欲しがりな凡人

第一章 白石雑貨屋

この世は欲しがりだ、と誰かが言っていた。隣のおばさんも、そのまた隣の老婦人も、この世は『欲しがりと金』でできていると言う。

 僕としてもそれは大いに同意できた。いや、たかが高校3年に進級した僕自身が、多少なりともそれに深く理解をしているわけではないが。

 今日こんにちは、進級式。校庭の桜木が花をすっかりと散らし、青々とした葉と濁った枝を見せびらかしていた。それらは、グランドを取り囲むかの如く植えられている。見事な季節の入れ替えと言えよう。

 グランドにはごまごまとした人々が立っているのだ。

 ああ、あれらは、保護者と新入生。卒業アルバムの写真撮影だと担任が朝会で言っていた。

 そのような一連の景色が僕の座る席から見えた。なんせ、僕の席が左隅の窓際だからだ。


 午後までの式典時間だったもんだから、僕らは、担任がくるまで教室に解放された。学校側目的としては、進学か就職か、そのどちらかを思考に使え、ということだろう。だがしかし、クラスメイト達は頬をあげ、これからの時間配分を幸せそうに話しているではないか。


 僕はひとりぼっちだ。


 誰とて、僕に話しかける者はいない。賑やかな教室。いやいや、鳥籠とも感じられる空間の中、僕だけは窓側の席でぽつん、と頬杖をついてるわけだ。


 よっぽどに惨めなことだろう。


 よっぽどに可哀想なものだろう。


 そんなひとりぼっちは、この鳥籠に愚痴を吐き、『人間は終わったな』などと達観する。そして、己の弱さを見ようとはしない。自覚済みでありながら、僕自身を責めないのは、もう十分と惨めな思いをしているからである。

 さて、御託を並べていた間に、教室に担任が戻ってきた。彼はぶっきらぼうに教卓に立ち、アイコンタクトひとつで鳥籠の騒ぎ声を止めてやった。

 担任からの号令が入った。つまりはこの鳥籠が終わる合図でもあるのだ。


 第一章 白石雑貨屋


 もし、僕が物語の主人公ならば『なんとネガティブでつまらない青年だろう』と、読者は愚痴つく。そうして、本を閉じてしまうことだろう。僕自身もそれはもうしっかりと分かっている。

何かしらのイベント。

日記帳につらつらと書き手を進めてやることもできないほどに、僕は平凡すぎた。


ああ! 僕が何かしらのイベントがあれば、大いに読者は満足するであろう!


それとも! 異世界にトリップするようなイベントがあれば、読者は『まさか?』と目を輝かせることだろう!



 しかし、僕にはない。春の温かみを制服越しから感じつつ、ローファーのつま先を見ているだけなのだ。


やはり、惨めで! 平凡と言えよう!


まさに、これが、欲しがり、というものだろうか。


 在学中の高校から自宅までの帰路を歩き続ける。アスファルトに転がる小石を蹴ってやっては、ドブにホールイワン。

 今日こんにちは成功だ。これだけで僕は大いに満足をし、己が優れている人間だと錯覚をする。たかがそんなことで、なにを、と呆気らかんとする人間は大勢にいることだろう。

やはり僕は惨めで、平凡である。

 物語の中ならば、コマ1つのモブにしか過ぎない。それが主人公となった時、彼は輝く未来、はたまた読者の目を惹く誰かさんの為に惨めな思いをしてやらなくてはならない。

 例えるのならば、異世界の主人公に殺られる敵A。出番がほんのちょっぴりあるだけで、彼は『平凡だと言いながら欲しがりな』主人公に人生を終わらされてしまうのだ。

 つまりは、偉人の言う、『人生の主人公は己自身である』これは間違いと言えよう。誰かさんの為に、欲しがりな主人公の為に、魅力を上げてやらなくてはならないのだ。

 ならば、僕は誰も輝かせてあげることのできない通行人なのかもしれない。


 平凡とはこういうことである。


 己が主人公としたのならば、この時点で読者は誰一人とていない。なんたって、つらつらと、己自身の弱さと愚痴を吐き捨て、歩いているだけなのだ。


 僕の住むアパートに入る前に、雑貨屋があった。横断歩道を渡り、交差点を右に曲がってやってやると到着する。カラオケ店の隣にあるこじんまりとした古き洋風建築。

 白石雑貨店だ。

一見は店と言うよりはひとつの家にも思える。薄緑の扉が中央に配置され、右隣には雨避け板が括りつけられていた。その下には四つ格子の窓が顔を覗かせている。ここから店の中を見ることはできない。白カーテンで遮断されているからだ。

 僕はここの常連客。理由をあげるのなら、画材を安く仕入れられるからだ。平凡な僕の唯一の救いは、趣味があること。たったそれだけである。やはりつまらないだろう。僕もそう思うのだ。


