第10話

 食事処で昼食を済ませ、次に向かったのは首里城である。

 首里城は基本的にクラスでまとまって行動をする。ガイドさんがつくからである。それでも最後に少しだけの自由時間があった。

 クラスでまとまって行動しているときに関して、特筆すべきことはない。なにしろ三回目である。「ああ、そういえばこんなところだったな」としか思わないし、適当にやり過ごした。

 そして自由時間。

 早乙女は自由時間になると一人にどこかに行ってしまった。まあ、どうせスカートの短い女子高生でも探しに行ったのだろう。  

 俺は小豆沢さんの姿を探した。辺りを見回すと、少し先に小豆沢さんが歩いているのを見つけた。

 今度こそ、一緒に見て回ろうと誘うのである。


「小豆沢さん、一人で歩いていたら、また変な輩にからまれてしまうから、俺が近くで見張っててもいいかな?」


 これが俺の精一杯の誘い文句である。素直に一緒に見て回ろうなんて言えるわけがなかった。

 小豆沢さんは一瞬、キョトンとしたようにも見えたが、


「ええ、いいですけど。しかし、見張るという言い方は嫌ですね。……その、一緒に歩く、でいいのではないですか?」


 と言った。

 俺はキョトンとした。そして、「じゃ、じゃあそういうことで……」と返した。

 そうして二人で並んで歩き出した。

 二人で並んで歩いているからには、何か会話をしなくてはならないと思い、必死になって話題を探していたのだが、ここでふと隣を歩く小豆沢さんの足が止まった。どうしたんだろと思って、彼女を見れば、少し先の地面を見据えて小刻みに震えていた。彼女の目線の先に何があるのだと思い、見てみると、黒光りする物体があった。それは何やらもぞもぞしていて、長い触覚が見受けられた。その黒光りする物体とはゴキブリである。それも特大サイズであった。

 小豆沢さんは固まってしまって動かない。きっとあのゴキブリがどこかへ行くのを待っていたのだろうが、あろうことかゴキブリは彼女のほうへ寄ってきた。すると彼女は「ぎゃあああああ」と声を上げて、どこかへ走り去ってしまった。


「えっ、ちょっと、小豆沢さん!?」


 俺は一瞬だけ戸惑ったが、どこかへ走っていった彼女をすぐに探しに行った。

 小豆沢さんは少し先にあったベンチに腰を下ろしていた。

 彼女は青ざめた顔をしてブルブル震えている。「すみません。私、虫はダメなんです」


「沖縄にはあのゴ、ゴキ、ゴキなんちゃらが多いと聞いて覚悟はしていたのですが、やっぱり無理でした。あれは無理です。流石に大きすぎませんか」


 そう弱々しく言う。

 これもまたギャップというやつだろう。ゴキブリをこんなにも怖がっている彼女はとても魅力的に見えてしまった。


「とりあえず落ち着こう。もう奴はいないから」


 俺がそう言うと彼女は黙って何度も頷いた。

 しばらくすると、「もう大丈夫です。お騒がせしました」と彼女はペコリと頭を下げた。


「まさか小豆沢さんがそんなにもゴキ、あ、いや、虫が苦手だったとは驚いた」

「とくにゴキ、ブ、なんちゃらはダメなんです。あとは蛾とかムカデとかゲジゲジとかもですね。頭が真っ白になります。蟻くらいなら平気です」

「まあ、そいつらは見た目が気持ち悪いからしょうがない」

「虫は大丈夫なんですか?」

「俺は平気だな。何とも思わない。でもまあ、害虫とあれば、容赦なく叩き潰すけど」

「そうですか。羨ましいです」

 

 そんな会話をしながら、バスへと戻った。


                 〇


 首里城の次に向かったのは大型ショッピングモールであるが、ここでは小豆沢さんはクラスメイトの女子に連れられていってしまったので、俺は早乙女と行動を共にするしかなかった。すごくつまらなかった。以上。


