憲法第三十九条

執行明

第1話

 ドアを開けてみると、見知らぬ男が立っていた。

 またかと思う。最近はよくあることだ。

 なぜかといえば、祖父の莫大な遺産を私が相続したからだ。平凡な公務員であった私の今までの稼ぎからすれば、一生かかっても稼げない、いや使い切れないと言ってもいい額だった。

「お爺様には大変懇意にして頂きまして……いやいや、堅苦しいあいさつは抜きにさせて頂きましょう。あれほどの資産家がお亡くなりになれば、さぞ大勢の弔問があったでしょうな。こんな言葉はとっくに聞き飽きておられるでしょう」

 悔やみの文句を切り出したその男に、私がまたかという表情をしていたのがばれたに違いない。私は祖父と憎しみあっていたわけでもないが、特別に良い関係にあったわけでもない。というより、ほとんど口を利いたこともなかった。そんな祖父が一方的に私を可愛がって特別に遺言を残した……はずもない。私が祖父の財産を手に入れたのは、単純な法定相続の帰結に過ぎなかった。ようするに生存血縁者が私しかいなかっただけだ。とはいえ祖父が死んで以来、確かに入れ代わり立ち代わり、その遺産を目当てに挨拶に来る人間が絶えなかったのも事実である。

「本題に入ります。わたくし、ヒストリカル・ハンティング株式会社のお客様担当をしております、ホシノと申します」

 ホシノは私の手に、ティラノサウルスとプテラノドン……もしかしたらアロサウルスとケツァルコアトルスかもしれない。とにかくそのタイプの恐竜のイラストが表紙になっている一通のパンフレットを押し付けてきた。

「お爺様の生前には懇意にしていただきました。あの方のお孫さんなら、きっと気に入って頂けると思いますよ」

 確かにそれは、面白そうなイベントだった。

タイムマシンで過去へ行き、現時(・)の生物をハントするというのだった。

「このツアーが少数の裕福な方にしか開かれていないのには訳がありまして、ひとつは過去の生物種の保存のため、狩猟目的の時間移動を政府が非常に制限していること。もうひとつは、時間移動には莫大なエネルギーが必要であるため、どうしてもコスト高になってしまうことです。なにしろ全費用の98%以上が燃料費という有様でして。はい。そういうわけで、皆様にはかなりの参加費を頂きましたが、決してぼったくっているわけではございません」

「いや、構わない」

 と私は手を振って、値段に関する彼の弁解をさえぎった。

「ぜひ参加させてもらうよ」

 祖父の財産など、どうせあぶく銭だと思っている。無駄に使っても惜しくはないし、第一、その参加費でさえ私が相続した財産に比べれば微々たるものだった。

 それにマンモスや恐竜を狩れるなんてわくわくするじゃないか。

「あ、ありがとうございます!」

 彼はどこのセールスマンでもするように、元気な声で礼を述べ、深々と頭を下げたのだった。

 

 自宅に迎えに来た高級車に乗って到着したのは、一流ホテルの広間。

 そこには私のほかに十数名の、見るからに金持ちといった連中が集まっていた。

「参加者の方がそろいましたので、説明をさせて頂きます。我々の行き先は7万年前のアフリカですが、まず時間移動の前には必ず、このスーツを着ていただきます」

 と言ってホシノは、全身を覆うウェットスーツのようなものを見せた。

「これは向こうに到着してから現時の猛獣などから身を守るためのもので、全身密封式のカーボン・ナノチューブ製保護スーツです。モルディヴィアン軌道エレベーターに使われている材質を更に改良したものです。たとえマグナムで銃撃されても無傷で済みます。現時の生物に可能などんな方法で攻撃されても、かすり傷一つ負うことはありえません。エラスモテリウムの突進をまともに喰らおうが、ティラノサウルスに咬まれようが大丈夫ということです。アインシュタイン博士が想定する第四次世界大戦には、完全に無傷で生き残れますよ」

