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」への応援コメント

  • 虚無主義に対するメメント・モリ。
    主人公が生きる道を選んだ、はたまた彼がそれを選ばせたのか…?

    現実離れした綺麗な描写でありながら、考えさせられることは生々しいほどに現実的。
    それでいて自然豊かな舞台が、物悲しくも優しく包み込んでくれる。

    幾重にも細工が施された伝統工芸品を見ているようでした。

    作者からの返信

    古出 新さん

    続けてお読みいただき、恐縮でございます。
    「鯨の骨が朽ちるまで」これもひとつの《メメント・モリ》と読み解いていただき、ありがとうございます。なにもないことの心地よさと、喜び、そして虚しさ。いつかはなにもかもが終わってしまうことの美しさと、哀しみ。そうしたものを表現できていたのならば嬉しいです。

    実はひそかにお気にいりの短編なので、古出さんの御目に触れて、これいじょうの喜びはございません。

  • 二頭の鯨は森を出ようとしていた。
    陸に上がっても歌は歌える。でも誰にも届かない。意味のない歌はここでしか。
    主人公は、もう一度楽器を手に取るか旋律を奏でるか。意味のない演奏の中で弦は啼いた、絵の中で鯨は鳴いた。彼は泣いたのか鳴いたのか啼いたのか。

    森を出たら多分、彼は陸路を手に入れているでしょうね。生き辛い意味のあると言われる道を。でもその中で生きていくんでしょうね。だってまだ彼は死んでないから。

    死のことを考えることは、生きているときにのみ意味のあることで、いざ死ぬ瞬間には意味のないことなので、つまり死に触れる行為はとても生のためになるわけなんですよね。
    廃墟は死の果てにある現実です。そこでみた無意味な夢。
    それは意味のある現実のために必要なものであるように感じました。

    的外れな感想もあったかと思いますが、こちらはうっとりと酔いしれて浸れることが出来ました。
    素敵な読書体験をありがとうございました。

    作者からの返信

    ああ……素敵な感想をいただき、ほんとうに言葉もございません。ありがとうございます。
    そうなんです。彼らはこの場所から離れて、生きていける。つらくともせつなくとも、それとおなじくらいの幸せと納得を得て、生きていってしまえるのです。

    死を想う。いわばメメントモリという警句が、わたしの頭のなかにずっとあります。生死はあわせ鏡。背中あわせに踊りつづける永久機関です。なれば死を想う。とは「生」を愛おしむことです。
    だとすれば、幻想をみることもまた、現実をみすえることになるのだと、わたしもそうおもいます。

    的はずれなんてとんでもない。様々なことを考えながら読んでくださり、その思索を言葉にしていただき、とても嬉しかったです。素晴らしい解釈ばかりで、ひとつひとつ頷きながら、わたしのほうこそ詩一さんの解釈に添ってこの物語をあらためて楽しんだきもちです。じぶんの手から物語が巣立ってアニメ化、漫画化したくらいの、感動がありました。
    重ね重ねになりますが、ほんとうにお読みいただきありがとうございました。

  • 夢見里 龍さま、コメントを失礼します。

    少年の浅い呼吸が伝播してくるように感じられました。
    文章の息遣いの巧みさに酷く惹き込まれてしまいます。

    美しいです。限りなく聖いブロマンスですね。
    頽廃の夏に絵の具と植物の混じりあった匂いがありました。
    「静かで、暗くて、何にも侵害されない」場所に現れた青年。
    彼の描く静かに叫ぶような絵も、少年が啼かせる弦の音も、すべてが五感に訴えかけ、映像を伴って映し出されるような不思議な感覚に陥る読書体験です。
    生きづらさを感じる現世を不図、抜け出した空間で
    「何者でもない」存在としていられる時間の透明。
    意味の無い演奏。意味の無い絵。時の流れの中に、夏の終わりと共に失われていく時間への悲しみ。悲しみであるのに幸い。
    絵は無垢なまま枯れ落ちていくのですね。その終わりは、あまりにも穢れなく、泣きたいほどの美しさです。

    『鯨の骨が朽ちるまで』の世界観、とても好きでした。
    読ませていただき、ありがとうございました。

    作者からの返信

    宵澤ひいなさま

    こころの通った、素敵なご感想をお寄せいただきまして、ほんとうにありがとうございます。

    こちらはカクヨムのなかで「ブロマンスを画く」という催しがあったときに書きおろした短編でした。
    わたしのなかでブロマンスとは、活劇を演じる相棒のようなものではなく、ほの昏い胸のうちを理解しあった細やかなる共犯者のようなものでした。
    例えば、おなじところにわすれられない傷があるような。おなじものにふと悲しみを憶えるような。
    ……そんな関係です。

    これは、社会において「何者か」であるとふだをさげられることにむなしさを抱えたふたりが、終わりが約束されたモラトリアムのなかで無意味な、けれどもひどく透きとおった時間に浸るという、ただそれだけの物語です。
    しかしながら想いを寄せ、執筆致しましたので、宵澤ひいなさまの御心の琴線に触れたと伺い、とても嬉しいです。

    わたしは絵を描くように小説を書くことが好きです。
    またなにかご縁があり、宵澤ひいなさまの御目に触れることが叶えば幸せです。
    ありがとうございました。