misterioso

 ふわりと意識が浮上する。なぜだかとても穏やかな気分になる。ここはどこだろう。雑音も不協和音も聞こえない静かな場所。そっと目を開けてみると、見覚えのない場所だった。真っ白な天井の、開放的であり閉鎖的でもある空間。とりあえず起き上がって部屋を見渡す。どうやらベッドに寝かせられていたようで、平衡感覚がなかなか戻らない。影がない空間、物もない空間。近未来的ではあるものの、奥行きを感じられないこの空間に少し気持ちが悪くなる。何も見たくなくなって、一旦目を閉じた。

「起きたようだね」

 声が聞こえる。どこか懐かしさを感じる声。聞いたことがあるようなないような不思議な声。部屋の構造上か、全方向から声が聞こえてきたような気がして、頭に鋭い痛みが走る。頭を抱えて振ってみたらズキズキと痛みが増す。「君は一応怪我人なんだから安静にしてなよ」なんて言われて、俺の手の甲に手を添えられ頭を抑えられる。そのあたたかさに驚いて顔を上げると、そこには自分と瓜二つな人間がいた。青みがかった黒髪に、人より薄い黒色の瞳。いつだったか母に言われた俺の外見の特徴と全く同じ。クローン人間の製造技術はまだ進歩していなかったはずなのに、なんて思ってしまうくらい。

 驚きに頭痛が治まり、代わりにさっきまでの状況が脳内で蘇る。一面の赤、朱、少量の青、そして紅。香る鉄の匂いと粉塵と熱さ。なぜ生きているのだろう。確かに息絶えたのに。何がどうなっているのかわからない。頭がクラクラして、腹のあたりで何かが渦巻く。考えすぎで頭がさらに痛くなる。すると、少年に錠剤と水を渡された。抗えない痛みに、薬を受け取って口に放り込みすぐに水で流し込む。少し痛みを我慢すると、ようやく引いてくる。落ち着いたことを悟ったのか、少年が俺の頭を抑えていた手を放した。ようやく疑問を投げかける。


「君は……」

「僕かい? 何でもかんでも人に聞くのはよろしくないと思うな、想像してごらんよ」

「……想像しても、答えが出ないから聞いたんだけど」

「ふふっ、流石にひどかったかな。ごめんね。僕の名前は、かいだよ」

 海、か。どこがで聞いたことがあるような、懐かしいような。なんとも言えない感覚に襲われながら、彼の顔をもう一度見つめてみる。そうしたら、彼もじっと俺の顔を見つめて、ふっと笑って来るものだからたまったものじゃない。

「苗字は教えてくれないの?」

「それは秘密にさせてくれないかな。プライバシーってものがあるだろう」

「じゃあそういうことにしとくよ。でも見た感じ、俺のことは知ってるんでしょ」

「うん、もちろん君のことは知ってるよ。蒼井あおい そらくんだよね」

 名前を言い当てられて一瞬動揺する。いや、先程までの目線や態度から俺のことを知っているだろうと察してはいたが。

「どうして俺の名前を、って聞いても教えてくれないか」

「ごめんね」

 海は寂しげに笑う。そんなにしんどそうな顔をするくらいならば話してしまえばいいのに。そう思うのは秘密を知らないが故の無責任な思考だろうか。

「いつか、教えてくれる?」

 どうしても彼の心を少しでも軽くしたい。その一心で言葉を発する。海は少し目を閉じて考え込んでから、表情を緩めた。

「いいよ。いつになるかはわからないけれど、落ち着いたら必ず」


「じゃあとりあえずいっか。海、状況を教えてくれる? 確か、俺はあの空間で……その……死んだ、はずだよね。なのになんで俺はここで息をしているの? ここはどこなの?」

