Home Coming

Fulldrive

Home Coming


 日々を無意義に生きることは悪いことではないと僕は思う。

 変に拗らせて空回りして結局振り出しに戻ったり、更に下層に落ちるよりは最低限の事以外何もせず時流に身を任せてただ流される生活も別に構わないはずだ。

 だが18年生きてみて分かったが、世界はそのような日々の営み方を是としてくれないようだ。現に僕は今高校三年生になって進路について書け、という作文(全員提出)を前にして筆があたかも凍りついたかのように完全に止まってしまっている。

 (教師曰く、普段お前はサボってるくせに模試の成績は良いから腹が立つだそうだ)因みにそんな僕の成績は中の下ぐらいで別に難関校でない限り、大抵の私立大学は受けれるといった感じである。よくそれで同級生達から羨ましがられるのだが、そもそも将来のプランを全く考えていない僕からしてみれば、ぶっちゃけ何がそんなに羨ましいのかさっぱり分からなかった。


 個人の意見を述べさせてもらうと、絶対に大学に行かなければ幸せになれないなんてことは無い。何なら大学に入らなければ就けない職に就きたいのでなければ、行く必要なんて無い。もっと言えば大学というものは学問をする所であって資格をとり、職に就くのは二の次である筈だ。そこらへんをどうやら彼らは、この国で生活を営んでいる人は勘違いしているらしい。

 人の幸福なんて千差万別であるのだから、わざわざ成功した人の例を上げて「取り敢えず大学出ておければ大丈夫だから」と言ってくる人は個人的には好感を抱けない。相手は気遣いのつもりなんだろうが、こちらからしてみれば余計なお世話であって他人の心配をするくらいなら虚報に踊らされてそうな自分の身を心配しろと言いたいくらいである。


 手にしたシャープペンシルをくるり、と手の中で回す。この行為が癖になっている人は試験中に問題に行き詰まったらくるくる回そうとするが、逆にそれはペンを回すことに集中してしまう為、かえって問題が解けなくなるらしい。

 何度か回しているとうっかり手を滑らせ、シャープペンシルが破廉恥な音をたて床に転がる。


「ださ」


 物好きな幼馴染みは僕のみっともなさを嘲笑いながらも自ら足元に転がり込んできた僕のシャープペンシルを覗き込む要領でひょいと拾い上げ「はい」と僕に手渡してくれた。申し訳ないと告げると別にいいよと彼女はにっこり笑って言った。

 彼女は物好きである。どれくらい物好きかというとこんな僕に恋人として付き合ってくれているからである。自分で言うのも何だかクラスで浮いているくらい何考えているかわからない野郎を理解して、好いてくれるのは恐らく世界中探しても彼女だけであろう。


 彼女との関係は小学生の頃にまで遡る。

 彼女とはお隣さんということもあって小さい頃からずっと一緒に遊んでいた。親同士の仲も良かった。

 今は離婚したが当時はまだ同居していた僕の両親は毎晩と言っていいほど口喧嘩をしていた。お互い手を出さなかったあたり、ニュースとかで見るやつよりは遥かにマシだったがまだ幼かった僕が怖れを抱くには十分な程迫力がある盛大な口喧嘩であった。しかし、僕は次第にそれにも慣れていき(見ても何も感じなくなったから恐らくそうなのだろう)、口喧嘩が始まってもまたやってんのか程度にしか認識していなかった。

 ところが高校受験を控えたある日の出来事である。僕はいつもどおり学校から帰宅し、ただいまと玄関で言った。でも家の中からはすすり泣く声しか聞こえず、とてもではないがおかえりと聴き取ることはできなかった。夕飯の時母は僕に言った。お父さんとはもう会えないのよ、と。

 気がついた時には僕は訳のわからない事を叫びながら家を飛び出していた。母は追わなかった。多分、追う権利が無いと思ってたからだと思う。


――そしてその夜、母も僕の前から姿を消した。


 僕は一人、誰もいない自分の家の前で途方に暮れていた。行く宛が無かった。友人の家に転がり込んだところで友人の家族に迷惑がかかることなんて見え見えだった。働く事も考えた。でも何一つ取り柄の無い自分に何ができるだろうと、一人でそんなことを考えていた。

 寒さによる身体の震えが小さくなってきて、徐々に眠気が出てきた。そうだ、いっそこのまま凍死してしまえば…――。


「何してんの?」


 突然、頭上から降ってきた言葉に思わず僕は顔を上げた。そこにはニット帽とマフラーをつけ真っ赤な頬をした幼馴染みの姿であった。塾の帰りだろうか、背中に重そうな鞄を背負っていた。

 話してみ、と言わてたのでかくかくしかじか、己の身に起きた出来事を出来るだけ感情的にならないように淡々と彼女に伝えた。

 すると、彼女はこう言った。


「じゃあウチに来れば?」


 初めは勿論断った。しかし彼女の両親にも勧められ最終的に食事だけ提供してもらう形になった。そうなった理由としてはどうやら出て行った父が置いていかれる僕を哀れんだのか、三年間は学校に通えるだけの生活費を置いていったからである。

 こうして事実上、幼馴染みの家が僕にとって帰る場所になったのである。


 と、まあそんな訳で今日に至る。



 何とか嘘に嘘を重ね、作文をでっち上げ教師に提出してから彼女と共に学校を出た。


「今日はからあげだって」


 夕飯の話だろうか、彼女は唐突にそんなことを言ってきた。それ、言う意味ある?と聞くと彼女は「大アリ」と答えた。

 

「その方が恋人っぽいでしょ?」


 多分、彼女は僕に食べに来るか?と問うてるのだろう。

 因みに彼女は非常識な人間ではない。これも冗談として言っているだけで彼女も世の恋人が全て同棲してるだなんてこれっぽっちも思ってないに違いない。逆にそんな勘違いしてたら怖いし、恋愛小説の読み過ぎだと指摘してやりたい気分である。…いや恋愛小説でも同棲描写って少なくなかろうか。


 冷蔵庫にたんまり買い置きしたのがの残ってるから今日は家で自分で作るよ、と言うと「あっそ」と素っ気無く彼女は返した。

 お互いの家の前に着くと彼女はこっちを見てニカッと笑った。


「前にも言ったけど、いつでもウチに来てもいいからね。私ん家はたっくんにとっての灯台みたいなモノだから。たっくんがどんな時でも何処にいたとしても、たっくんにとっての帰れる場所だから。…それだけは、忘れないでね」


じゃね、と言って彼女は家の中に消えていく。僕は合鍵を取り出し、誰もいない自分の家の鍵を開ける。


「なんだ…そりゃ」


 思わずそう呟いて、僕は扉を閉めた。














 歩けども、歩けども果てしない砂の丘。

 踏み込む毎に砂が沈み込む感覚と靴裏越しに伝わる火傷しそうな程の砂の熱は未だに慣れない。

 いつか地球の全ての土地がこうなるのかな、と思いながら腰につけた水筒の水を飲む。カラッとした空気が頬を撫でる度、己が今ここに居るということを実感させられる。


 卒業後、特に何もしたいことが無かった僕は日本を飛び出して世界中を放浪し始めた。色んな国に行き、色んな人と出会った。そして色んな事を知った。

 

 そんなある日のこと、僕は国土の3分の2以上が砂漠の国に居た。その日は特に日差しがきつい日だった。


「Merci pour votre gentillesse.」


「Prends soin de toi.」

 

 宿主に礼を言い、僕が再び砂漠に歩き始めた時だ。何やら三人程の少年が一人の少女を囲んでいじめているらしい。ほっとけず僕は何とか少年達を撃退した。


 もう大丈夫だよ、と少女に言うと少女は不審な目を向けた。


「貴方は誰?何者なの?」


 容姿からして放浪している人間に対して“何者か”と問うのか。さて、僕は何と名乗ろうか少し考えた。結論としては、


「僕はヒーローさ。正義の味方ってやつさ」


と答えた。流石にジョークだと気づいたのか(日本人はジョークを真に受けてしまう人が多いから僕自身日本人ではあるが苦手だ)少女はクスッと笑い、わざとらしい高圧的な表情を作った。


「あらあら。随分とまぁみすぼらしい正義の味方ですこと」


「その方がヒーローっぽいだろ?」


 そして、二人で笑いあった。すっかり意気投合した僕達は日陰に腰を下ろしてお互いの話をした。始めこそ些細な話ばかりだったが幼馴染みの話になった途端、少女は唐突にこんなことを聞いてきた。


「ねえ。貴方って《帰れる場所》はあるの?」


 あるよ。母国である日本さ、と言うと彼女は「違う」と言った。


「それはただの場所。私が聞いてるのは《“本当の意味”で帰れる場所》よ」


 僕は首を傾げた。《“本当の意味”で帰れる場所》だって?理解できなかった。

 少女はわざとらしい程大きくため息をついた。そして僕に侮蔑の視線を向けた。


「ほんと、貴方って幸せ者ね。いいわね、《“本当の意味”で帰れる場所》があって。私にはそれが無いから羨ましいわ」


 君にとってこの村はそうではないのか、と聞くと彼女は鼻で笑った。視線が親しい人に向けるような暖かいものではなく、明確な敵意が籠もったものに変わっていた。


「ここは私が“生まれ育った”という事実があるだけで私にとっての《“本当の意味”で帰れる場所》じゃない。じゃあ聞くけど、戦場で生まれた人間にとって帰れる場所が必ず戦場になるの?ならないでしょ?つまりそういうことよ」


