優しい世界のあるきかた

くーよん

序章

第1話 ある結末

 むかしむかし あるところに

 とてもつよい ゆうしゃがおりました

 かれは とてもつよくて ゆうかんで

 どんなこわいまものも たいじできました


 けれども つよいゆうしゃが

 まおうをたおしたとき

 まおうは こういいました


「わたしと おまえは おなじくらいに つよかった

 これで おまえは せかいで いちばんつよい

 でも これで おまえは ひとりぼっちだな」


  ――――王国に伝わる昔話



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 僕の腕が吹き飛んだ。


 手負いの魔王は、それでもその猛威を欠片も衰えさせる事はなく、守りの光壁を掲げた僕の腕ごと魔法を吹き飛ばす。血が舞い、魔王城の床を汚す。鮮烈な痛みが襲う。でも、こんな痛みはこの長い旅では何度もあった。

 ……僕と勇者の二人だけで戦い続けた冒険の旅。何度も死にかけて、何度も殺して僕達はここまで来たのだから、痛くても苦しくてもここで諦める訳にはいかない。

 獣の様な叫び声が聞こえる。僕の口からだ。痛みを堪えながら、残った腕に握ったフレイルを魔王に叩き込む。聖なる力を込めた一撃に魔王の顔が歪む。


 腕が千切れ腹が貫かれても、痛みで膝が崩れそうでも、この戦いだけは負けられない。この戦いにさえ勝てば、10年前に滅びた僕達の村から始まったこの旅も終わるのだ。……戦闘で麻痺した頭のどこかで、暢気だった頃の自分が呟く。エディと一緒に村を出た時には、転んだだけでも涙がこぼれる位だったのになあ、と。


 魔王が振るった腕が風の刃を発生させる。それを肌で感じて顔を傾けると、頬を裂いて風が抜けた。鮮血と共に、僕の長い黒髪が肩の高さでバッサリと断たれる。……子供の頃は、男の子にしか見られなかったなあ、なんて思い出す。十年前の記憶だ。もう戻れない過去だ。郷愁が僕に身体に力を呼び戻す。残りの魔力を搾り出して、光の盾を出現させる。


 光に目を焼かれた魔王が壁を爪で裂く。その一瞬の隙を突き、エディの剣が魔王の首を貫くのが見える。人とは違う金色の目から光が無くなり、空気が抜けるような音を口から漏らして、魔王は膝をついた。エディが、何かを叫んでる。魔王の首が刎ねられて、遠くに転がるのが見えた。


 ああ、これできっと世界は救われる。…ほっとしたら絞り出していた魔力も途切れた。エディが急に傾いた。違う、僕が倒れたんだ。

 体中が冷たくて、痛い。息を吸うのも、意識しないと難しい。駆け寄ったエディが僕の身体を抱え起こすけど、それだけで全身が軋みをあげる。エディが何か言ってるけど、よくわからない。回復魔法を唱えたいけど、言葉の代わりに、口から熱の塊がこぼれた。指先が冷たい。


 …あれ、腕はさっき取れてたのに、指先が冷たいなんて変なの。そんな事をぼんやり考えてたら、頬だけが温かくなった。お酒の一杯入った樽みたいに重い瞼をなんとか開くと、エディが僕の顔を見て泣いてた。


 意地っ張りで乱暴者で、でもまっすぐでとっても強い、僕の幼馴染が泣いてた。最後にエディの涙を見たのは、村をゴブリンが襲ってるのを見ながらも敵わずに逃げ出したあの夜以来だ。

 エディが何か言ってるけど、良く聞こえない。残った僕の手を握っていてくれているのに、僕にはもうそれも感じられない。


 …ああ、まだ死ねないのになあ、とエディの赤い瞳を見ながら思う。僕が死んだら、エディの隣に誰が立つと言うんだろう。悪い人を殺して、魔物も殺して…やっと世界を救ったのに、エディは一人になっちゃう。


 エディ、ごめん。……僕以外にも、エディを支えてくれる人がいればいいのに。


 ……世界を救った僕らを、救ってくれる人が、居ればいいのに。


 ……魔王を倒す為だけに、それに必要ないもの、全部切り捨ててきたのに。


 頑張ったのに、エディ……ごめん、僕が、一緒にいてあげられなくて。



 その言葉は結局、喉に詰まった血が邪魔で最後まで言えなかった。



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 今でも、旅立ちの日の事は思い出せる。その年の秋は裏の畑のイモも豊作で、今年の冬は不自由なく越せるだろうと大人たちが話してたのを覚えている。豊作の年には村で祭りが行われ、その時ばかりは街からの観光客も増えて、賑やかになる。

 僕はその祭りが待ち遠しくて、その日は、エディと一緒に教会の入り口にかける花飾りを夜中までかかって作っていた。エディが作った花飾りの色が僕の瞳と同じ青だって事まで鮮明だ。


 突然、外で叫び声がした。それから遅れて大人たちの大声、教会の鐘の音。生まれて初めて聞いたそれに僕とエディは何事かと外に出ようとしたけど、僕を育ててくれたビル爺ちゃんが、僕達に家に居るように言って飛び出していった。

 そんな慌てている爺ちゃんを見るのは初めてだったから、僕は何が何だか分からないまま震えてた。エディが一緒に居てくれてよかったと思った。


 いくらも時間がかからないうちに爺ちゃんが戻って来た。足の悪い爺ちゃんは、壁に飾ってあった剣を掴んでから僕達を家の地下蔵に押し込めた。爺ちゃんは扉を閉める前に、何があっても外に出るなと叫んだ。僕達が悪戯をした時も、どんな時でも大声なんて出さなかった爺ちゃんに怒鳴られて、僕達は、爺ちゃんが扉を閉めるのを見ていることしかできなかった。


