第一話 「歩く非日常」の日常
変に誤解されたり期待されたりしても困るので、まず最初に明確に言っておきますが、祈祷師の孫である私には霊的なものは何も見えませんし、感じることすら出来ません。
祈祷師はどうやら獲得形質のようで、霊を見たいとは思いますが、私に見えるとは思っていません。
また、大学で心理学を専攻した身ですから怪力乱神を語ることを良しとしません。卒論は「祈祷師」に関する事項をテーマとしたものの、社会心理学的なアプローチでした。
従いまして、ここで祈祷師そのものの科学的合理性を云々するつもりはなく、その手のご質問やご感想にも応じられません。
以下、事実のみを淡々と記述しますので、そのつもりでお付き合いくださいませ。
*
日本で『霊能力者』というと、神道系や仏教系のコンサバティブな方々か、テレビで見かけるラジカルな皆様のことを思い浮かべるのではないでしょうか。
ところが、地方によっては意外なほど身近に活動している例がありまして、中でも有名なのが東北地方のイタコやゴミソ、沖縄や奄美のユタおよびノロです。
以下、間単に違いを説明しますと、
イタコは多くが盲目または弱視の女性であり、口寄せと呼ばれる降霊の儀式で祖先の霊の言葉を伝える仲介役をしています。
ゴミソは多くが既婚女性であり、積極的に自身の身体に神を憑依させることで、除霊や病気治療を行います。
ユタは民間の巫者で大半が女性です。イタコと同様に口寄せによって祖先の霊の言葉を伝える仲介役をします。
ノロはユタとは少々異なり、世襲制の女性司祭で、琉球王国時代に神事を執り行う役割を担っていました。
私の祖母は目が見えておりましたし、神様が降りてくるほうの祈祷師でしたので、分類上は「ゴミソ」の系列になるのではないかと思います。
しかし、本人はまったくそのつもりはなく、それらしき集団で修行をした上で免許まで受け取ったらしいのですが、分類上の話が祖母の口から出たことはありませんでした。
また、私の祖母の前後の家系で祈祷師をしているのは祖母だけでした。先祖代々から不可思議な能力を受け継いできたわけではなく、祖母だけが唐突にそうなったのです。
世襲ではないため、代々のお客様がいるわけではありませんでした。
私の実家は自営業で、小さな店舗で商いをしておりましたが、そこに祖母の生業である祈祷師の看板はありませんでした。
電話帳にも載っていませんでしたから、インターネットがなかった時代に、お客様は完全に口コミでやってきます。
しかも、別に予約はいらないのですがわざわざ事前に連絡を頂くことが多く、電話に出た途端に、
「あのー、今日は神様はいますか?」
と言われるので、その手の電話だとすぐに分かります。
文章にするとなんだかとてもシュールですが、実際にいるんだから仕方がない。
「今日は朝からいますよ。何時がいいですか?」
というマネジメントを、小学生の時分からさんざんやってきました。
身近に霊能力者がいる日常はそんなものなのです。
祈祷の流れは以下の通りです。
なお、祖母の名誉のために言っておきますと、祖母は守秘義務を意識していたらしく、祈祷の内容を身内にすら話したことはありませんでした。
ただ、とある事情(どこかで後述します)から私は祖母のことを詳しく知る機会があり、以降はそれに基づいて記述しております。
お客様が来ると、祖母は普段着から所謂『巫女さん』のような格好に着替えます。
そして、世間話を交えながらお客様の相談内容を伺います。
その大半が「なかなか病気が良くならない」とか、「最近なんだか不幸なことが続いて困っている」という内容で、たまにもっと深刻なものもありますが、ごく僅かです。
相談内容が明らかになったところで、神降ろしの儀式に入ります。
ここからは祈祷師によってやり方はさまざまですが、祖母の使用する道具は太鼓でした。これをうねるようなリズムで叩きながら、般若心経を唱えるというスタイルです。
般若心経が終わると、相談されている内容を神様に問う文言が続きます。よく聞いていると途中でカタカナ英語が混じったりしますので、いまどきの神様は言語に拘りがないと分かります。
それが終わると、息を整えながら瞑想します。これが一分から二分。
大音量の太鼓から一転して、急に静かな時間になりますので、耳の奥には太鼓のうねりが残っています。
そして、おもむろにお客様に正対すると、神様のお告げを厳かに伝えます。
大抵のお客様はそれを聞くと素直に「有り難うございました」と言いますが、たまに二言三言質疑応答があります。だいたいが「こういうことですかね」という確認程度のものです。
そしてお支払い。
慣れた人が多いので、最初から封筒に入っているものを手渡されることが多いのですが、一見さんから、
「それで、おいくらでしょうか」
と聞かれることがあるので、
「お気持ちで構いませんが、三千円が多いですよ」
と返します。
祈祷は全体で三十分程度ですから、時給換算で六千円。高いといえば高い。ただ、次のお客様が待っていることもあれば、一日に一件だけの時もありますから、さして儲かりはしません。
儲ける気もない祖母は、祈祷が終わるとさっさと着替えて野良仕事をしていました。
ある時は神様。
ある時は村人A。
その落差が、私の周辺ではごく普通のことだったのです。
( 第一話 終り )
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