第5話


 近距離戦の狭い視野から、遠距離の広い視野に変えることはできないだろ!

 コントロールはバッチリだ。

 もしもの時のために、俺は隠しナイフを服の袖から出そうと、視線を袖に移す。

 一瞬で隠しナイフを取り出して、自信気に視線を元に戻したその時だった。

 ・・・・・居ない!?

 本来は、そこに居るはずの姉さんの姿がない。

 俺がナイフを取り出したあの一瞬で、どこに移動したんだ!?

 まさか!


「後ろか!!」


 取り出したナイフを後ろに振る。

 

「そんなに私の視野は狭くないわよ」


 振った腕を誰かにガシッっと掴まれる。

 ナイフの鋭い鋭角が眼下に見える。

 ちょうど部屋の光が反射して、きれいな光沢を見せる。

 あ・・・・・・終わった。


「ギブギブ。こんなん無理じゃん」


 両手を上げて降参する。

 完敗だ。まあ、いつもと同じだけどさあ。やっぱり悔しいな。


「少し油断したでしょ。それがあゆの敗因よ」


 俺は姉さんに、あゆと呼ばれている。歩夢を略してあゆだ。

 決して魚の鮎ではない。馬鹿にしたら俺は怒るぞ、プンプン。

 それに対して俺は、姉さんのことは由紀姉ちゃんって呼んでいる。

 俺と姉さんは姉弟だが、ここに居るたくさんの先輩は、俺の先輩ってだけだ。うん、先輩は先輩だよな。


「けどさあ、あの距離をどうやって一瞬で詰めたの?」


 この稽古の中で最も疑問に思っていることだ。俺が袖からナイフを取り出すために、視線を一瞬。そう、ただ一瞬だけ下にずらしただけだ。その間にどうやって俺の後ろに回り込んでたんだ?

 そのまま突っ込んでくるんなら分かるけど、後ろに回られてるってのは予想外すぎた。


「あれは、歩き方を工夫しただけだよ。1歩目は短く、2歩目は長く。こういう風に不規則に歩くと、見ている方からしたら、どう見える?」


 実際に姉さんがやって見せてくれる。

 俺はそれを見ている内に、何か頭がくらくらしてきた。マジで頭痛い。


「・・・・・気持ち悪くなってきた」

「あっ、ごめんごめん。それで、結果を言ったらあゆが距離を詰められていないと思っていても、実際私はしっかり距離を詰めてたってこと。どう、分かる?」


 さすがは俺の姉さんだ。いつもいつも、新しいことを教えてくれる。

 俺は勉学は苦手な方だが、大体姉さんの言ってることは理解した。


「つまり、眼の錯覚を起こさせてた訳?」

「そうそう! これは、私が1週間で習得したテクニックだから、あゆならすぐに習得できるはずだよ。けど、1つ注意点!」


 右手の人差し指を立てて、俺の方にグイッと寄ってくる。


「何?」

「ちゃんとマスターしてからじゃないと、相手に大きな隙を見せることになるから、そこは絶対に覚えててね!」

「了解しました! 由紀隊長!」


 左手は腰に、右手はおでこに、足は閉じる。敬礼のポーズだ。

 ここはコンクリートの部屋なので、足を閉じるときのバシッとしたきれいな音が、反響して静寂の雰囲気を醸し出す。


「それでは、これで朝の稽古を終了する。部屋の戻りたまえ」

「はい!」


 姉弟の遊びのようなものだ。姉さんは優しいから、いつも乗ってくれる。

 稽古部屋を出るときは、満面の笑みで「バイバイ!」と手を振って出た。

 姉弟だからと言って、ずっと一緒に居られる訳ではない。姉さんは仕事が忙しいのだ。

 俺は、お昼の時間まで自分の部屋で自主トレーニングをすることにした。

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一夜で世界が終わるとしたら 烏猫秋 @karasunekoaki

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