第11話

 最終日はクラスで美ら海水族館へ向かった。言わずと知れた沖縄の名所である。

 水族館というロマンティックな空間は、この好機を掴み取るためにはこれ以上ないシチュエーションだと思った。賭けとはつまり愛の告白のことである。

 小豆沢さんと初めてまともに会話を交わしたが三日前なので、いくらなんでも告白するのは早すぎるとも思ったが、この三日間、俺はいつになく積極的になって話しかけ、時には体を張って、奔走し、偶然を装って、数々の布石を打ちまくってきた。好機であるならもう掴み取れるはずなのである。そしてここで手を引っ込ませてしまったら、きっと俺はまた同じことを繰り返してしまうだろう。目の前にあるはず好機を掴み取らず、そうやってずるずると引き延ばした挙句、結局取り逃して、そこ待っているのは灰色の高校生活である。

 もうそんなのは嫌だ。何のためのタイムリープだ。

 輝かしいバラ色の青春にするためには、今ここで愛の告白をしなくてはならないのだ。


 着いて、とりあえずは流れに沿って水族館の中に入っていった。

 隣の早乙女がやんややんやとうるさいが、どうせしょうもないことなので適当に聞き流し、俺は小豆沢さんのことを目で追っていた。

 やがて大きな水槽にところに出た。その水槽にはジンベイザメが悠々を泳いでいる。ここに来るのも三回目だが、ここはいつ見ても圧倒される。「やっぱりすげえ」と思いながらジンベイザメを見た。

 そうやって圧倒されていたら、小豆沢さんを見失った。なぜこういうときにこういう凡ミスをしてしまうのだろう。そりゃ好機をみすみす逃してきたわけである。

 人も多いし、薄暗いしで、見回しても全然見当たらない。彼女はいったいどこへ行ってしまったのだろうか。ここに虫が出たわけでもあるまい。


「キョロキョロしてどうした?」と早乙女は訊いてきた。

「小豆沢さんを見失ってしまった」と俺は答えた。

「またストーカーまがいのことをして。馬鹿だなあ」

「違う。ちゃんとした理由があってのことだ」

「なにそれ。もしかして告白でもするのか?」

「……そうだ。そういうことだ」


 すると早乙女は目を丸くさせた。「それはマジで言ってるのか? おまえにそんな度胸があったとは驚きだ」


「うるさいな。とにかく俺は彼女を探しに行く。おまえはついてくるな」

「いや、なら俺も探してやるよ」と早乙女はニヤニヤした。「見つかったら連絡すればいいんだろ?」


 まあ、こうなったらとめても無駄だろう。


「……余計なことはするなよ」

「もちろん」


 そう言って早乙女は走り出した。人にぶつかりまくっている。なんて迷惑極まりない奴なのだろうか。馬鹿である。不安は拭いきれないが、俺が奴より先に見つければいいだけの話だ。

 そうして俺も足早に歩き出した。

 予習済みだから分かるが、ここは相当な広さがある。時間内に見つからないかもしれない。そう思うと、どうしようもなく焦りが募ってくる。自然と歩く速度が速くなっていく。きっと俺も人にぶつかりまくっていただろう。

 水族館だというのに、水槽の中には目もくれず、その周りにいる人だけを見ながら、ひたすら館内を走り回った。しかし、小豆沢さんの姿はどこにもない。大きな声で「小豆沢さん!」と呼んだりはしない。それは人に迷惑であり、なによりも小豆沢さんに迷惑をかけてしまう。もしかしたら行き違ったのかもしれないと思い、ジンベイザメの水槽に戻り、また行き違ったのかもしれないと思い、深海のエリアに行ったりと、右往左往した。それでも見つからないので、もう館内にはいないのだろうと思い、外へ出た。まだ早乙女からの連絡はない。

 階段を下り、広い通りに出る。右左を見て、どっちに歩みを進めるべきが悩んだが、やがて人が多いほうに決めた。こっちにはイルカショーが見れる施設がある。もしかしたらそこに彼女はいるのではないか。

