未来から来た男
パストラミサンドに、不意に誰かの影が掛かった。
「それ、詳しく教えて貰えないですか?」
スーツ姿の物腰柔らかそうな男が、立ち聞いていた。彼の丸眼鏡がキラリと光り、どこか、へらへらした表情をしている。
彼の持つトレーにも、パストラミサンドが乗っている。
「誰っすか?」
青年ライトとも、面識は無いらしい。
「ある調査をしてるんですよ」
男は名刺を差し出してきた。
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━━ジョン・タイター・Jr
いたって真面目に、彼は宣言した。
「あの絵画〈最後の一葉〉を巡る狂騒は、在るべき歴史から逸脱してしまっています」
青年ライトと、私は、顔を見合わせた。
また変な人間が増えたよ。
「タイムパトロール? 未来人って訳か。名刺一枚で、信じろって言うのか?」
タイターはパストラミサンドを一口頬張ってから言った。
「いえ、べつに期待してませんよ」
タイターは平然としている。
「ただ、あなた達、物書きなら、H・G・ヴェルヌ知ってるでしょ。一八九五年に発表された『タイムマシン』の」
「もちろん」
「ということは、そういうことです」
「うん?」
私は、首を傾げた。タイターは作り物めいた微笑みを返す。
「『人が想像できることは、実現できる』ってことですよ。ヴェルヌがそう言ってたでしょう?」
あまりに自然に言いのけるから、素直に信じてしまいそうになる。
工作員タイターは、言葉を続けた。
「僕は、MIB機関の中でも、芸術保護を目的とした工作員であり、そして、研究者でもあります。これは異常事態なんですよ。ニューヨークの未来が明後日の方に向かってます。歴史を修正しなければ」
■
近所のパン屋の看板娘、曰く──。
「なんて素敵な逸話を持つ、絵なのでしょう。ベアマンさんには広告の絵を発注したのですが、今では大事に飾ってますよ。ほら、一筆一筆のタッチが雄弁と、ベアマンさんの勇敢さと優しさを表現していると思いませんか?」
評論家、曰く──。
「壁を剥いで売却? 場所も含めて、ストリートアートでしょう。技量、場所、書かれた経緯。全て含めてあの傑作が生まれた訳だが、今のベアマン氏の芸術、〈最初の五葉〉を巡る狂騒は、甚だ滑稽だ」
あるストリートアーティスト、曰く──。
「蔦の葉をアイコンにしたグラフィティアーティスト? 確かに昔からちらほら有ったな。だが、もうありゃ壁に描かれた金だ。俺ら底辺アーティストと違って、話題になったら違法行為もチャラになるんだ。死んじまったから、本人に文句言えねぇけどな」
美術館関係者、曰く──。
「街中の落書きは、原則的に違法行為だ。グラフィティが芸術と認められるには高い高いハードルがある。触りづらい社会風刺や、眉を潜めたくなる尖った表現ばかりのこの業界で、心温まる物語のある芸術を生んだベアマン氏に脱帽だ」
一般市民、曰く──。
「確かに良い話だが、結局は落書きだろ。偽善者ぶってやがるよ。ネガティブな感情しか無いね。奴のおかげで、ここは聖地だ。割れ窓理論じゃないけども景観を損なうアマチュアのヘタな落書きが増えてさ。今や、落書きと悪ガキの街だ」
■
「既に新聞社も嗅ぎ付けてんのか」
ライトの驚きを、タイターは無視して語る。
「これは由々しき問題なんです」
「何がだ」
「ベアマンさんの絵をきっかけに、今まさに、ストリートアート文化が花開いていることです」
ストリートアート文化が花開いている、その事実には、青年ライトも頷いていた。人気の画家ベアマンの手法を真似て、ニューヨークの至るところに〈グラフィティ〉と呼ばれる落書きが描かれているらしい。
「ここまでストリートアート文化が花開く事態。迷惑行為であるはずのグラフィティが、市民から高い評価を得る事態。そして壁を取っ払って売っちゃうなんて考えが出てくる事態」
タイターは指を立てながら、一つ一つ列挙していく。
「そんなの、二十世紀後半に入ってから起こることです。今の狂騒は、バンクシーの騒動を早めたようだ」
タイターは困惑した顔で呟く。
「グラフィティのような落書きは、ニューヨークが発祥なのは間違いないんですけどね……」
「早すぎると……」
「そう。僕の時代の定説では、一九七〇年代、タグと呼ばれらサインを描き残すゲームから始まった訳です。ニューヨークタイムズにその記事が載り、流行に拍車が掛かった」
「タイムズスクエアの?」
「そうです」
タイターは、大きく頷く。
「落書きで言えば、『キルロイ参上』とかの方が有名ですね。第二次世界大戦の頃なんで、この文化もまだですけど」
「なんだ、その物騒な戦争は。しかも二次、一次は何年の事を言ってる?」
「まだです。はっ、また喋りすぎたっ!」
まだなのか。驚愕の事実に思考が停止しかける。
「そんなことより、ですよ。つまり──」
私が衝撃の事実に顔を叩かれたのは、さておいて、タイターはまとめに入ろうとする。
「未来から、ボヘミアンの首都グリニッジ・ヴィレッジを調査をしようと来てみれば、未来の定説からかけ離れた歴史が、どんどん目の前で紡がれていく──」
神妙な顔で、タイターは言葉を紡ぐ。
「──これが、本当に起きたことなのか、歴史が変わってしまったのか調査して、場合によっては歴史を修正しなければならないのです」
にわかには信じられないことだけどな、と私は呟く。
「でもですね──」
タイターの顔が綻んだ。
「──少し期待してるんです。〈最後の一葉〉こそ、最初のグラフィティかもってね」
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