光は無慈悲な冴えたやりかた
「あのさ……」
走りながら、僕はある疑惑をタイターにぶつけた。
「この歴史を変える騒動の発端ってさ、タイターさんが起こしたのでは?」
「へ?」
並走するタイターは、ピンとも来ないようだ。
「 君の説なら、壁の落書きを〈グラフィティ〉って呼び、芸術のジャンルになったのは一九七〇年代から。それで間違いないよな」
「はい」
「じゃあ、ルパンが撒いた噂にある、〈グラフィティ〉って言葉。あれは何処から、この時代、一九〇七年に突然沸いてきたんだよ」
六十年後の言葉そのものが、今日に降って沸いたように現れるはずがない。
「え?」
「ここからは私の推理だ。『はっ、また喋りすぎたっ!』って言っていたよな。タイターの口の軽さが、この一回切りじゃない可能性を示唆してる。調査中にルパンに会った可能性があり、『最初のグラフィティじゃないかって期待してた』となると、ストリートアートの未来についてめったやたらに話している可能性があるんじゃないか? そして、ルパンはそれからこの犯罪計画を着想した。どうだ」
可能性の可能性の可能性。
喋りながらも『どこが、推理だ』と心の中のリトル・ワトソンがツッコミを入れている。
ホームズが聞いたら、私に罵詈雑言浴びせながら卒倒しそうな話だと承知しているが……。
「まさか……」
まさか、と言うタイターの顔には、“やってしまった”という文字と脂汗が浮かんだ。思い当たる節があるのだろう。出鱈目な思い付きも言ってみるもんだ。
「始末書もんだなぁ」
弱々しい声がタイターの口から出た。
「どうすんの」
「一応、対処法が有るんですよ。あとで披露します。はぁ」
ため息をつきながら、彼は歩を速めた。
■
汽笛が響いていた。
フランスに向かう客船は、既に出ていたようだ。港で私達は、小さくなっていく客船を眺めていていた。
「間に合わなかったか……」
「いや、待ってください。あの姿!」
タイターが気づき指を差す。そこには短編〈最後の一葉〉に登場していた、ジョンジーの姿があった。
そして、ジョンジーの足元にある木箱に、煉瓦が入っていた。そして、そこに描かれた〈最後の一葉〉も。ロンドンを出発する時に、こんな形でお目にかかるとは思いもしなかった。
「あの……すみません、──」
恐る恐る、グラフィティ〈最後の一葉〉について聞いてみる。
ジョンジーは、遠い海を眺めながら、こう言った。
「ルパンさんです。彼が私に、預けてくれました」
■
「なぜ──」
なぜ、彼は狡猾に盗んだ〈最後の一葉〉を手放すのか?
「ルパンさんは、この作品は、話題になっているが、かなり稚拙な作品だと仰ってました。下手そのもの、盗むものでもない、と」
西日を浴びるジョンジーの顔は、寂しげだった。あの大泥棒は、美術鑑定のプロでもある。彼が言うからには本当だろう。周到に準備をして、いざ盗もうと足場に登りまじまじ観察した時、大した作品ではないと気づいた。
「それならば、本来あるべきところに戻すべきだと。そう感じて、私に託したようです」
さすが、怪盗紳士。キザなことをする。
もう一度、私は、木箱に収まる〈最後の一葉〉を観る。
ついにしっかり観れた。しかし、散々この絵に振り回されたのにも関わらず、『ロンドンで想像するものより、ずっと拙いタッチだ』と冷めた感想しか浮かばなかった。
■
青年ライトはあまりの恥ずかしさに顔を伏せた。
後々に港へと追い付いた彼は、ジョンジーの話を聞いて、自分の行為を恥じていた。絵の本来の価値も見抜けず、ただ浮かれるように金に目が眩み、ルパンに操られた自分を恥じていた。
私はジョンジーに、この単純な青年が、何をしようとしていたか顛末を話した。すると──。
「変なの」
と、ジョンジーはふふっと笑う。
しかし、鞄から、小さなキャンパスを出した。
「なら、この一枚を、あげますよ」
「これは、ベアマンさんの習作……?」
