第7話

 高校三年生の十二月、俺は部屋に閉じこもっていた。

 受験に向けて、ただひたすらに勉強している日々のつまらなさったらない。苦痛である。これで傍らに麗しの彼女でもいれば、瞬く間に受験勉強ですら楽しく感じるのであろう。しかし、いない。なぜか、いない。そう思えば思うほど苦痛になり、過去のあやまちを振り返って、凄まじい後悔の念に駆られて、シャーペンを放り投げ、部屋中をのたうち回った。

 なにゆえ、こうなってしまったのか。なにゆえ、俺の傍らには彼女がおらず、いまだ童貞なのか。いったい何のためにタイムリープしてきたのか。好機を掴み取るためにタイムリープしたのではなかったのか。なのにどうして、俺は好機を掴み取れなかったのか。なぜ輝かしいバラ色の青春を送れなかったのか。

 今一度、振り返ってみたが、その答えは明々白々として思い起こされて、走馬灯のように頭の中を駆け巡った。

 こうなってしまったのは、俺は馬鹿だったからに他ならない。タイムリープしてきたのにもかかわらず、およそ二年間を棒に振って、未来を変えられなかったのだから馬鹿としか言いようがない。

 思えば、一度ぽっきり折れたからといって諦めるべきではなかっただろう。まだ好機はあっただろう。あのとき気持ちを切り替えていれば、新たな青春へ道を見つけ出し、ゆくゆくは彼女が出来て、そしてその当然の結果として童貞を卒業していたであろう。リア充の俺がそこにはいたはずなのだ。

 そういったことを思いつつ、またのたうち回った。前よりもずっと凄まじい後悔の念に駆られまくった。勉強なんてまったく捗らない。

 

 たまに気分転換として散歩にでる。

 街はクリスマスムード一色であり、どこからともなくクリスマスソングが流れてくる。そして当然のようにカップルも流れてくる。

 俺は憤りを感じた。

 己らの幸せを振りまくがごとく楽しげに歩くカップルたちの姿は、俺をさらに苦しめているから、もはや問答無用に犯罪である。それでいて当の本人たちはまったく悪びれもしないので重罪である。本当にどうにかして取り締まれないものか。 

 かくして俺はカップルとすれ違うたびに舌打ちをした。そしてその後ろ姿を睨みつけ、歯を食いしばりながら、心の中で「爆発しろ」と強く唱えた。唱えてから、果てしない虚無感に襲われて、白い溜め息をつくというのを何回も繰り返した。

 気分転換にでたはずが、気分を害してばかりである。


 ふいに、ただならぬ気配を感じた。その方向へ目を向けてみると、アヤシゲな女性の姿が目に入った。

 もうすぐクリスマスだというのに魔女っぽい格好をした彼女は、シャッターが閉まった店の軒下に座り込み、フライドチキンをばくばく旨そうに食べている。ときどき缶ビールを手にして、それを喉に流し込み、ぷはーっと言っている。当の本人はまったくもって人の目を気にしていないようだが、周りからは明らかに浮いていた。

 俺は彼女を見て、ハッとした。

 あの女神ではないか! 二年前、俺をタイムリープさせたあの女神ではないか! やっと見つけた。こんなところにいたのか。いや、そういや前もたしかこんなところにいたな。とにもかくにも彼女には言いたいことがたんまりとある。

 そうやって女神の前で立ち止まってあんまり凝視していたものだから、女神もこちらに気づいたらしい。やがて、そのキラキラとした目が俺を捉えた。


「なんだ青年、私の顔に何かついているか?」


 前と同じことを女神は言った。

 そりゃもう、女神の口周りにはフライドチキンのカスがつきまくっているし、油でぎっとぎとになっているが、そんなことはどうでもいい。

 

「あなた、女神ですよね?」と俺は訊いた。


 すると女神は一瞬、驚きの色を顔に浮かべた。それから俺を訝しげにまじまじと見て言った。「そうだが、なぜ分かったんだ?」

 俺は彼女に詰め寄った。

 こうなってしまったのはすべて自分が悪いと分かっているが、なぜだか彼女を前にして理不尽な怒りが湧いてきた。つまりは八つ当たりである。


「話が違うじゃありませんか! 前よりももっと悲惨な生活を送ってきたんですよ!」


 そう俺が言うと、女神は首を傾げた。


「君はいったい何を言っているんだ?」


 と言って、また暢気にフライドチキンを食らった。

 女神のその反応は当たり前である。彼女はあの女神であっても、あのとき女神ではないのだ。俺が彼女のことを知ってても、彼女は俺のことを知る由もない。この世界では初対面ということになるのである。

