私の獲物は、良い魔法使いが高い壁のてっぺんに描き入れた宝物。どうか、このドロボーめに盗まれてやって下さい
「めちゃめちゃ速いな、若さにゃ負けるな」
「未来人も運動苦手なんです」
私達は走り、息を切らしながら会話をする。向かったのは、グリニッジ・ヴィレッジの〈最後の一葉〉があるアパートだ。
足場を解体していた作業員に、私は声を掛ける。
「なぁ、君! 〈最後の一葉〉は何処だ?」
「あぁ、見てのとおり、取り外し作業は終わったんで、大家さんに引き渡しましたよ。徒歩で美術商のもとへ持っていくそうです」
「どっちへ?」
肩で息しながら聞く。膝に手を置いて、ぜーぜーと息を整えながら、年老いたことを実感する。
「あっち」
「ライトは?」
誰だと聞いたから、今にも〈最後の一葉〉を泥棒しそうな奴だ、と答えた。
「泥棒だって? なんだ、びっくりした。あの若い奴ですか。この通りをまっすぐ。大家さんが向かった方へ」
■
言われた方へ走ってみれば、二人の人影が言い争っていた。大家とライトだ。
「〈最後の一葉〉が、なんでねぇんだよ!」
ライトは、唾を飛ばして叫んだ。間を置かず大家もこう言った。
「知らねぇよ、てめぇが関係してんじゃねえのか?」
「はあ?」
私は二人の間に分け入り、たしなめる。〈最後の一葉〉が無いだって?
「ライト、もう止めろ」
とりあえず事態を把握しようと、青年ライトの顔を伺うが、困惑した表情を返してきた。
「ワトソンさん、見てみろよ」
「へ?」
青年ライトは、台車の上の〈最後の一葉〉が入っている木箱に手を掛ける。開けると、そこは空っぽだった。
なんでだよ。全員が頭にクエスチョンマークを浮かべる。
「これは、何だ」
私は台車に挟まる一枚の紙片に気づき、それを引き剥がした。
ずいぶん前からついてるで、と大家が呟くが、未来から来た男は、紙を覗き込みはっと息を飲んだ。
「フランス語だから、読めなかったのか」
■
最後の一葉、頂戴致します。
──アルセーヌ・ルパン。
■
全員が目を見開き、事の重大さに気づく。
「やられたっ!」
アルセーヌ・ルパン。
一九〇五年、伝記作家モーリス・ルブランによって世に知らしめられた、神出鬼没の怪盗紳士。まさか、こんなところに。
「いつ盗まれたんだ?」
「馬鹿言うな。ずっと一人で大切に運んでんだ。あの狂騒で、こいつも危ねぇと思ったから作業員にとっとと外してもらったら、箱も開けずにここまで急いで来たんだよ」
電光が脊椎を走るような着想を、私は授かった。
「違う──」
──泥棒だって? なんだ、びっくりした。あの若い奴ですか。
あれは、自分のことを問われたと思って、驚いたのか。
「作業員だ。絵を取り外していた作業員がルパンなんだよ」
「そんなはずは……」
信じられないと首をかしげる大家。
「馬鹿野郎っ、あれがルパンだ!」
大家さんを叱りつけ、無駄だと思いつつも、アパートへ走るが──。
「居ないっ!」
今度は請け負ったという工務店に、走るが──。
「居ないっ!」
もぬけの殻、というより、そもそも店舗など無かったかのようだ。
あの大家は騙された。手際の良さと大胆さ、今まで挑んだ事件と比べても見事だった。
■
後によくよく調べてみれば、すべて嘘っぱちだった。
五枚の蔦の葉を巡って、ベアマン作品への狂騒が始まれば、〈最後の一葉〉もなおさら注目を浴びる。狙おうなんて考える貧乏青年が現れる。現に、ライトがそうだ。
芸術の保護だ、盗まれるかも、高値で売り飛ばすなら今だ、なんて大家さんの危機感を煽って、結局はルパンが〈最後の一葉〉を大家さんの前で堂々と盗んでいったのだ。
■
タイターは言った。
「未来ではこういう時は、盗難美術品をすぐにでも国外に逃がすんです、警察が動く前に、根城のフランスに逃げこむのでは?」
「よし、港に向かうぞ」
私はタイターと、港に向かう。今日は走ってばかりだ。兵役の頃にやった古傷が気になる。
「ちょっと待ってくれよ」
ライトは唐突な展開に疲れたのか、へたりこんでいる。若い奴も意外に軟弱だ、置いておく。そもそも、この旅は、私が〈最後の一葉〉を観る為の旅なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます