「歩く非日常」な祖母の話

阿井上夫

(はじめに)

 私が生まれて間もない頃、母が足にひどい火傷を負って長期間入院したために、私は当時五十歳前後だった祖母に育てられました。そして、自他共に認める見事な「おばあちゃん子」に育ちました。

 具体的な例を挙げます。

 私の実家は、後述する特殊事情から母屋と離れに別れており、母屋に私の父と母と姉と兄が、離れに祖父と祖母が住んでおりました。ですから、生まれたての私は離れにいることが多く、そのほうが自然でした。

 そのため、やっと退院した母が夜になって「今日は一緒に寝ようよ」と言っても、すぐに離れに走っていってしまったそうです。

 後になってから「あの時は本当に辛かった」と恨めしそうな顔で母に言われましたが、本人はまったく記憶がありません。ただ、小学生の半ばまで離れで祖父や祖母と寝ていたことは、ちゃんと覚えています。


 祖母ははたで見ている限り、どこにでもいそうな普通のおばあちゃんでした。


 止まっているより動いていることのほうが多い人で、趣味で米や野菜を作り、市場に出荷していました。

 近所のおばあちゃんとたまに旅行に出かけたり、祖父と一緒に長期間の湯治に行くような人でした。

 あまり怒りはしませんが、怒ると怖い人でした。

 そんな普通の人なのですが、人とは大きく違っていた点が一つだけあったのです。


 私の祖母は「祈祷師」でした。


 今そんなことを学校で言うと、嘘つき呼ばわりされていじめにあいそうですが、私の祖母は十八歳の頃からそうだったので、私の周囲の人々はそのことを全く疑問に思っていませんでした。

 私も特に隠していませんでしたが、積極的に言うほどのことでもないと本気で思っていました。

「ふらいんぐうぃっち」という、青森県弘前市に住む魔女の日常を描いた漫画及びアニメがあります。

 私の祖母はリアルに同じ雰囲気で、祈祷師――「りあるしゃーまん」だったのです。

 空は飛べませんが、周囲から受け入れられて、困った時の相談相手になっていました。

 また、離れの端には目立たないようにひっそりと祈祷所が設けられており、週に何人かは確実にお客さんが来ていました。

 流行っているとはいえませんが、そこそこ固定客がついている祈祷師でしたので、本人にもっと商売っ気があったならば宗教法人化も夢ではなかったと思います。

 しかし、そこは普通のおばあちゃんですから、全然商売をする気がありません。料金表すらなく、聞かれれば「お気持ちで構いませんが、三千円が多いですよ」と言っていました。


 見事な「おばあちゃん子」の私としては、そんな「歩く非日常」な祖母の話を、これからゆっくりと紹介していきたいと思います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る