 そうして二日目の全行程も終わり、ホテルへと戻った。

 またもしてもホテルでは特筆すべきことがない。そもそも早乙女と二人部屋で特筆すべきことが起きるほうがおかしい。

 強いて挙げるとすれば、早乙女がホテルの女風呂を覗きに行こうと言いだして、どこまでこいつは馬鹿なんだと呆れに呆れたことくらいである。勝手に行って通報されて警察に捕まってしまえと思ったが、流石に冗談だった。それでも「冗談に決まってんだろ」という声はどこか悔しそうだった。そんなに女性が風呂に入っているところを見たいのであれば、混浴温泉にでも行けばいい。そして度を超えたその年齢層の高さに絶望するといい。


                 〇

 

 三日目はタクシーを使ってでの自由行動である。

 当然、小豆沢さんとは違うタクシーであり、行き先だってまったく違うと思うが、俺にはある考えがあった。

 早乙女と二人でタクシーに乗り込むと、運転手に「じゃあまずどこへ向かいますか?」と訊かれた。

 そこで俺は答えた。


「えーと、あっ、アレです。あのタクシーを追ってください」


 運転手は「分かりましたよ」と言ってエンジンをかけ、タクシーを走らせた。何も不思議がらないのは、きっと修学旅行生ならばよくあることなのだろう。一台のタクシーでは足りない大人数で一緒のところを回ろうとする生徒なんていくらでもいる。

 

「何言ってんだ、おまえ。探偵物のアニメでも見たんか」と早乙女は訝しげに言った。

「違えよ」

「じゃあなんだよ、今のは」

「……どうせ行きたいところなんてないんだから、どうでもいいだろ」


 俺がそう言うと、早乙女は前を走るタクシーに目を凝らした。


「あ、小豆沢さんが乗ってる。おまえ、やっぱり小豆沢さんのことが好きなんでしょ?」


 ここまできたら、もう否定はしない。無駄に詮索されるほうが厄介である。


「……ほっとけ」

「そうか、そうか」と早乙女はニヤニヤした。「やっぱりそうだったのか」

「余計な邪魔はするなよ。キューピットとやらもいらんからな」

「しないしない、どうせ無理だろうし。それにしても、これはやりすぎじゃないか? もうストーカーみたいなもんだぞ」

「くだらない変質者と一緒にするな」

「だって性欲のままに行動してるんでしょ?」

「性欲じゃない。もっとこう純粋なものだ。それに、性欲の権化のようなおまえには何も言われなくない。もはや猥褻物だろ」

「ひどいことを言うなあ」


 とにもかくにも俺たちは小豆沢さんと同じところを見て回った。

 とはいえ、流石に不自然に思われるだろうし、小豆沢さんはクラスメイトの女子と一緒にいるので、毎回のように話しかけるようなことはしていない。

 ちょくちょく偶然を装って話しかける程度である。


「あれ、偶然だな」

「またお会いしましたね」


 これくらいのやり取りしかしていない。

 しかしそうやってサブリミナル的に俺が現れることによって、彼女はいよいよ運命を感じざるを得ないであろう。

 言っておくが、これは断じてストーカーではない。好機を掴み取るために布石を打ちまくっているだけである。したがって犯罪になるわけがない。


 そうして三日目の全行程も終わり、ホテルへと戻った。

 ホテルでは特筆すべきことがない――わけではなかった。

 それは夜、俺がジュースを買おうとホテル一階にある自販機に行ったときのことである。

 俺があくびをしながら歩いていると、ふと小豆沢さんの姿が目に入った。彼女もまた自販機に飲み物を買いにきているようだった。これは本当に偶然である。

 彼女はいつもに増して艶やかで色っぽく見えたが、やけに元気がないようにも見えた。溜め息をついている。

 声をかけようかとも思ったが、俺はどちらかといえば空気が読める人間である。空気を読みすぎて、むしろ俺が空気になることさえある。そういうわけで、今は声をかけないほうがいいだろうと思い至った。

 部屋に戻り、スカートとニーソックスの間の太ももについて熱弁を奮っている早乙女をシカトして、俺はベッドに潜り込んだ。色々と思うことはあれど、とりあえずは明日に備えて早く眠ることにした。

 俺は明日、修学旅行最終日にいよいよ賭けに出ようと思っていた。

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