波間に沈む想い

 僕らが屋上でやえの用事を済ませて、鍵を閉めずに階段を下りてくると、僕らの後輩らしき女の子が息を切らせて走ってきていた。玉のような汗が浮かんで、キラキラと光っている。

 さして気にもせず、彼女の横を通り過ぎようとすると、彼女は僕らに話しかけてきた。


「あのっ…! さっき叫んでたのって、あなたですか?」

「ああ、うん。そうだよ」


 やえは笑って答えた。


「やっぱり…。あの……でも…」


 なぜだか女の子は言いよどんで、僕の方を見た。


「僕がどうかしたの?」

「いえっ、あの…えと…あなたは、なぜ砂になっていないのですか?」

「え?」


 どうやら彼女の中では、僕は砂になっていないとおかしいのでびっくりしたとのこと。

 その子の話をまとめると、どうやら今日の朝には生き残っていた少年たちも次々と砂になってしまったのだということらしい。この子にはお兄さんがおり、生き残っていたのに朝には砂になってしまったと。

 でも僕はこの通り、砂にならずに生きている。

 よくわからないが、なにやら僕には他の少年たちにないものがのか、それとものか…。


「まさか男の人がまだ残ってるとは思ってなくて…」

「うーん、そっかあ。そういうことか~」

「何かわかったの?」


 やえは不気味に笑って僕を指差した。

 こら、人を指差すんじゃない。


「もしかして、ゆうた女の子なんじゃない?」

「はい?」


 断じてそれはない。

 証拠を見せ…、いやそれはだめなので見せないけど。


「僕の性別は男で間違いないけど、なんで死んでないかはさっぱり見当もつかない。ところで僕から質問なんだけど、君はどうしてここに来たの?」


 その質問に、彼女は今度はやえの方を見ながらもじもじと話しだした。


「あの、私さっきあなたが叫んでるのを聞いてて」

「ああ、うん。誰かに見られたり聞かれたりするのは想定内だったけど、それがどうかしたの?」

「私にも好きな人がいて、けど…きっと……今朝…っこわ、くて…見に行ってないけど…死んでて……っ。そ……それ…でもっ…っく…」


 彼女は、途中で話すのが困難になってしまった。

 嗚咽の合間に、どうにかして話しだそうとするのだが、やはり言葉がでずにしゃっくりのような音を出すばかりだった。


「私が、死んだ好きな人に屋上から告白したと思ったのね?」

「っ、……は、はいっ…っ」


 やえが彼女の背中を優しく撫でさする。何分そうしていただろうか。

 ようやく落ち着いたその子は、やっと言葉を続ける。


「私も、彼が死ぬ前に…告白すればよかったって、思って。でももう彼が帰ってくるわけじゃないから、だから私も屋上から叫ぼうと思ったんです」


 やえの全身から絞り出すような告白を聞いて、いてもたってもいられず、家から飛び出してここまで駆けてきたのだそうだ。


「でもてっきり、同じ中学生の子が叫んだと思っていたので…、きれいなお姉さんが男の人と降りてきてびっくりしました」

「おっ、今どきの中学生はお世辞がうまいなあ!」


 やえがにっかりと笑うと、やっとその子もほっとしたように微笑んだ。


「そんなに年は変わらないだろう?」

「あー、でも中学生の時は、高校生がすごく大人に見えたもんねぇ」

「でも、僕がこうして生きているんだし、もしかすると君の好きな子も……」


 ――いや、これはダメだ。

 僕はこの子の気持ちを分かっていたのに地雷を踏んでしまった。

 彼女はお兄さんをすでに亡くしている。僕がイレギュラーなだけで、きっと大多数の男の子たちは、もういないのだ。

 中途半端な希望は、また絶望を深めるだけだ。


 彼女の顔がくしゃりとなって、堪えていた涙が、またこぼれる。

 やえが彼女を抱きしめながら目で僕に怒っている。


「この男は、とてつもなく鈍感野郎だから、ごめんね」

「い…いえっ…そんな…」

「……ごめん」


 もう一度泣き止んだ彼女と一緒に、また屋上に上がった。

 彼女もやえと同じように、錆だらけの金網のフェンスに手をついて叫んだ。


田辺たなべー!! ずっと好きだったよおぉ!! っふ……あっ、うあ……ああああ……っ」


 ずるずると崩れ落ちて、彼女はそのまま泣き続けた。


 僕はその精一杯の告白が、とても美しいなと思った。

 こんな感想は彼女にとって気持ちのいいものではないだろうが、何かを美しい、などと思ったのはいつぶりだろうか。

 やっぱり、やえと逢ってしまって、僕の何かがほどけてきているような気がした。



―――――――


「お姉さんたちは、これからどうするんですか?」

「私たちはね、今から海に行くの」

「海に…?」


 玄関から出て立ち止まると、やえは僕の腕を掴んだ。


「そう、ずっと作れなかった思い出を二人で作りに行くんだよ。大人がいない今じゃないと、できないから」

「大人がいない今…?」


 彼女には、きっと意味が解らなかっただろう。その疑問には答えず、やえは僕の腕を持って振った。


「じゃあね! 気を付けて帰るんだよ~」


 自転車に跨って、僕らは海に向かって自転車を漕ぎ出した。

手を振る彼女の姿が、遠くに小さくなって、なぜかやえはほっとしたような顔をした。


「ああ、もう人には関わりたくないな」


 そうぽつりと漏らして。

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