閉じる。そして、冷静になる為に深呼吸をして辺りを見回した。魔王城の中で何度も見たよく分からない禍々しい彫刻は無い。青々とした葉が茂った木ならある。血が飛び散った魔王城の床……も、無い。柔らかくて春の匂いがする草の絨毯ならある。

 僕の両腕…ある。怪我一つないけど筋肉がほとんどない細い物。胸も薄くなっているし、旅の間に沢山負った傷の跡もない。杖やフレイルを振り回し慣れて固くなってしまっていた掌が白く柔らかいものに戻っている。顔をあげると、僕の黒髪も肩まで短くなっていた。


 そして、僕を見るエディの顔は目つきは悪いけど、澱んでなかった。国の人達に裏切られて、魔物を殺し続けて誰も信用できなくなってた、あの冷たい目じゃなかった。


「目つきは悪いけど」


「寝ぼけた奴に喧嘩売られたのは初めてだよ、リオ」


 ごちん、と頭に拳を落とされた。痛い。ただの拳だ、僕の魔法ならいくらエディでも痛みなんて……。


「……あれ、魔力が弱い?」


 エディと一緒に魔物を、人を、巨人や魔王だって倒した僕は、世界で誰よりも高位の僧侶だったはずだ。自惚れではなく、教皇様よりも強い魔力を持っていたはずだ。……それが、今僕の身体にめぐる魔力の量は、まるで……


「村を旅立つときと同じくらい……」


 その僕の呟きを聞いて、呆れを通り越して心配そうな顔だったエディは、にやっと子供っぽい顔に、夢たっぷりの笑みを浮かべて言った。


「旅に出る?何だよリオ、」


 まだ、汚れてないまっすぐな瞳で。


「やっと俺と一緒に、世界を救う旅に出る決心がついたのか?」


 風の吹く丘を振り返る。そこには、10年前に滅びたはずの僕の故郷が、在りし日のままの平和な風景が広がっていた。



―――――『優しい世界のあるきかた』

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