 何人かが笑ったところをみるとジョークらしかったが、私には理解できなかった。

「ちなみに呼吸もフィルターを介して行いますので、細菌が侵入したり、スーツの外に出て行く心配は一切ありません。なお、このスーツはたとえハンティングの技術や格闘技に自身がおありのお客様でも、必ず着用していただきます。お客様のお体をこの時代の病原体からお守りするためです。7万年の間に、無数の微生物が進化と絶滅を繰り返しています。HIVウィルスがわずか数百年前に登場したことはご存知でしょう。過去の世界には、皆様の体内に構築された免疫系にとって、未知なる病原体がウヨウヨしているのです。また、お客様自身の体内に棲む微生物から、現時の生態系を保護する意味もあります。同じ理由で、持ち込まれた武器をお使いになる場合には消毒させて頂きます。いったんそちらの係員にお預けください。

武器をお持ちでないお客様には、お好みのものをお貸しします。銃器のほかに刀剣類や弓矢、鈍器などもございます。銃弾や矢は過去の時代に余分なオーパーツを残さないため、生分解性の強化プラスチックを使用しております。かなりの種類が揃っておりますが、素手で楽しまれるお客様も……」

「素手で!?」

 客の一人が驚きの声をあげた。

「そんなことができるものかね」

 ホシノは笑顔で答えた。

「はい。先ほどの防護スーツを着ていれば。というのは、このスーツは生体電流を感知し、自ら収縮・伸張することで筋肉の動きを補助する機能があるのです。すなわち、着ているだけで超人的な身体能力が得られるというわけです。最近では警察の特殊チームも使用していますが、素人が着ても、サーベルタイガーを素手で殺すことも造作もありません。スポーツや武術を嗜まれるお客様には、その専門の道具を使われる方が多いのですが、素手を選ばれるお客様も全体の32%以上いらっしゃいます」

「それで、今回はいつに行って、何を狩るツアーなんだね?」

 参加者の一人が待ちきれずに尋ねる。

「よくぞお聞きくださいました。我々はこれから7万年前のアフリカに参ります。ターゲットは……」

 コンダクターはそこで一息入れ、参加者を見渡した。

「人間です」

 それを聞いて参加を辞退した金持ちは、ひとりもいなかったのである。


 巨大な銀色の卵が、突如として草原にその姿を現した。

 卵の横には、ひとりでに四角の切れ目ができ、ぱっくりと開いて、十数人もの奇妙な格好の人間たちがぞろぞろと生まれてくる。

 きっと原始人たちには、そんな光景に見えたに違いない。唖然として我々を見る7万年前の人間達を観察しながら、私はそう思った。現代人が見たとしても、さぞ滑稽な集団に見えるだろう。カーボン・ナノチューブ製スーツとフルフェイスのヘルメットを着用しているところは共通だが、銃やら刀やら弓矢やら、果てはボクシングのグローブをはめたり竹刀を握ったりしているのだから。

 まあ、彼らがどう見ようと関係ない。我々は彼らの気に入られようとしに来たのではない。

 狩りに、殺しに来たのだから。

 私たちはときの声をあげ、彼らの村に駆け込もうとした。

 が、たちまち私は転倒した。信じられないようなスピードが出たからだ。間違いなく時速一〇〇キロは超えていた。なるほど筋肉の動きをスーツが補助すると言っていたが、走る速度にもそれが反映されているわけだ。とにかく全身を防護スーツで覆われているので、地面に激突しようと痛くもなんともない。

「ははっ」

 私はこのスーツの運動能力に慣れようと、まず辺りを走ってみたり、ジャンプしてみたりすることにした。周囲を見ると、他の連中も同じようなことをしている。原始人たちは集落の小屋の中から仲間を呼び始めた。ぞろぞろと外に出て、呆気に取られて我々の奇妙な運動会を眺めている。

