第二話  異世界移転譚

 亀裂から出た少女、アイビー・オーカムはそこでほっと一息ついた。


 風に揺れて視線に映った髪の毛は、先程までのような真っ赤なそれではなく、この夜の闇のように真っ黒だった。どうやら、彼女の予想通り先程の魔法で、すべての魔力を使い切れたようだ。

 本来、魔力というのは人間の中で生成され、尽きることはないのだが、一度に大量に消費しすぎると、生成器官までも魔力として消費されてしまうため、二度と魔法を使用できなってしまう。髪は魔力の量に少なからず影響を受けるため、少女の髪は黒になったと言うわけだ。

 魔法を失うというと、少し損をしたように思えるかも知れないが、この世界で生きていく上では仕方のないことだ。というのも、この世界では魔法なんて不要なのだから。

 不要と聞くと、少し誇張した言い方に聞こえるかもしれないけれど、これは過言でも何でもない。むしろ適切である。


 この世界はアイビーが元いた世界に比べて、人間が保有する魔力が圧倒的に少ない。それゆえ、魔力を多く持つ少女のようなやつは生きていけない。世界は絶えず異分子を排除しようと働きかけるのだから。


 体内に侵入しようとしたウィルスのように。

 陸地に干された魚のように。

 ――アイビーは消されていただろう。


だから、ここで生きて行くには環境に合わせて、魔力を捨てる必要があった。

 それと同時に、先程の男を連れてこなくてよかったとも思う。というのも、あの男の言うこの世界のイメージが、間違っていることもないが正確ではなかったからだ。

 彼曰くこの世界は、人間が上等な服を着て、魔法ではないものが生活の基盤となっており、人間は肉体労働から放たれるらしい。


 確かに、私が以前魔法を通してこの世界を見た時、そのような光景を見ることができた。しかし、男の感想はいかんせん曖昧すぎて、私にはただ単に彼の理想の世界を語っているようにしか見えなかった。

 身だしなみを整えたい、魔法に対する劣等感を捨て去りたい、肉体労働から解放されたい、そのような願望を言ったら、曖昧がゆえにこの世界に一致するように見えただけだろう。

 あと咄嗟にこの世界を『異世界』と呼んでしまったのも、彼がこの世界の人間でないことが分かる一つの証拠になるかもしれない。あそこでは、この世界の名前、つまり地球という単語が入って然るべきなのだから。


 住むべき世界を間違えたら、その先に待っているのは死だ。なんの準備もせず、後先考えず飛び込むのはひどく愚かな好意であった。


 アイビーはそう結論を出して歩き始めた。まずは、誰かに拾って貰うところから始めなければならない。最悪、施設にでも頼み込もうと考えていた。彼女が調べたところ、地球の中の日本は他の地域に比べてそういうところが手厚い印象を持っていた。そういうことも含めて、少女はこの地に降り立ったのだ。


 しかし、次の瞬間、彼女は足を止めて思わず元来た道を振り返った。ひどく嫌な予感がしたのだ。


「え?」


 という声が無意識に漏れた。

 歪みからは何かが出てくる瞬間だった。一瞬、魔物ではないかと疑ったアイビーはしかし、すぐに違うと思った。というのも、そこから出てくるのは紛う事なき人間の手だったからだ。すーっと血の気が引く。


 今からでも、引き返して欲しいと思った。自分のせいで人間が死ぬなんていうのは、目覚めが悪い。

 足を引き返したが遅かった。

 転がるように出てきた彼は、そのまま受け身も取れず地面に転がった。道路と呼ばれるそこは、当たり前であるが車が通る。だが、異世界人である彼にはそんなことなど分かるはずもない。


 直後、突然の出現にブレーキが間に合わなかった車が、彼に突っ込んだ。何十キロもの速度で鉄の塊が衝突したのだ。どうなるかはもはや説明いらないだろう。

 宙を舞う赤い身体。そこから舞う血飛沫。

 不自然に曲がった首からは、彼が即死していることが否応なしに理解できてしまう。


 ぼんやりとその光景を脳裏に刻みながら、アイビーは、どうしてあの時、もっとしっかりと断らなかったのだろうと自分を責めた。いや、それ以前に異世界のことを言わなければこうはならなかったに違いなかった。

 アイビーは自分の甘さを呪った。罪の意識から、年相応な涙がこぼれ落ちそうになったが何とか歯を食いしばって、押さえ込んだ。


 人が集まりだし、徐々にうるさくなってくる。皆がこそこそ喋る中、彼女はただ一人無言で彼を見ていた。


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異世界移転譚 現夢いつき @utsushiyume

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