 普段からほとんどの運動を放棄して、しなくてもいい肉体の衰弱化を図ってきた俺はすでにまともに走れなくなっていた。もうとっくに息は上がっている。へとへとである。ベンチを見て、無性に腰を下ろしたくなったが、そんなことしている場合か、と考え直し、また歩き出した。

 しかし、イルカがいる施設にも彼女の姿はなかった。じゃあもうどこにもいないではないか、と心が折れかけた。

 もうバスへ戻る時間が迫ってきている。もちろん、バスへ戻れば彼女に会えるだろう。しかしそれではダメなのだ。ここで、告白しなければまた好機をみすみす逃してしまう結果になるのは見え透いている。この修学旅行での俺の奔走が、努力が、打ちまくった布石が、すべて水泡に帰してしまう。

 依然として早乙女からの連絡はない。どうせあいつは小豆沢さんを探すことを早々に放棄して、スカートの短い女子高生でも探して彷徨っているに違いない。早乙女に対しての怒りが湧いてきたが、そんな無駄なことを考えている猶予はない。そもそも早乙女を頼りするべきではない。

 俺は再び水族館のほうへと歩き出した。


                   〇


 へとへとになりながら、足を引きずるようにして通りを歩いた。なぜ俺は今まで運動をしてこなかったのだ、と後悔した。

 今日は天気もよく晴れており、すぐ近くにある海も穏やかで綺麗だった。

 溜め息をついて、何気なしに海を眺めながらとぼとぼ歩いていると、ふと、マナティー館というその名の通りの施設の近くで、海を眺めている女性の姿が目に入った。

 それを見た俺はハッとした。

 あの後ろ姿が小豆沢さんだとすぐに分かったのである。あれだけ彼女の後を追いかけてきたのだから間違いない。

 俺はすぐさま彼女のもとに駆け寄った。そうして俺が話しかけようと息を整えていると、彼女は海を眺めたまま口を開いた。

 

「早乙女君から聞きましたよ。どうやら私を探していたようですね」


 その言葉に俺はキョトンとした。早乙女から聞いた……?


「え? 早乙女から? あいつに会ったの?」


 あいつ、連絡するんじゃなかったのか。


「ええ。ここで待っていればいいと言われました」

 

 いや、俺はそんなこと聞いてない。連絡もよこさないで何を勝手なことを言っているんだ、早乙女のやつは。ただの嫌がらせじゃないか。


「……それ、どれくらい待った?」

「かれこれ十分くらいでしょうか」


 それを聞いて俺は頭を下げた。「本当にごめん! そんなに待たせちゃったなんて!」


「いえ、気にしないで大丈夫ですよ。私は最初からこうして海を眺めていたので」


 彼女がそう言ってくれたのでよかったが、早乙女は後で問答無用にぶん殴ってやると心に決めた。

 小豆沢さんが水族館の中にいなかったのは、ずっと海を眺めていたからだと言うが、なぜ彼女はずっと海を眺めていたのだろう、と思った。


「ならいいんだけど、ずっと海を見てたの?」

「海を見てると心が落ち着くのです」

「まあ、たしかにそうだけど」


 そう言って、俺も海を見やる。穏やかで綺麗な海が広がっている。吹いてくる爽やかな風と心地いい波の音で心が落ち着くような気がした。

 ――よし。

 今なら言える、そう思った。


「あの小豆沢さん、ちょっと話があるんだけど」


 俺がそう言うと、彼女は黙ってこちらを見た。


「じつは俺――」


 と意を決して言いかけたところで、


「待ってください」


 と彼女は言った。「先に私から言ってもいいですか?」

 思わず俺は「へ?」と素っ頓狂な声を出した。

 先に言ってもいい? 何を? まさか、告白だったらあらかじめお断りしますってこと? 