 引き戸式のL字ドアノブを動かし、僕は中に入ってみた。

 まず目に入ったのは、キッチンテーブルらしき木製家具。テーブルや長方形の繋がったイスには、たくさんのマグカップや小瓶や手籠など、カジュアル系な用品が置かれていた。

 左手に向いてやると、四段の棚が置かれており、左から右まで様々な陶器が並べられていた。みっちりではない。間隔を空け、商品が見えるよう配慮が行われていた。僕でもわかるのだ。



「あら、いらっしゃい」


鈴のような高音が耳に響く。

 右手方角から聴こえ、顔を向けてみれば彼女がいた。

 白ワイシャツに薄緑のエプロン。会計台に頬杖をつき、手元の陶器を指先で弄っている。あれは彼女のお気に入りのマグカップ。客から貰ったらしい。そのような世間話を交わすほどに、常連客となってしまった。


皆本みなもとくん。今日、学校はやかったのね?」

「……ええ、ま、まぁ……」


 ようやく僕は今日こんにちにて、誰かさんと会話をすることができた。一日の中で、声を発したのは今回が初となる。喉がぐっ、と上がった感覚。痰が絡んで、飲み込んだ。


 彼女の名前は白石雪子しらいしゆきこさん。その名の通り、美白な肌。七三分けの前髪は茶髪に染められている。化粧の薄さから白石さんは美人な分類に入るのだろう。


「ほら、完成したの? 水彩スケッチ」

「ま、まぁ……は、はい……」


 僕はなんと間抜けな人間。なぜなら、僕は彼女の顔を見れない。そのうえ、ローファーのつま先に頼り、棒立ちしてしまうのだ。


「見せて? 皆本くんの絵、好きなのよ」


 ここの店主はなんとも物好きである。

いや、これが彼女を輝かせる為の人生かもしれない。なんせ、この店主が話し上手なのはよく噂に聞いている。つまりは、ちょっぴりなからかいと話題を『欲しがる』主人公なのだ。

いつも利用させてもらっていることから、腹を括った。緊張を奥歯で噛み殺し、息を吸う。

白石さんはその場で待ってくれていた。


 指定用の高校鞄から、スケッチブックを取り出した。僕の相棒である。このつまらなく、平凡で、何一つ、イベントがない己自身と渡り歩いてきたもの。たったひとつの、趣味だ。

 水彩画。これが僕だけの世界であり、妄想癖な己にはぴったりの鳥籠なのだ。


 白石さんの所まで歩み寄ってみる。彼女は会計台の麓に置かれた丸イスに座っているらしい。スキニーパンツで包まれた太股の隙間からイスの布地が見えたからだ。

 黒とオレンジの斜線が描かれたスケッチブックを渡してやる。白井さんは、花が咲いたように笑った。綺麗な方だと思うが、信用は全くと無い。


「これは、どこの絵?」


 パラパラと捲った後、白石さんが会計台にスケッチブックを広げた。

 僕が描いたのは雑草が生えまくった堤防。その近くには神社のある公園がある。公園の周りに生えた木々の隙間から、アスファルトを挟んだ雑草風景を描いた。それだけだ。


「皆本くん」

「えっ、あっ……すぐ近くの堤防……」


 言葉を交わすべきなのに、僕はうっかり頭で返答していた。罪悪を抱き、身体中が金縛りにあったように動けなくなってしまう。

 白石さんが笑った。よく笑う人だ。


「そうなんだ。仕事ばかりで全くといかないけど、あの公園から堤防はこんなふうに見えるのね」


僕は無言で頷いてやった。

 A4の横書きスケッチブックには、水彩で塗りつぶした風景。手前は公園の松の木。バックには堤防の雑草達で、こまごまとした人々が黒緑に塗りつぶされた葉の隙間から描かれている。

 なんと、パースのできていない下手くそな絵だろうか。何日か前に完成した時は、


ああ! こんな素晴らしい絵をかけるなんて! 僕は才能に溢れた天才だ!


 と、己自身が優れたものだと錯覚していたじゃないか。


 今はどうだ。

 僕は白石さんの前で縮こまり、


『クソみたいな絵を、クソみたいな人間が偉そうに見せている』


 と、己自身の不甲斐なさを改めて認識しているのだ。

 そうして、底のない沼に足を引っ掛け、ぐらつかせ、己自身がどれほど落ちこぼれかを脳内で考えた。さらには、脳内反省会をし、先程、発した声を何度も思い浮かべては、頭を掻きむしってやりたくなる。

 たまらず、僕は白石さんの視線から逃れる。


「……じょうず、ね」


 感嘆の息を吐いたような、声。

白石さんは「ふぅ、」と、肩を落として、スケッチブックを指先で撫でているではないか。

 いつもそうだ。白石さんは僕のくだらない絵を見ては、先程の態度から『絶対に書き続けなさい』と述べてくる。何が面白い。何がそんなにも『欲しがり』な態度をとる。僕には分からない。


 白石雪子しらいしゆきこ。白石雑貨屋の店主は、僕の世界を「じょうずね」だけで終わらせる。

 だから、僕は、白石雪子。お前が嫌いなのだ。

 やはり、僕は平凡かつ、この女を惹きたてるモブでしかない。

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