 真っ暗な土蔵の中で、僕はエディに抱き着いて震えてた。エディもきっと怖かっただろうけど、僕をなだめるように僕の手を握っててくれた。

 ……それから暫くして、爺ちゃんの声が聞こえた。扉の向こうで爺ちゃんが怒鳴ってる。それに答えたのは、耳障りな叫び声だった。エディが小さな声で、ゴブリンだ、って言ったのが聞こえた。


 僕は見た事が無かったけど、エディのやってる牧場には時々現れて、牛を盗んだりすることがあると聞いていた。子供向けの図鑑にかいてある姿は頭が大きくてひょうきんなイメージだったけど、扉の向こうで叫ぶ声はそんな想像を覆して余りある位獰猛だった。


 爺ちゃんの声と、金属と金属がぶつかる音。ゴブリンの声が増えるのが分かる。エディが土蔵から出ようとしたけど、僕が止めた。ビル爺ちゃんの言いつけを守りたかったとかじゃなくて、あの時はただ怖くて一人になりたくなかったから止めた。

 ……あの時エディを止めずに僕も勇気を出して飛び出してれば、もしかするとビル爺ちゃんも生きてたかもしれないのに、僕は止めてしまった。そのまま、ビル爺ちゃんの声もゴブリンの声も聞こえなくなるまで、ただただ震えながら土蔵の中に居た。



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 ……爺ちゃんは戻ってこなかった、開けても良いという許しも無かった。でも、土蔵の扉の隙間から日が差す事で、夜が明けたんだって分かった。エディがそっと耳を清ませてから、扉を少しだけ開けた。すると、何かの重みで扉が押し開けられて、エディと一緒に土蔵の中に転がった。

 それは、爺ちゃんだった。血塗れの顔の中、何かを睨むようにしてカッと目を見開いたまま、爺ちゃんは死んでいた。爺ちゃんはずっと、扉の向こうに居たんだ。右手には、曲がって折れた剣が握られたままだった。


 僕はそれを見ても、何が起こったのかが分からなくて爺ちゃんの名前を呼んだ。でも、爺ちゃんは起き上がらなかったし、僕の名前を呼んでくれなかった。触れた頬は、まだ少し暖かった気がしたのに。……あの時、爺ちゃんの死が理解できなかったことは、今になって思うと、良かったのかもしれない。理解してたら多分、あそこから動けなくなってただろうから。


 そうしている僕の腕をエディが引っ張って立たせる。エディは真っ蒼な顔で、それでも爺ちゃんの手から折れた剣をとって、土蔵の外に出ていく。そこは、昨日の夜と同じ場所なのに、全然違う場所みたいになってしまっていた。


 窓は割れ、扉は壊されて、酷く生臭い臭いが立ち込めていた。誰かが倒れているのが見えて僕がそっちに向かおうとしたらエディが止めた。……ゴブリンの死体だったんだって、あとでエディが言っていた。でも、その頃には僕も何が起こっているか分かり始めていた。


 僕達が外に出ると、村の様子も一変してしまっていた。僕の家はまだマシな方で、焼け落ちてしまっていたり、壁に血の跡が残っていたり。折れたクワや鎌には血がこびりついていて、なにかを傷つけた跡がそこかしこに残っていた。


 村長の家、秘密基地にしてた粉ひき小屋、いつもふわふわなパンを焼いてくれてたパン屋さん。どこを探しても、誰も居なかった。みんな逃げてしまったのだろうか、と思った。最後に入ったエディの家で、そうじゃないって気づいてしまった。


 エディの家には、ゴブリンが居た。ゴブリンが三匹、何かを食べていた。口の周りを真っ赤に濡らしたまま、白い肉にかぶりついてた。……エディが、妹の名前を叫ばなかったら僕はきっと、それが何か気付かないままだっただろう。でも、僕はそれで気付いてしまった。

 ゴブリン達の足元に、エディの妹のトルテちゃんのお気に入りのリボンと、エディに似たキラキラした髪が生えた丸い物が転がってる事に。


 そこからはあんまり記憶がはっきりしない。エディが僕を引っ張って逃げ出したのか、ゴブリンに飛び掛かったエディを僕が無理矢理引きはがして逃げたのか。気付けば、僕達は夜の森の中を歩いていた。その道は僕はよく知っていた。教会の祭事で神父様と一緒に何度も来た道だった。


 村の守り神様の洞窟に続く道。なにかあったらそこに行きなさい、と村の子供達が教えられていた場所。そこに行けば、逃げ切った皆がきっといるのだと信じていた。実際には、僕達二人以外は誰も辿り着いて居なかったけれど。


 洞窟の中には小さな女神様の像があった。僕や神父様は、週に一度そこでお祈りを捧げていた。優しい顔をしたその女神様の像を見て、僕とエディは泣いていた。どれだけ祈りを捧げても、僕達の村はゴブリンに壊されてしまったのだから。


 僕達の後ろでゴブリンの声がした。振り返ると、何匹かのゴブリンが洞窟に入ってこようとしている。疲れ果てていた僕達では迎え撃つことも出来ず、ああ、ここで死ぬんだと思った。けど、そんな時だった。どこからか女の人の声が聞こえて、僕達は真っ白い光に包まれた。



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 それが僕達の旅の始まり。光の中で出会った女神様に、エディは世界を滅ぼそうとするものに対抗する力を、僕は勇者を補佐する力を与えられて、魔王を倒す旅の始まり。


 その結果が、……その結果が、死と孤独なんて、そんなの悲しすぎるじゃないか。


「……もう一度、やり直せたら」


 きっと、違う結末に……そう僕は、願った。

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