 などと、思っていると、小豆沢さんは返事を求めるかのように俺の顔を覗き込んできた。なので俺は恐る恐る「ど、どうぞ」と答えた。


「去年の文化祭を憶えてますか?」


 まったく予想していなかった質問に俺はまたもや素っ頓狂な声を出した。


「え? お、憶えているけど……、なんで?」

「あの騒ぎを起こしたのは古市君でしたね」


 去年、つまりは一年のときの文化祭だから、俺が起こした騒ぎと言えばアレしかない。あの騒ぎとは、俺と早乙女で軽音楽部のステージを台無しにしたことであろう。


「軽音楽部のやつ?」

「そうです」

「でも、それがどうしたの……?」

「あのとき、私は救われました」

「救われた?」

「そうです、古市君に」

 

 それから小豆沢さんは当時のことを語った。

 あの頃、彼女はあの鴨志田先輩にしつこく言い寄られていたという。なんでも、断っても断っても聞く耳を持ってくれなかったらしい。そうして毎日のように誘われていた。もはやストーカーである。そのときの彼女がどれほど嫌な思いをしていたかは計り知れない。やはり鴨志田先輩というのはじつにろくでもない男だった。

 あるとき、鴨志田先輩が「文化祭でバンドをやる。俺は気持ちを込めて、君のために歌うから来てほしい」と気持ち悪いことを言ってきた。元々、小豆沢さんは体育館にいる予定だったから、何気なしにそのステージを見ていたという。すると、あの騒ぎは起きた。鴨志田先輩の口パク当て振りが衆目に晒されたのである。そうして鴨志田先輩は非難を浴びて、ステージから逃げ出した。


「そのとき、古市君が何か糸のようなものを引っ張っているのが見えました」と言って小豆沢さんは俺を見た。

「……ああ、たしかにそれは俺だな」

「その後で、笑い転げてましたね」

「まあ、アレは愉快だったから」

「私も愉快でした」と彼女は少し笑みを浮かべた。「あの騒ぎがあって以来、鴨志田先輩が話しかけてくることはなくなりました」


 俺は黙って彼女の言葉を聞いた。


「だから私は古市君に助けられたことになるんです。あのときは、ありがとうございました」


 そう言って彼女はペコリと頭を下げた。


「いやいや、そんなこと。俺は何もしてないっていうか、少なくともアレは自分のためであって」


 俺が手をぶんぶん振りながら否定すると、彼女は微笑んだ。


「でも私は助かりましたよ。いつかお礼を言おうと思っていたのですが、こんなにも遅くなってしまいましたね」

「いやだから、お礼なんていらないのに……。あの、それで、先に言いたかったことはそれで終わり?」

「あ、いえ。それで、それでですね……」


 と彼女は言葉に詰まって、少し俯いてしまった。何か言いたげだったので、俺はそれを待った。

 小豆沢さんは拳をぎゅっと握りしめていた。そうして、ふうと息を吐いて、言葉を発した。


「私は古市君が何を言おうとしていたのかを知ってます」

「え? それってどういう……」

「早乙女君がそう言ってましたし」

 

 そのとき、俺の脳裏にはニヤニヤと笑う早乙女の顔が浮かび上がった。

 あの馬鹿はいったい何を言ってるんだ。そんなとんでもないネタバラシをする奴があるか。告白を台無しにしやがって……。

 俺は憤ったのち、肩を落とした。どうせフラれるのであろう。

 

「それにしても偶然ですね」


 そう小豆沢さんは言った。偶然、とは何のことだろう……。


「偶然、とは……?」


 俺はぽつりと言った。

 すると彼女は嬉しそうに言った。


「じつは私も同じことを言おうとしていたのです」

 

 俺はしばし憮然としてから「えっ!?」と声を上げた。


「そ、そ、それはどういう意味?」

「そのまま意味です」

「いや待って。俺は小豆沢さんは告白をしようと思ってて、それで――」

「だ、だから! そういう意味なんです」


 俺が混乱していると、彼女は歩き出した。


「そろそろバスへ戻る時間です。ほら、行きましょう」


 そう言って手を差し伸べてきた。ここで俺はようやくすべてを理解した。


                〇


 それからの俺がいかに高校生活を過ごしたかというのは、敢えてここでは言わない。

 俺はカップルがイチャイチャしているところなんて見たくないし、惚気話なんても聞きたくない。そんなのされても腹が立ってくるだけであろう。

 したがって、それからの俺がどうなったかは言わないでおく。自分がやられたら嫌なことは他人にやってはいけない、というのは当たり前のことである。

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