 ようやく体が慣れた。さあ、始めよう。我々がその気になったのは、奇妙なことにほぼ同時だった。

 何が起こったか、彼ら現時人には理解できなかったろう。人間の形をしてはいるが、人間の皮膚とは違う妙な何か奇妙な皮膚を持つ者たち。それらが異常な速度で勝手に飛んだり跳ねたりしていたかと思えば、いきなり襲い掛かってきたのだから。

 私は先頭にいた原始人の首を捕まえた。ごきゅっと音がして、泡を吹いてその男は倒れた。折ってしまったらしい。

 彼の仲間たちは悲鳴をあげて逃げ散った。勇敢な何人かは我々に殴りかかり、他の何人かは石槍や石斧を手にして攻撃してきた。

 だが、原始人たちの必死の抵抗は、私にほんのわずかな苦痛も与えることはなかった。拳も投石も槍も、「鋼鉄さえもソフトクリームに思えるような」強度を持つカーボン・ナノチューブ製のスーツに完全にシャットアウトされた。私は、まさに超人、スーパーマンだった。素晴らしい快感だった。

 ときの声をあげ私を石槍で突いた勇者の頭を、私はサッカーのボレー・シュートの要領で蹴り飛ばした。彼の首は簡単にちぎれて、逃げ惑っている女の後頭部に当たった。女はそのまま倒れて動かなくなった。

 遠くを見れば、逃げ散った原始人たちを金持ち達がそれぞれ好きな方法で殺戮している。機関銃を乱射している奴もいれば、アーチェリーで一人ひとり射殺して点数を呟いている者もいる。ボクシングのスタイルでひたすら殴り殺している男もいる。両手両足を握り潰した相手を、岩の上に寝かせてメスで切り刻んでいるあの男は、雑誌でインタビューを見たことのある高名な外科医だ。確か命の大切さを知るやりがいがどうのこうのと己の仕事を語っていたはずだ。

 ひとつの集落を全滅させて、我々のレジャーは終わった。

 防護服を脱ぎ、シャワーを浴びて、ワインと食事を楽しみながら、飛行機のファーストクラスと同様の時間の旅。

 だが現代に戻ったとき、我々の銀色の卵――タイム・シップを取り囲んでいたのは、武装した警官隊だった。もう一度防護服を着て応戦しようと言い出す客もいたが、ホシノは無駄だと言ってそれを止めた。向こうも我々と同じスーツを持っている特殊チームであったし、携行している武器も人数も違いすぎた。

 かくして我々は全員手錠をかけられ、連行されていったのだった。


「この度は……いやまったく大変申し訳ないことを致しました」

 ひたすらペコペコと頭を下げる警察庁長官。

 長官の隣では、あの逮捕劇を指揮していた警察官僚が私に向かって土下座させられていた。無理もない。私たちはいまや完全なる不当逮捕の被害者であり、彼は加害者なのである。彼が私と私の弁護士を見上げる両眼には、私にとって心地よい憎しみが溢れていた。

 青空の下に出てみると、ホシノが笑顔で待っていた。

「お疲れさまでした」

「なかなか楽しかったよ。それに安全だったし」

「もちろんです。我がヒストリカル・ハンティング社は絶対の安全をお客様に保障しております」

「法的にも、ね」

 私たちは互いにニヤッと笑って別れた。

 すでに私の手にはホシノに渡された、次のツアーの案内状が握られていた。


 私たちが殺戮を行ったあの時代、人を殺すことが罪となるのは、己と同じ部族の者を殺した場合に限られていた。未開民族には一般的に見られる規範である。

 そして、日本国憲法第三十九条によれば、何人も「実行の時に適法であった行為」については、罪に問われることがないのである。

 今日は二〇四七年五月三日。日本国憲法施行のちょうど百周年記念日だ。

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憲法第三十九条 執行明 @shigyouakira

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