 僕が呆気にとられていると、彼女は突き放すように言った。明らかな侮蔑をこれでもかという程籠めて。


「まあ、いずれ分かるわ。そうなった時の貴方の顔が楽しみね。二度と会うことはないだろうけど」


 僕は何も言い返せなかった。












――数ヶ月後、僕は帰国した。


 空港のロビーに降り立つと、一人の女性が目の前に立っていた。やあ、久しぶりと声をかけると女性は手にしたスマートフォンから顔を上げ、僕の姿を認めると昔のままの暖かい笑みを浮かべた。


 よく着く時間まで分かったね、というと「オンナの勘」と彼女はにやりと笑いながら言った。すぐにいつものハッタリと分かったのでちょっと乗ってやることにした。


「そうか、勘か。だったら奇遇だね。僕がこの間送った手紙に入れておいたネックレスと全く同じものを君が持ってるなんてね」


 彼女の首にかかっているダイヤの原石を加工したネックレスを見ながら僕がそう言うと彼女はますます笑みを深めた。


「おー。そんな偶然もあるんだね〜」


「あれはオーダーメイドだから世界に一つしかない筈なんだけどね。フシギだね」

 

 そして二人で大声で笑った。

 実は帰国する前に僕は先程述べた手紙を彼女に送っていたのだ。ネックレスをしている時点で開封し、中身に目を通したのは確実である。だが彼女はただ会うだけではつまらないと考えたのだろう、わざと冗談を言うことで少しでも昔どおりのやり取りをしたいと思ったのだろう。…あくまで推測だが。


「今日はウチの実家に泊まる?たっくんが帰ってくるって聞いてウチの親張り切ってるんだけど」


 そうさせてもらうよ、と言うと彼女はますます嬉しそうな顔になった。彼女が僕の腕に抱き着いてくる。見違える程女性らしくなった恋人の感触はとても懐かしく、暖かいものだった。


「たっくん。おかえり」


「うん。ただいま」




 だけど、僕は依然として答えを見つけられなかった。



   




 

 




 





―――これは懺悔だ。











 ある棺の前に一人の初老の男が立っていた。男はじっと中に入っている防腐処置が施された死体を見ていた。

 男にとってその死体は大切なものであった。いつも側に寄り添い、励まし、誰よりも味方になってくれた人物であった。

 

 そして何よりも、どんなに時が経ってもどれだけ遠く離れ離れになっても自分のことをずっと待っててくれた人であった。

 そこまで再認識したところで男は酷く動揺した。彼の脳裏にはかつてとある場所でしたやり取りがよぎっていた。



――そうか。そういうことだったのか。



 男は自ら愚かさを嘆いた。呪った。憎んだ。無意識の内に両目から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。

 再び棺の中を覗き、中の死体を見る。


『私ん家はたっくんにとっての灯台みたいなモノだから。たっくんがどんな時でも何処にいたとしても、たっくんにとっての帰れる場所だから。…それだけは、忘れないでね』

 

 あの時の幼馴染みの声が蘇る。

 走馬灯のように彼女との思い出が浮かんでは消えていく。男の口からはいつの間にか嗚咽が漏れていた。

 膝から力が抜け、ずるずると沈み込み正座の姿勢になる。


――分かったよ。僕にとっての《“本当の意味”で帰れる場所》。


 でも遅かった。気づくのが遅すぎた。  

 男は気づいていた。自分はいつも遅すぎると。両親の喧嘩の理由を知ったのも、二人が別れた後であった。両親は頑なに主張を曲げない人達であった。それゆえ、彼らは当時まだ幼かった男の将来に関して意見が割れ、対立し、互いを信じられなくなりあそこまで至ってしまったのだ。


 そして、今度は《“本当の意味”で帰れる場所》を喪った。幼馴染みという最大の理解者を、男は知らず知らずの内に無下にして喪ってしまったのだ。


 男は声を上げて泣いた。涙を拭うことすら忘れ長い間ひたすら泣き続けた。そこで男は生まれてこの方自分は物心ついてからこうやって泣いた事は無かったことに気づいた。

 本当に僕って鈍感だな、と男は自嘲気味に笑い立ち上がった。


「すぐ追いつくから。悪いけどもう少しだけ待っててくれるかな。大丈夫、もう寂しい思いは絶対にさせない」


 棺の中の死体に向かって男は力強くそう言い、男は部屋から出て行った。




 




――その瞳からは既に涙は消えていた。




















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