 そう質問攻めにすると、海はさっきまでの微笑みを消して、感情の抜け落ちた顔と冷徹な目でこう言った。

「それは今君が知るべきことではないよ」

 その視線と冷淡な声は、俺のトラウマを抉るには充分すぎて。俺の瞳から涙が零れていたことに気づいたのは、海が心配しているような表情で俺の顔を覗き込んだ後だった。

「ごめんね、流石に少し意地悪しすぎたかな。でも、君に教えるわけにはいかないんだ。……君は、どうして泣いてるの」

 海は話を聞きながらハンカチで俺の涙を拭いてくれた。その温かさが俺を落ち着かせ、次第に涙は流れを止めた。

「もう一回、海に会えたら話すことにするよ。海も隠し事をしているんだから、それでもいいよね」

 少しの反抗心で所謂匂わせをしてみる。とはいえ人に話すようなものではないのだけれど。海が渋々了承したのを見てから、少し希望を伝える。

「少し喉が乾いちゃったな。何か飲み物をもらってもいい?」

「いいよ。お水でいいかな」


 海がこの部屋から出たのを見届けてから、少し心の整理をする。感情が置いてきぼりになったまま思考だけが進んでいく。まだ素性がわからない彼に頼りきりになるのは間違いだった、と冷静な俺は思っている。彼になら俺の過去を話しても大丈夫だ、と大部分の俺は思ってる。どちらの考え方があっているかはまだわからない。だって、さっきの冷たい彼と、優しいけどちょっぴり意地悪な彼、どちらが本当の彼なのかわからないから。

 海の立ち位置を夢中で考えていたからか、彼が水の入ったグラスを持って部屋に戻ってきていたことに気づけなかった。それに気付いたのは、コトンという音とともにガラスで出来たスタイリッシュな白のサイドテーブルにグラスが置かれたあとだった。

「ありがとう」

 感謝の言葉を告げてから、水を一気に飲む。涙のせいか、少しだけ塩の味がするような気がした。


「話は変わるんだけど、僕は君に頼みをするために、ここに来てもらったんだ」

 頼みも何も、俺はあそこで死んだはずだ。それなのにこの空間では痛みも苦しみも感じる。最初は明晰夢かと思っていたけど、それだったら俺がここに存在していて痛みなどを感じられるのはおかしい。だったら、俺に少しでも情報を与えるべきだと思うんだ。何もなしに頼みを聞かないといけないだなんて、おかしいよね。

「その感じだと、俺に何一つメリットはないよね。なにかと引き換えだったら引き受けてもいいけど」

「そうだね、確かに不公平だ。それなら、君に先払いとして少し情報をあげるよ。頼んだことが完了できたら、すべての情報を開示しよう。これでどう?」

 それなら俺にもメリットはある。どれくらいの難易度の頼みかにもよるけれど、すべての情報と引き換えだったらやってみる価値はあるかもしれない。俺に頼むということは、俺にもできるくらいの頼みだろうから。

「それだったら、引き受けるよ。その頼みとやらを教えてくれる?」

「それはね……僕の父を探してほしいんだ。理由は言えないけど、今回の事件と関係があると僕は踏んでいる」

「それはつまり……世界を救うために、海のお父さんを探し出してほしいって?」

 そんな突拍子もないことを聞いて驚かないほど俺はポーカーフェイスが上手いほうではない。世界を救うとは、海のお父さんとは、探し出すとは。深読みすればするほど疑問が湧き出してくる。海に視線をぶつけてみても、彼はポーカーフェイスを崩さずに言った。

「僕の父は幼いころに蒸発してしまってね。けど、最近残された暗号文を解読できて、父が生きていることを知ったんだ。だから、父を見つけ出してほしい」

 嘘かな、とも思う。そんな突拍子もないことを、と思った。けど、海の表情があまりに必死だったから。

「わかった、保証はできないけれどやってみるよ」

 じゃあ、と言って海はいくつかの情報を教えてくれた。ひとつ、世界が滅んだ原因は日本の、しかも俺の住む地域にあること。ひとつ、海の父はなんらかの研究職についていたこと。ひとつ、何回でもやり直せること。そして、油断をしないこと。最後に、今まで起こったこととこれから起こることは誰にも伝えてはいけない、と約束する。

 全てを脳内メモリーに刻みこむと、海から「お守りだよ」と巾着袋を手渡された。掌に乗るサイズの、深紫の巾着袋。開けようとしたけれど、そうする前に「今は開けないで」と止められる。それとは別に、デジタル式の時計のような表示が付いた端末をもらう。現在の表示は428、意味のある数字なのかはわからないが何か不思議なものを感じた。

「それじゃあ目を閉じて」

 声に従うと、なんだかよくわからない浮遊感に襲われる。そのまま不安に耐えていると、ピリッと静電気のような感覚がして意識が黒に染まる。

「大丈夫、僕は君の味方だ……宙」

 そんな優しく懐かしい声が沈みゆく意識のなか聞こえる。目は開かないが、安心感に包まれながら意識は途絶えた。

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巡る世界と煤けた歴史書 紫月 真夜 @maya_Moon_

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