 俺は全身の力が抜けるような気がして、へなへなと地面に膝をつけた。

 そうして俺が今までの経緯を話そうとすると、女神は人差し指を立てて「ああ、分かったぞ」と言った。いったい何が分かったというのか。やはり女神たる存在は、あくまでもすべてをお見通しだと言うのか。


「きっと君は大きな悩みを抱えているのだろう」

「まあ、そうですけど……」


 彼女はフライドチキンを口に含みながらもごもごと言った。やはり女神らしさのカケラも感じられない。


「おそらく君はこう思っているのだろう。あのとき、ああしていれば彼女が出来て、その当然の結果として童貞を卒業出来たのではないか、と。あのときあの場所で、たしかに目の前にあった好機を掴み取っていれば、輝かしい青春を送れたはずなのに、終わってみれば何一つとして青春といえるべき経験がなかったことを今になってひどく後悔している。もうすぐ受験だというのに勉強も捗らず、外に出てみればカップルばかりで腹立たしいと思いながらもまたひどく後悔する。ああ、輝かしい青春を送りたかった、と。それが君が抱えている悩みではないのか?」


 前にもまったく同じことを見通されて、彼女からそう言われた気がする。

 というか、そもそもタイムリープしてきた俺が前とまったく同じ悩みを抱えているのはおかしいではないか。こんなところで、自分が馬鹿だったことを改めて思い知らされた。

 

「ええ、まったくもってその通りですよ……」


 俺は溜め息をついて、女神に今までの経緯を話した。


「ほお、つまり君は私の力によってタイムリープしてきた、と?」

「そうです、もう二年くらい前になりますが」

「なるほど。だから私が女神だと知っていたのか」

 

 女神は缶ビールをぐびっと呑んだ。


「しかしアレだな、タイムリープしたのに未来を変えるどころか、さらに悲惨にしたとか君は馬鹿なのか? 好機は簡単に掴み取れたはずだろう」

「返す言葉もありません」


 俺はさらにうなだれた。


「で、君はどうするんだ? また過去の戻ってやり直したいのか? 私はいつだって力になってやるぞ。もちろん、それからまたどうなるかは君次第だが」


 それを聞いて、俺は顔を上げた。

 そのときの彼女の面構えたるや、口元にはフライドチキンのカスがつきまくり、油でぎっとぎとになってはいるものの、なんだか神々しく、それこそ俺に救済の手を差し伸べてくる紛れもない女神そのものに見えた。いや、冷静になって見てみると、油でぎっとぎとになったほっぺたが西日に照らされて、キラキラして見えただけかもしれない。


「いいんですか!?」と俺は言った。やり直せるなら、何度だってやり直したいに決まっている。元々俺はやり直しが出来ないかどうかを相談するために、女神を探していたのである。


「そりゃ女神たるもの、悩んでいる人を前にして目をつぶっているわけにはいかんからな」と女神は言った。「といってもまあ、私の場合は気まぐれなんだけどな」

「たしか点数稼ぎがどうこう言ってましたね」

「そうだ、流石よく知ってるな。去年はサボりすぎてその点数が全然とれてなくてな、ちょうど二か月前の神無月、出雲に出向いた際に散々な目に遭ったのだ」


 神無月の名前の由来くらいなら俺でも知っている。出雲大社に全国の神が集まるから云々、そしてそのときは出雲以外には神がいなくなるから云々、そんな感じだった気がする。彼女はこんななりでこんなところでこんなことをしているが、一応、本物の女神なのである。


「それは大変でしたね。じゃあお願いしてもいいですか?」


 女神は「うむ。いいだろう」と頷いた。「では後ろを向いてみろ」

 俺は彼女に背中を向けた。


「いいか? 私はいまから君の背中をポンと押す。すると君は過去へと飛ばさて――って君はそんなこと知っているか」

「ええ、知ってます」

「よし。じゃあいくぞ」


 そうして女神は俺の背中を押した。

 身体がふわっと浮き上がるような感覚がしたかと思えば、時が止まっているような感覚もした。


「ちょうど好機が訪れる前あたりに設定してやったからな。今度こそは目の前にある好機を掴んでくるといい。青年よ、未来から応援しているぞ」ともごもごとした女神の声が聞こえた。きっとフライドチキンを口に含みながら喋っているのだろう。


 瞬間、辺りが真っ白になった。

 そして気がつくと、俺は教室にいた。

 かくして俺はまたもタイムリープしたのである。

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