古いキャンパスに、描かれた〈最後の一葉〉の習作だった。そりゃ、そうだ。練習もなしに一世一代の絵を描く訳がない。
「す、凄い……」
「今のうちだったら価値ありますよ」
ジョンジーはこともなげに言う。
「なぜこんなものを俺に」
ライトは目を輝かせる。私も動揺しつつ、ジョンジーを制止する。
「良いんですか? ただの貧乏青年ですよ。何なら、強盗に手を染めようとした」
しかし、彼女は清々しい表情で言いのけた。
「自暴自棄になれば、誰だって変なことを言い出します」
肺炎を患った頃の自分を重ねているのか、照れたように彼女は笑った。
そして、言葉を紡ぐ。
「画家を目指していながら、こんなことを言うのは変ですが、絵そのものはどうでも良いんです」
「どうでも良い?」
ええ、と海風でなびく髪をかきあげる。
「描くこと、創作すること、そして、創作物が誰かの目に触れて、その人がまた新しい物語を紡いでくれること。それが大事だと思ってます」
今は亡きベアマンを想ってなのか、彼女は遠くの海を望む。
「ベアマンさんの〈最後の一葉〉のおかげで、今こうやって、私達が新たな物語を紡いでいるように」
■
「まぁ、ルパンの受け売り、ですけどね」
ジョンジーは、あまりにあっけらかんとしていて、何とも言いがたい気持ちになった。
「くそ、彼はまた盗んでいったようですね」
私は、ルパンが乗っているであろう客船を目で追う。
「いいえ、彼は何も盗んでいませんわ」
ジョンジーはルパンを庇うように言う。
「いや、奴はとんでもないものを盗みました。
──汽笛が一際大きく、響いた。
■
豪華客船、二代目アドリアティック号。
私の旅も、終わりを告げる。
自由の女神に見送られながら、船内の客室でこの回顧録を書いている。今回の冒険ほど特別な経験はない、良い土産話になるだろう。事実とするならば荒唐無稽で、想像ならば阿保臭い。
ホームズは、これを読んでどんな顔をするだろうか、心配な反面、楽しみだ。
客室の扉をノックする音がする。
「どうぞ」
「失礼致します」
客室の扉に目を向けると、タイターが入っていた。
「なんだ。同じ船なのか」
祭りが終わった寂しさを感じていたので、少し嬉しかった。私ははにかむ。一方、申し訳なさそうな顔をタイターはしている。右手には何やらペンのようなモノが。
「いえいえ、ロンドンに向かう為ではありません、事後処理ですよ。あのとき言っていた対処法がこれです」
「そのペンは何だよ」
私は問う。
「エレクトロバイオメカニカルニュートラルトランスミッティングゼロシナプスレポジショナーです」
「はぁ?」
「だから、エレクトロバイオメカニカルニュートラルトランスミッティングゼロシナプスレポジショナーです」
「はぁ? え、え?」
「え、知らないんですか? 映画〈メン・イン・ブラック〉観てないんですか? 面白いのに。あ、まだ製作してないか。まぁ、ざっくり説明すれば、都合の悪い記憶を消す装置です。はい、注目!」
タイターはサングラスを掛けた。ペンから強い光が放たれる。なるほど、最初から無かったことにするのか。未来の技術は豪快だ。
眩しい光に、視界がどんどん白んで見えなくなる。
たぶん、〈最後の一葉〉を巡る一連の狂騒は、タイターによって、すべて忘れ去られていくのだろう。
僕も、ルパンも、ジョンジーも。
そして最後に、オー・ヘンリーの短編だけが未来に残る。そんな思考の連なりも、浮かんでは眩い光に塗り潰される。
よくよく考えれば、あの完璧な短編に、寄って集って他人が紡ぐ物語など、要らないとも思う。ええい、ままよ、なるようになれ。
記憶に射した逆光で、ニューヨークで出会った風景が、人々が、出来事が、輪郭を消す。
どんどん光が強くなる。眩しい光が、私を包む。白む。消える。旅が、夢が、終わる。
■END■
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